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 「俺だってね、なにも年がら年じゅう素っ裸ですごしてるわけじゃないの。ただ気持ちよくシエスタしたい主義なだけ。分かるでしょ? それを、やれ昼間から脱ぐな、服をたため、勝手にベッドに入るなって……ルートヴィッヒは秩序に取り憑かれてるんだ。カチカチなの、茹でる前のジャガイモみたいにね!だからモテないんだよ、せっかく男前なのにさ。ねえなまえ、こんなムキムキ放っておいて俺とサッカーでも見に行かない?」

フェリシアーノはべらべら喋りながらテーブル脇を通ってくると、なまえをぎゅっと抱きしめた。子供のような遠慮のなさになまえは体をこわばらせたが、すぐにぎこちなく背中を叩いてやり、そしてルートヴィッヒのほうを見た。

「……ずいぶん、可愛らしい人ですね。何云ってるのか分からないけど」
「フェリシアーノ。英語かドイツ語で話せ、通訳しきれん」

ため息とともに近づいてきた隣人に離されるも、彼は「Sorry!」と人懐こい笑みでにっこりしている。そうしてまたなまえの手を握り、イタリア語訛りの英語(のようなもの)で楽しげに喋りはじめた。動きに合わせて、飛びでた栗色の巻き毛が揺れる。なまえはこの”隣人以上に得体の知れない生きもの”に圧倒されつつも、どこか微笑ましい気持ちで相槌をうっていた。

 フェリシアーノは紛うことなきイタリア人である。ヴェネツィア在住で、ときどきこうしてドイツへ遊びに来るという。豊かな表情といい、大げさな言動といい、隣人とはまるきり正反対のタイプだ。今はきちんと衣服で覆われているが、体躯もどちらかといえば華奢なほうだろう。年端のいかない少年のような、中世的で美しい顔立ちをしている。そんな人物が半裸で部屋から現れたら、誰しも頭をよぎるのは――

「云っておくが、違うからな」

ルートヴィッヒは「俺たちはそういう仲じゃない」ときっぱり云い放った。もちろん、なまえは何も口には出していない。有無を云わさぬ威圧感に黙ってうなずいたが、こんな反応を見るのは初めてだ。

 「ええと。それで、ふたりは一体どういう繋がりなんです。ご学友?」

文法の怪しい英語を繰りだして「relationship」と呟くと、フェリシアーノはちょっと考えてから、ああ、という顔をして「relazione」と云い直した。

「俺たち幼なじみなの。ちっちゃいころ近所に住んでてね」
「bambino、子供? 長い付き合いってこと?」
「そうそう。ほら、あれにも写ってる」

ホット・チョコレートのマグを置き、フェリシアーノは軽やかに立ち上がった。そうして、本棚にある写真立てを手に戻ってくる。なまえが以前にこの部屋で見た、あの古ぼけた写真が入ったものだ。

「ええっ、もしやその可愛い女の子って……」
「これ俺だよー!懐かしいなあ、オーストリアにいたの。こんな昔の写真、おまえよく大事に持ってるねえ」

嬉しそうに笑いかけるフェリシアーノから、ルートヴィッヒは、ふい、と目をそらした。眉間に皺を寄せて、いつになく険しい顔で――たぶん、怒っているわけではない、狼狽しているのだ。なんとめずらしい、となまえは興味深い思いで彼を観察した。少し前までは朴念仁のように思っていたが、この隣人の表情は、実際には様々に変化する。それが、彼の情がわずかながら自分へ向けられはじめたせいか、なまえのとらえ方の変化によるものかは分からないが。おそらく両方だろう。

「このとき俺、よく女の子みたいなカッコしててさー、ルートヴィッヒもはじめは間違えてたんだよ。いじめられて泣いたら飛んで来て、いっつも守ってくれたっけ」
「……おい。少しうるさいぞ。お前もう、それくらいに……」

ルートヴィッヒの淡い青の目が、ぐっと大きくなった。

「俺たち、初恋の相手同士だったんだよね!」

言語の混ざった妙な文章でも、大体の意味は分かる。なまえが目を細めて微笑みながら「ohne scheiße(マジでか)」と呟いたのと同時に、向かいに座るルートヴィッヒが勢いよくむせ返った。



 

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