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 たしかに夕方のニュースを占めたのは、ギルベルトの好みそうな派手な話題だった。大手新聞社社長と有名女優の愛人関係、人道的な報道の推進運動を起こしていた記者の売春、国営テレビ局の役員がドラッグをきめて未成年と乱交。ネット上では証拠映像まで流出しており、マスコミ界はパニックに陥っていた。

 不本意ながらも一緒にテレビを見ていたなまえは、隣に座る男の表情がみるみる険しいものになってゆくことに気がついた。はてと首を傾げる間にニュースが切りかわり、見覚えのある企業のロゴが映しだされた。

「あら? これって……」

固い口調のリポーターが、口早に『不正ファイルや天下りの役員名簿をはじめ、金銭絡みのスキャンダルリークは捏造だった』と報じている。ギルベルトの顔色がさっと変わり、携帯電話を取りだして猛烈な勢いで何かを打ちこみはじめた。

「え、ちょっと、どうしたの」
「俺が聞きてえよ!マジで!一体どこの野郎だ?」

キーを打つ指先が見たこともない速さで動き回るのを、なまえは呆然と見つめていた。どうやら事態は彼の予想の範疇をずいぶんと外れたらしい。かなり切羽詰まった様子で、今度はどこかへ電話をかけはじめた。

「エドゥアルド、俺だけど。おまえドイツのニュースサイト見てる?」

なまえはそっとリモコンへ手を伸ばし、音量を下げた。

「そっちじゃねえ、完全にかき消されてんだ!たぶん向こう側のバカが――」

怪訝な表情でギルベルトが一度耳を離すと、すぐに着信音が鳴った。眉をしかめてその画面を見た瞬間、彼は己のブラックベリーをぽい、と宙へ放り投げた。反射的にキャッチしたなまえが目を落とすと、そこにはかわいいキャラクターの画像とともに『ざんねんだったね、おしゃべり小鳥くん!』とメッセージが表示されている。

「……なにこれ。"Helianthus"って、ひまわり?」
「呼ぶな呼ぶなバカ!これ以上、俺の睫毛を犠牲にすんな!!」

がばっと起き上がったギルベルトが、慌ててなまえの口をふさいだ。涙目に見えるのは、睫毛が数本抜け落ちたせいかもしれない。ぜいぜいと肩で息をし、血走った双眸で叫ぶ彼を前に、なまえは無気力にうなずくしかなかった。

 *

 「ハラショーだぜ。さしもの俺も吐血寸前……」

ギルベルトは、なまえの作った甘いホットチョコレートを両手に抱え、ソファの上で丸くなっている。顔色は青ざめ、あれほど自信に満ちていた表情には、どんよりと影ができていた。隣人の兄だと知った今でも、なまえは彼のことを"得体の知れない人間"だと畏怖していたが、今この瞬間だけは、ほんのひとさじの同情を抱けそうだった。

「そいつ、なんか知らないけどいっつも俺のこと邪魔してくんの……もうやだ。マジ怖い!」
「とりあえず、血を吐かなくてよかったですね」

それはさすがに対処できる自信がない。多少の落ちつきを取り戻したギルベルトに聞くところ、恐らく彼の計画を頓挫させたのは、有名な凄腕ハッカーで"Helianthus"(ヒマワリちゃん)と呼ばれる人物らしい。どういうわけか昔から何かと粘着し、仕事の邪魔をしてくるのだという。

「この"birdie"(小鳥)っていうのは?」
「俺のハンドルネーム」

なまえは思わず、フッと笑った。

「なに笑ってんだよ、強そうだろ!格好いいだろが!」
「……はい。かっこいいし、とっても強そう」
「清々しいほどの棒読みだな」

ぎこちなくなだめすかしてはいるものの、彼が、そして彼の"お友達"がほんとうに娯楽小説やハリウッド映画で見るようなことを行っていると思うと、なまえは正直ぞっとする。結果としてそれがどう働こうが、罪は罪以外にはなりえない。ルートヴィッヒは事情を承知で、なかば諦めているふうでもあった。正義は法とは関係ないものだと、彼も思っているのだろうか?

 ――まあ、この人も根は邪悪ではなさそうだけれど。マシュマロマンのぬいぐるみを抱きしめながら打ちひしがれるギルベルトを見て、なまえはテレビのチャンネルをそっと『世界の仔犬たち』という番組にかえた。



 

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