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 お天気キャスターが、世にも不機嫌そうな顔で降水量のデータを示している。今年は例年よりも雨が特に多いのだとか。科学的な因果関係はないのに、なまえは罪悪感めいたものを覚えてテレビから顔をそむけた。

「遅えなあ。お兄さま待たせて何やってんだ?」

ギルベルトは意外に甘党らしく、紅茶と一緒に出したグミベアヒェンはすでに二袋目に突入している。と云っても彼が赤色ばかりを、なまえが緑色ばかりを好んで食べるので、他の色のベアたちが綺麗に残ってしまっていた。本から目を上げて時計を見ると、そろそろ20時になるところだ。

「おまえちょっと電話しろ。何時に帰ってくるか聞けよ」
「……なんで私が?」
「俺は俺なりに今忙しいの」

ギルベルトが先ほどからオンラインゲームに熱中していることを、なまえは知っている。不本意ではあるが、たしかにいつまでも彼にいられるとシャワーも浴びられないので、仕方なく携帯を手にとった。電話をするのは久々だ。

 呼び出し音が何度か鳴ったのち、応答があった。

「あのう、なまえです。いまお兄さんが……」

ところが受話器の向こうから聞こえたのはあの低音ではなく、やたらと落ちつき払ったソプラノだった。明らかに女性の声である。ディスプレイには間違いなくルートヴィッヒの名が表示されているため、番号を誤ったわけではない。

『彼、ちょっと出られないのよ。もし大事な用なら伝えてさしあげましょうか?』

違和感を覚えるほど訛りのない発音。なまえはとっさに「大したことではありませんので」と電話を切ってしまった。ギルベルトの真っ赤な目が怪訝そうにこちらを見る。

「……お、女の人が出た。大学の人かしら……」

彼は少し考えて、「ああ」と思いついたようにうなずいた。

「やたらお高くとまった話し方の女だろ? それ、役員のジジイの娘でルートヴィッヒの嫁候補だよ。ってことはまだ会社にいんのか」
「嫁?」
「もう"元"だけどな。あいつ継ぐ気ねえし」

素っ気なく答えたギルベルトは、ふたたびゲームに没頭しはじめた。なまえは電話を片手に持ったまま、しばらく視線をさまよわせていた。

 滑らかな高い声が耳に残っている。"元"とは云え、履歴の残る携帯電話にふつうは無関係の人間が出たりはしないはずだ。なまえは思いがけず、動揺している自分に戸惑った――なぜだか、ものすごくまずいことをしでかした気がしたのだ。たぶん国内の降水量を増やしてしまうよりももっと悪くて、"そのもの"の正体が分からないのに、修復が不可能なことははっきりしている。落としどころのない気持ちに首を傾げつつ、なまえはお皿に残った色とりどりのグミベアヒェンをまとめて口へつっこんだ。



 

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