buch | ナノ




 午後11時。扉の前に立っていたアーサーは、あの小人にそっくりだ。陶器でできたガーデン・オーナメント。見た目と匂いでしか判断できないが、酔ってはいないらしい。そのせいかどこか所在なさげで、頭から塩でもふったら溶けて消えてしまいそうだった。手前勝手だが、こんなふうに少しばかり参っている彼は、とびきり高貴で美しく見える。
 熱い紅茶にひたしたビスケットを噛みながら、

「先週の寄稿、読んだけど」

私から切りだした。

「新聞には褒められていましてよ。先生?」
「……分かってるぞ。おまえの云いたいことは、大体だけど」
「いや、目も当てられないほどではなかったよ。でもまあ、クソ中のクソってとこ」

ブランケットに埋もれたアーサーは、そうしていながらも、つん、と鋭い鼻先を見せている。彼は紅茶を一口飲むと、「そりゃどーも」と声を上げて笑った。

「ありがとよ!クソを生み出すのは、得意分野なもんで」
「underwearとnightmareで韻なんか踏んじゃってさ」
「あすこ秀逸だろ」
「かもね。メロトロンってなんのこと?」
「楽器だよ。磁気テープがついたオルガンみたいなやつで、音色が3つしかなくて、」

こんな夜更けでさえ糊のきいたシャツを着ている彼は、はっと何かに気がついたように、口をつぐんだ。紅茶を卓に置く。なにごとかと見ている私と目が合うと、彼はゆっくり身を乗りだしてきて、私の頬へ静かにキスをした。
 「アーサー」と、そのとき喉から滑り落ちた声のやさしいことには、自分でも苦笑するほどだった。髪をなでてやると、人慣れた動物がそうするように、あちらから頭をすりよせる。祈るように目を閉じて、息を吐いて。頬に、睫毛の影が落ちている。

「どうしたの」
「キスしたい」
「今したと思うけど」
「そうじゃなくて」

寂しい、と彼は云った。




 啄ばんで、次第に大きく深く、食む。唇を頭部ごと引きよせれば、サイドランプの下で鼻先が触れる。ソファが沈んで体が傾くと、いっしょに自分の中の重たい澱が、彼女の方へと流れ落ちてゆく気がした。しらふでキスなんかするのはいつぶりか、この一瞬は背徳感も手伝って、正直、興奮した。しかし基本的になまえは抗いもせず、かといってキスに応えるでもなく、されるがままだった。裏切られた気分がしないといえば、それは嘘だ。
 鼻白んで体を離すと、息を整えたなまえは、照れも慌てもせず、ただF*ck.と呟いた。

「は?」

なまえは顔をしかめてもう一度、小声だが確かに「クソッタレ」と云った。

「すみませんが、今なんて?」
「べつに。ねえ、今夜は遅くに雨らしいって知ってた?」
「いいや」
「帰りは送ったげるね」

うっすらと笑んで、こちらを見上げる。

「あのさ」
「うん」
「べつだん俺、酔っちゃいないからな。アルコールもニコチンも、医療用の合法マリファナさえやってない」
「そう。なら飲みに行く?」
「違うだろ!ああもう、どうして、おまえはそうなんだよ!」

癇癪を起こす子供を前にした母親みたいに、なまえは辛抱強く俺を見ていた。理解します、私はあなたを赦しますよ。そういう聖人賢者ぶった態度が腹立たしく、また哀しくて、俺の中の醜い部分が俺を急き立てる。もう一度、力任せに体を寄せたら、今度はゆっくりと掌で顎を押しかえされた。その肌には怒りも恐怖も、宿っていやしない。温度さえも。――ちくしょうめ、こいつは俺の胃へ落っことされたって、平然と、殉教者みたいに鎮座しているんじゃねえのか?

「少しは動揺しろよ、このビッチ!頭にきたなら、ぶん殴りゃいいだろ?」
「アーサー、なんで泣いてんの」
「じゃなきゃ嫌いだって叫んで、俺を今すぐに、追い払え!」
「そんなことしない。あなたのこと好きだもの」

視界が滲んだ。反射的に腰へ回した腕に力がこもるが、彼女は依然として無抵抗のまま、「でも」と言葉を続けた。その先は要らない。
 どうして俺ばかりがこんなふうに意地悪く、浅ましくなってしまうのだろう?

「私が好きなのは、あなた一人ってわけではない。アーサー、その寂しさは、私にはどうすることもできないよ」

これが勧告だったのだ。

「俺は」
「うん」
「俺も、おまえのこと、好きだよ。友達だもの」

でもおまえにキスしたい。
 そう云って顔を上げた先に見えたなまえは、まだ口端を上げてはいたが、唇から上は、笑っちゃいなかった。

「I'm just furious with you.(ほんとあなたって、マジ頭くる)」

ほとんど独白のようにそう呟いたあと、彼女はほんとうに俺をぶん殴った。


 

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