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 カークランドが兄に電話してきて、何やら話している。作品の質と納期厳守の重要さゆえに、作家とは適度に距離をおくべし、というのが我が出版社の方針だが、二人の電話はいつも長い。女子学生のように。
 
「娘の監視も結構ですけどね、お父さん? きちんと隅々までチェックして頂かないと、隠語のアナグラムを見落としますよ」

ぐしゃ、と視界に皺が寄る。フランシスは嬉しそうに「嘘だよ」と破顔し、すっかり冷めたコーヒーカップへ手をかけた。

「料理本っても、お固い正餐用だしさ。それなりに需要はあるだろ?」
「……おまえの仕事は概して信頼している。月曜に担当へ渡すよ」
「わ、俺って愛されてるう!」

テーブルを越えてきた髭面を押しやっていると、ちょうど兄が電話を終えて、入れ替わりでソファに沈み込んだ。相手の調子を尋ねると、待ってました、とばかりに体を起こす。

「あのな、キスしたら『クソ』って云われたんだと」
「……は?」
「それも二回もだぜ。あいつの好きになる女って、やっぱおかしいわ」

フランシスが、顔を背けて吹きだした。

「アーサー、ついに噂のマリア様に迫ったの? バッカだねえ。俺には散々、高尚な関係だって説いてたのに」
「で、結果ぶん殴られたって」
「おお、神の怒りに触れたのか。おかわいそうに!」

フランシスは大袈裟に天井を仰ぎながら、食器をていねいに重ねてキッチンへ歩いて行った。同情など、ほんのひとかけらも含めぬ口調である。すでに夕食の算段で頭がいっぱいなのだろう。
 行き場をなくした腰を、仕方なく再びソファへ下ろした。

「……奴のスランプは、恋人が原因か?」
「『お友達』だとよ。作家先生のミューズなのかもしれねえが、まったく、型通りの荒廃だ。そのうち震えるような名作を書くか、じゃなきゃアル中で野垂れ死ぬに決まってる」

兄は平然として縁起でもないことを云う。あながち否定しきれなくもないところが、どうにも恐ろしい。


 

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