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 色鮮やかな料理の皿と酔っぱらいとがひしめきあい、整然たるリビングは今夜ばかりはにぎやかだ。ふだんは外へでも出ないかぎり、こんなにも豪勢な夕食が並ぶことはない。ギルベルトとラテン男のアントーニョはすでに相当飲んでいて、親族の会合で伯父の愛人の名前を出してその場を凍りつかせた話で盛りあがっていた。渋いような楽しいような顔をしたルートヴィッヒが、ふたりの間に座っている。

「ごめんね、こいつら騒がしくて。落ちつかないでしょ」

なまえはホットサンドに齧りつきながら首をふった。

「これ、中に入ってるのはザワークラウト?」
「そうそう。ルーベン・サンドっていうんだよ。NY名物のはもっと百科事典みたいに分厚いけどね」

「おいしい?」と微笑まれれば、素直にうなずいてしまう。実際、コンビーフやチーズをはさんだライ麦パンにマスタードの辛味がよく合う。作り手のフランシスは物腰のやさしい常識人のようだが、彼とて『俺様の華麗な計画』に携わっていた人物のはずだ。それなのに、現時点で実害を及ぼすギルベルトほどには身構える気が起こらないのは、料理に絆されたせいだろうか。

「それで、あなたたちは何者なの。サイバーテロ組織?」

テーブルの向こうから、アントーニョが身を乗りだしてげらげら笑った。

「ちゃうちゃう。そいつ変態でシェフなんよ」
「ちょっと、不名誉な紹介の仕方やめてくんない?」
「『俺こそが真の裸のシェフだ、ジェイミー・オリヴァー死ね!』とかいっつも云ってんだろ」

背後のふたりを無視し、アントーニョは「俺はトマト農家やっとんねん」とトマトの素晴らしさについて論説をぶちはじめている。相槌をうちながら、なまえはこっそりルートヴィッヒへ視線を送った。アルコールが入っているのに今日はずいぶん静かだ。じっと見ていると目が合って、なぜかすまなそうに眉を下げられた。

「なまえと弟くんこそ、どういう仲なの?」
「いや、どうもなにも。お隣同士ですよ」
「マジで笑えるほどなんもねえよな。たぶん一晩いっしょにいたところで、ヨーロッパ経済における自由主義とギリシャ危機について議論でも展開するんだろうぜ」
「……兄さんは少し黙っててくれないか?」

弟にがっしり頭を掴まれたギルベルトは、じたばたしつつも飲む手を止めずにビールをあおっている。なまえも苦笑いを浮かべて、グラスに残っていたワインを飲みこんだ。

「俺らはほんとにただの知り合いっていうか、悪友みたいなもんだよね。今回はよしみでちょっと手伝ったくらいでさ」

やはり彼らも片棒を担いでいたわけだ。とばっちりで被害にあっていた当時は、わずかながら身の危険まで感じたというのに――今は一緒に座ってお酒を飲んでいるだなんて。なまえはつくづく自分の流されやすさに呆れた。

「兄貴が世話になっていた件は礼を云う。てっきり英国にいたのだと思っていたが……」
「あー、あの眉毛はたしかフランシス経由やんな」
「もうファンタジー書けねえってめそめそ泣いてたよ。おまえのせいで」
「何云ってんだ。野郎、あのシリーズだけでめちゃくちゃ儲けてんだぞ?」

眉毛、というのはどうやら例の作家のことらしい。今度3作目が出るとのことで、しばし話題はその本へと移行した。なまえは目の前にあるパエリアを頬張りながら会話を聞いていたが、しだいに建設的な思考力がビールの泡のように消えてなくなってゆくのが分かった。



 

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