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 漂ってくる妙な匂いに目を覚ますと、誰かが寝ている自分を覗きこんでいた。もしここが天国なら、ずいぶんガタイのいい天使さまがいるものだ。大きな手で、湯気の立ちのぼるマグを差しだしてくる。なまえは鼻をひくつかせてゆっくり頭を起こした。

「……それなに?」
「ウニクムだ。匂いはきついがよく効く」

田舎に住んでいた祖母を思いだして笑いそうになりながら、なまえはマグを受けとった。糖蜜色の液体はかなりクセのある、甘いような苦いような味がする。アルコール度の高い薬草酒が、飲んだそばから体の芯に熱となって広がっていった。冷ましながら1/3ほど飲んだところでふと目を上げると、ルートヴィッヒの青い瞳がじっとこちらを観察していた。

「そんなに見られると、顔に穴が開きそう」
「火傷をしないかどうか見ていただけだ」
「……ぜったい過保護な父親になるタイプ……」
「父親?」

ルートヴィッヒの顔が、さっと赤くなる。云ってしまってからなまえ自身も何となく気恥ずかしく思い、急いでマグの中身を飲みこんだ。体はすっかり温まったが、完全に目が冴えた。なまえはブランケットをぐるぐると巻きつけて身を縮めながら、乱れた髪の毛を片手でなでつけた。もう今更だがひどい格好だ。

「ええと――もしかして様子を見に、わざわざ?」
「朝に出ていく気配がしなかったからな。昨日も何だかいつもと違うふうだったろう」

「倒れてでもいたら大事だ」と相手はどこまでも真面目にうなずく。"違うふう"だった自分を思いだしたなまえはばつが悪くなり、ますますブランケットの洞窟へ身を隠した。

「もし眠るのに邪魔なら出て行くし、腹が減ったらキッチンにオートミールがある。それと、実はひとつ謝っておくことがあって……」
「謝る?」

なまえは目だけを出して、首を傾げながらルートヴィッヒを見た。下着でも洗濯してくれたのだろうか。

「さっき電話がかかってきたんだが」
「えっ」
「その、"彼女"に、誤解を抱かせたかもしれない」

一拍の間をおいたのち、なまえは布ごしに緩く頭をふった。忘れかけていたのに、あのクラシカルな美女の顔がふたたび頭に浮かぶ。戸惑いがちな声から察するに、なにかしらの問答があったのに違いない。誤解と云うのなら謝るべきはむしろ自分のほうだ。

「非を感じる必要なんかないわ。悪いのは私なんだし」
「いや、俺が失礼だった。何度も鳴りつづけるものだから、つい出てしまって」
「そりゃ……明らかにそういう相手じゃないと分かっていても、いい気分はしないでしょう」
「そういうものなのか?」
「彼女は違ったの?」
「面白がっていたぞ。むしろ」
「……さぞかし変わった人なのね」
「どうかな。話した感じは普通だったが」
「え?」
「え?」

なまえが毛布からすっぽり頭を出すと、今度はルートヴィッヒが首を傾げていた。

「――いったい、誰の話をしてる?」
「あなたこそ誰の話をしてるわけ?」



 

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