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 「ローデリヒは母方の遠い親戚で、幼少のころ何度かオーストリアの田舎へ滞在した。フェリシアーノと知り合ったのもそこだ」
「"知人"ってのは謙遜だったわけね」
「母が死んで、家同士の交流はほぼ絶えたからな。それに、どちらかと云えば俺よりも兄貴の方が懇意だろう」
「……そうなんですか?」

ちらりと目を向けると、粛々とワインを飲んでいたローデリヒが手を止めた。

「いいえ。ただの学友です」

きっぱりと告げる彼の向かいで、隣人がため息を吐いた。まずい質問だったろうか、となまえは前菜のズッキーニを噛み締めて微笑んだが、顔は引きつっていたかもしれない。

「――席を外してごめんなさい!ここ電波が悪くって。移動の件は調整しておきましたよ」
「それは結構でした。ありがとうございます」

エリザベータ、と柔らかな声で呼ばれた彼女は、栗色の長い髪を揺らしてなまえの正面の席についた。

「思い出話は弾んでる? ほんとうに何年ぶりかしら、びっくりするほど立派に育ったものねえ!」
「あなたは今も綺麗だ。昔と何も違わないな」
「ルートヴィッヒ、ガールフレンドの前で他の女性を口説くものではありません」
「「えっ」」

なまえはすぐに「お隣同士です」と釘を刺したが、ルートヴィッヒはグラスに手をかけたまま硬直していた。どう返したものか考えあぐねているのだろう。堅物である彼の口から女性をスマートに褒める言葉が飛びだしたことは、なまえには興味深かった。たしかにエリザベータは顔立ちのはっきりした美人である。

「あの、フラウ」
「エリザベータでいいわ。私もなまえって呼ぶから」

にっこりと笑う表情は、とても親しみやすい。

「エリザベータは、もう長く楽団のマネージャーを?」
「正確にはローデリヒさん個人のね。彼の手伝いにかけては、私ほど年季の入った人間は他にいないわよ」

視線を交わし合う様子は、ふたりが公私ともにパートナーであることを匂わせる。似合いすぎるほどお似合いだ。つきあいを暗に尋ねたところ、エリザベータの母親がローデリヒの家、つまりエーデルシュタイン家に仕えるメイドであったことが由縁だと云う。

「……メイド……また古典的異次元ワードが……」
「なまえ、次のワインを頼むか?」
「あ、はい。それじゃ同じものを」

フリーズ状態から復活したルートヴィッヒが、ウェイターを呼んで注文を告げる。バカみたいに高級なワインだったらどうしよう、という考えが頭をよぎったが、今更あがいたところで、この場違いな雰囲気に変化など起こらないだろう。

「あなたたちこそデートなのに、邪魔してごめんなさいね。でもローデリヒさんに話を聞いたら会いたくなって――嬉しかったわ。あのちっちゃな坊やが女性をエスコートしてきただなんて」
「知り合ってどれくらいになるのですか?」

丁寧に小鴨のソテーへナイフを入れていたローデリヒが、ふと顔をあげてなまえを見た。

「ええと、会ったのは半年前です。でも語弊があって、私はただ隣に住んでて……」
「ああ、実家を出たのでしたね。今もあの夫婦が管理を?」
「犬たちと一緒に頼んである。だが、俺と彼女は……」
「ってことは、あいつルートヴィッヒの部屋に転がり込んでるわけね。追い出しなさいよ、なまえにも害が及ぶから」

「白髪バカの害!」と叫ぶエリザベータに、周囲の数席から驚きの視線が向けられたが、それらはすぐにおのおのの料理やパートナーへと戻された。はっと慌てて口をつぐむ彼女を見て、近くに控えていたウェイターが笑いを堪えていた。



 

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