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"Happiness is easy."


「はっきりさせておきたいんだけど」となまえが俺を見る。いつも思うんだけど、この子って、なんでこんなシリアスな顔してるんだ? 初対面では腹でも痛いのかと思っていた。カードが挟めそうなほど眉間に皺をよせて、さすがに16歳・女子高生の肩書きが泣くってものだよ。これじゃまるで、ヴァイキングみたい――といっても北海の荒くれ者じゃなく、ラテン語クラスの教師のこと。北欧系のでかい図体と厳つい雰囲気から誰かがつけたニックネームで、今や生徒だけじゃなく一部の教師からもそう呼ばれてる。ちなみに俺は、何度聞いても彼の本名を覚えられたためしがない。
もちろんなまえは小柄な女の子だし、ややこしい名前を持ってもいないので誤解なきように!(変なミドルネームがあるらしいけど、頑なに教えてくれなかった)

こめかみのあたりに批難がましい視線を感じて、我に返る。

「えーと……何をはっきりさせるって?」

なまえはしかめっ面のまま、自販機のコーヒーをまずそうに啜った。事実あのコーヒーは半端なくまずいのだが、彼女はいつも決まってそれを買う。

「私たちはつき合ってる」
「そう。つき合っているとも」
「こうして一緒にランチ食べたり、帰りに送ってくれたり、宿題を見せ合ったり――そういうことで、いいのよね?」
「それは友だちと一緒だよ」
「……だったら手でも繋ぐ?」

掌の中のカップを見つめながら、歯と歯の間から声を押し出すように。いっそ笑えるほどに露骨で、俺は、ぱっと手を伸ばしてなまえの指先を掴んでみた。彼女がびっくりして、カップの側面が軽くへこむ。中身が少なくなっていたからこぼれはしなかった。

「俺はきみの写真をiPhoneの壁紙にしてるし、フェイスブックにも恋人だって登録してるんだぞ。きみが望むなら、毎晩おやすみの電話だってするけど?」
「それはべつにいいわ」

早寝だから、とにべもなく答え、なまえはすばやくテーブルの下へ手をひっこめた。そうしてカフェテリア内を視線だけで見回している。見られたところでどうってことないのに。

「形から入るって決めたのはそっちじゃないか。そりゃ、俺も上っ面のつき合いで構わないとは云ったけどさ。それなりに、それらしくしてくれないと」

なまえは唇をへの字に結んで不満そうに呻いた。彼女は普段からこんな感じで、にっこり笑いかけたって返ってくるのは怠惰なまばたきだけ。道のりは果てなく長いわけだ。正直なところ俺もこういうタイプは初めてで、どう扱えばいいのか分からない。ポーズならまだ対処の余地があるってのに、彼女の場合は『私、マジで戸惑ってます』って全身に書いてあるんだから。

「一応聞くけどさ、今までの人生でボーイフレンドがいなかったわけじゃないよね?」
「一応答えるけど、いたわよ」

俺はわざと驚いたふりをした。「へえ、ほんとかい?」って顔でなまえを見る。するとなまえは案の定、心外そうに目を細めてつっかかってきた。怒らせるのは案外簡単だ。

「だったらあなたは、おつき合いしてた数々のガールフレンドたちとは主に何をしてたわけ?」
「よくある親睦を深めるパターンとしては、放課後お互いの家に行って、カウチに座っていちゃいちゃしたりとか?」
「……聞いた私が悪かった」

こういう話題にぷいっと顔をそらすところは、ちょっとかわいいなと思う。ボーイフレンドがいたってことは興味がないわけじゃないんだろうけど、多分ものすごくシャイなんだろう。「とりあえず手ぐらいはつないで」と持ちかけた提案は、しぶしぶといった様子で承諾された。以前、肩に触れたら容赦なくぶん殴られたことを思えばかなりの進歩だ。素直に嬉しくて、俺はちょっぴりいい気になった。

「キスは?」
「そうね。頬になら」
「あのねえ、親戚のおばさんじゃないんだから。俺のこと嫌いじゃないって云っただろ?」
「嫌いじゃないわよ。じゃあ必要に応じて」
「一応聞くけど、セックスはなし?」
「セックスはなし」
「了解」

交渉再成立の握手を交わそうとした矢先、なまえが「あっ」と短く声を上げた。視線の先、西階段の下に冬眠あけのクマみたいな背中が見える。ヴァイキングが本をどっさり脇に抱え、カフェテリア前をのそのそ横切って行くところだった。

「オキセンスシェルナ先生!」

驚くべきことに、なまえは、いともたやすくあの複雑な名を口にした。慣れきった滑らかな発音が、ざわつくカフェテリアを矢のように迷いなく飛んで行く。標的は野生動物じみた仕草でその声に反応して立ち止まると、メガネ越しにこちらへ目を向けた。そうして一瞬、ほんの少しだけ表情をふっと緩めた――ように見えた。生徒でごったがえす廊下では誰も気がついちゃいなかっただろうけど、少なくとも俺には、そう見えたのだ。

こんなことってあるか? あの"ヴァイキング"が、やさしげに微笑むだなんて。

「それじゃ帰りに駐車場で」

なまえがカップを置いて、さっと席を立つ。髪の毛の隙間からちらりと覗いた横顔は明らかに浮ついていて、ああ彼女もあんな顔をするのだなと思った。今までつき合ってきた女の子たち――どの子も明るくて、うるさくて、とびきり可愛かった――が、たしかあんなふうに笑っていたものだっけ。俺の名を呼ぶときの顔。自分で云うのもなんだけど、幸福感に満ち足りたあの顔だ。

遠のく後ろ姿を見ていたら妙に喉が渇いて、俺はなまえが残したコーヒーを一気に飲み込んだ。それはやっぱり半端なくまずくて、胸をひどくむかつかせた。



仮面カップルと教師の三角関係的な。高校パロがすきです
12.7.14

 

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