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 「ひとつ自明なことは」

なまえが顔をあげて云った。

「あなたのお兄さんは、いかれてますね。頭のネジがはずれてる」
「……まあ、否定はしないな」
「してくれよ!」

唇をとがらせる子供じみた表情は、ここまで露骨ではないものの既視感がある。熱い紅茶でようやく落ち着きはじめたなまえとは裏腹に、隣人の兄――ギルベルトと名乗った――は、ふてぶてしくも肘掛け椅子にふんぞりかえっていた。

 この兄弟は顔立ちだけでなく、肌の白さまでそっくりだ。ギルベルトのほうが体の線が細く、髪はほぼ銀に近いプラチナブロンドである。瞳だけが鮮やかに赤い。それだけでも与える印象は強烈なのに、彼の話ときたら、大げさで現実みのないメルヘンそのものなのだ。お伽噺にしてはあまりに物騒で、どうひいき目に見ても常軌を逸しているのだが。

 *

 路上でのショッキングな出会いのあと、3人はルートヴィッヒの部屋へ移動した。へらへらと連行されながらも、狡猾な獣のような雰囲気のあるギルベルトが恐ろしく、なまえは促されるまで棒立ちになっていた。

 供述は、「隣の部屋は勤め先の管理部から紹介されたものかどうか」というなまえへの謎の質問にはじまった。

「それと彼女へのストーカー行為と関係があるのか」
「ある。で、お嬢ちゃま。どうなんだよ?」

たしかに、職場の立地から見ればさほど便利でもないが、家賃を3割負担するとゴリ押しされた物件だ。それをなぜ知っているのか。なまえはしどろもどろに返答しながら不審な目を向けたが、ギルベルトは矢継ぎ早に「情報通信部のヴォルフとはどうやって知り合ったか」「デートは何回したか」「なまえの部屋に入ったことがあるか」という、腹立たしいほどに要領をえない問いをぶつけてきた。

「なんなのそれ、そんなこと聞いてどうするの?」
「だから関係あんだっての。あとで困りたくなきゃ正直に答えろよ」
「……会ったのは、社の多様性セミナーで。一度映画を見に行ったけど、部屋に上げたりしてません。ご満足?」

批難がましく語気を強めようが、ギルベルトはこともなげにうなずくだけだ。当惑しつづけるなまえの横から、ルートヴィッヒが「質問は済んだか?」と問うた。彼の青い瞳はこんなときにも冷静で、どこまでも隙がない。

「そろそろ納得に値する説明を求めたい。なぜ彼女を付け回した? 今までずっと姿をくらまして、どこで何をやっていたんだ? 親父の葬式にも出ないで」

真っ赤な双眸が、かすかに揺らいだ。

「――あのな。俺は、てっきり」

やがて吐きだすようにギルベルトが云った。

「ジジイ側の人間だと疑ってたんだよ。『俺様の華麗な計画』上で他に類を見ないほどのイレギュラーだったもんで」
「私?なに、じじい?」
「会社宛にも同様の脅迫文を送ったな。それに、あの本も」

さっぱり話が読めない。が、流れが普通ではないことは分かる。なまえは口をつぐむと、兄弟を交互に見渡した。

「興味深い内容だったろ? あんなに売れると思わなかったけどな。腰抜けをビビらすのにゃ役立った。云っとくが、連中の腹の内はおまえが知るより真っ黒さ。平気なツラして、おぞましい富の恩恵を受けていやがるんだから。本格的に親父が浮かばれねえよ」
「まさかとは思っていたが……」

ルートヴィッヒが頭をふり、ギルベルトへ哀れむような目を向ける。――なんだ、このシリアスドラマじみた会話は。そして当事者でありながら、完全に舞台の外にいるこの状況。自分がとてつもないまぬけに思えてくる。よもやなまえだけが知らぬうちに、脚本が配られたのではなかろうか。即興劇にしろフォーカスくらいはあるのに。カメラは一体どこだ、観客は?

「全部おまえのためだって、分かってんだろ。ルートヴィッヒ。兄貴がかわいい弟を心配してどこが悪い」
「つまりおまえはそれが復讐だと、そうすることが崇高な使命だと信じているわけだな」

ルートヴィッヒの声は地の底を這うように低く、不気味なまでに穏やかだった。彼は大きく息を吐いて立ち上がり、正面に掛けるギルベルトへゆっくり近づいた。

「まったく、」



 

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