buch | ナノ


 ローマに住むドンは、相変わらずの強い訛りで『デートのお誘いかと思ったのに』などと甘ったるいせりふを吐いた。――ただ何となく、どうしているかと思って。なまえがそう伝えると、受話器の向こうで、ぶはっと空気を吹き出す音がした。

『それ流行ってるの? 俺、おんなじこと聞かれたよ』
「同じって?」
『あいつも電話くれたんだ。3日くらい前だったかなあ』

夜も遅い時間に、それも向こうから連絡をよこすだなんて珍しいとフェリシアーノはけらけら笑った。ルートヴィッヒ、という名前が出ると、なまえの眉間には盛大に皺がよった。ついでに電話を持っていないほうの手が、隣に座るシロクマの毛をぐしゃぐしゃとかき回した。

「ふうん。それで、どんなこと云ってたの」
『お天気のこととか家族の話とか。あと今度サッカーしようって』
「……あなたたちって、ほんとに仲良しですね」
『俺は、なまえともっと仲良しになりたいけどね』

思わず、毒気を抜かれて微笑んでしまう。

『あっ、いま笑ってるでしょ。みんなすぐ冗談だって云うんだよ、俺、けっこう真剣なのに』
「毎日違う子相手に真剣になってるわけね」

フェリシアーノは短く唸った。図星をさされて唇をとがらせている光景が目に浮かぶ。

『俺だって、ほんとのほんとに好きな相手ができたら、毎日その子のことばっかり考えるもん』
「そういうものなの?」
『うん。よそ見なんかできなくて、何を見ても、どこにいても必ずそこに現れて、そのうち自分の中に住み着いちゃうんだって。じいちゃんが云ってたけど、恋は人の頭をばかにするから、自分がどうかしてるって思わないうちは本物の恋じゃないってさ』

誰が見ているわけでもないが、思わず顔を半分手で覆った。声だけはつとめて冷静に、「ふうん」と返事をする。――たしかに、ばかになりかけている自覚はある。賢人いわくこれが"本物"ならば、間違いないのだろう。とは云え、なまえはこの感情をべつだん、どうするつもりもなかった。伝えても困らせるだけのような気がするし、なにせ相手はあの恐るべき真面目人間だ。うまく流せるほど器用だとは思えない。それに、もとの関係に戻れなくなるほうがもっとずっと悪い。

 しかしこのままでは、もとの関係どころか、軽く半世紀ほどは音信不通になりそうだった。もっともらしい口実がなくとも、どこで見た猫がかわいかっただの、あの店のカンノーリは美味しいだのといった他愛のない話を、こんなふうに気軽にできたならはじめから悩んでなどいないのだ。

「……もしも、自分がどうかしてるって分かっても、どうにもできないときはどうするの。つまり、いかれた頭をどうにか治すにはって意味だけど」

それは水を飲むように簡単、とフェリシアーノは云った。

 

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