ゆっくりと流れていく川はいつだってゆるやかだ。溶けて流されていくような景色に何かを感じるようで感じない。とりたててすばらしくもない、なんともない景色に心を動かされるほど星野の環境は甘えを許してくれはしない。たとえばこれがほかのチームメイトであったのならできることかもしれないけれど、線を引くことが自分にとっては最適であると、なんとなしにかたく信じている。ぎこちない夕焼けが影をのばして人を追う、それに気づいて立ち止まった。
 まあ、と息を吐いた。――隣でいちいち立ち止まる人間がいては線を引くも引かないもあったものではないのだけれど。

「ホシノ、カワ!」
「そうだな川だな」
「ヒト! イヌ! サンポ!」
「そうだな人が犬と散歩してるな」
「……キイテナイネ、ソノクチブリ!」
「俺の口ぶりは至って真面目だ」
 イタッテ、ッテ、ナンデスカー! ぺしぺしと腕をたたくジェスチャーをさせて、先ほどから立ち止まったり、指さしたり、止まることはない動作をしている韓国人ストライカーはきょとんとまなこを動かした。やわらかな髪が風に揺れている。
 すくなくとも、痛いことじゃない。至って、の意味を考えながら星野はつぶやいた。ナンデワカッタンデスカ! ぐるぐると回る目を見ていればすこしだけ息がもれる。わかりやすいんだよ、おまえは。いつもピッチでも指摘することを呆れながら言うと今度は耳をぐいっと引っ張って彼は笑う。
「ミミタコ」
「……そういうどうでもいい慣用句だけ覚えるなっての」
「デモコレ、ホシノガ、オシエテクレタコトバ!」
「あーはいはい教えた俺がバカだったよ」
「ソウダネー」
 くっそお前わかってんじゃねえのか。殴るそぶりをする星野に昌洙はけらけらと笑う。その、手が触れるか触れないかの距離。微妙な距離をたもって道は続いていく。お互い距離感をはかることだけ、妙にうまくなっているのだから仕方ない。
 あ、と言いたげに昌洙が顔を輝かせて不意に視線を横に向けた。何があったのだろうと視線を追って思わず笑った。ナンデスカ、と怪訝そうに戻った視線にいや、と首を横に振って、それから同意を表わそうと縦に振る。一瞬考えたように昌洙の表情が真面目になったが、おんなじ、と星野がゆっくりと言えばすぐにそれはほどけた。同時に星野もゆるめていた歩みを完全に止める。並んだ二人の視線のむこう、河川敷の開けたスペースの中、ボールを一心に追いかける少年たちがいる。――これなら、心動かされても仕方ない。
 しばらく見ていたが、河川敷でボールを蹴るこどもたちは明確にチームが決まっているわけでもなく、ただ橋の下のコンクリートをゴールに見立ててボールを蹴りあっているらしい。むかしの自分ならそれでも尚まっさきにゴールキーパーに名乗りをあげてしまうのだろうか。何となく苦いようなくすぐったいような、そんな気持ちにおそわれていれば昌洙もくすぐったそうに口をほころばせた。
「カセンジキデ、サッカースルノ、スキデス」
「へえ、お前も?」
「ニホンノマンガ、ヨンデマシタ」
 へへ、と笑う面影のどこかにむかしの彼の姿はあるのだろうか。アルバムすらも知らない星野にはうかがい知ることはできないけれど、それでもどこかに見える気がして、そっと手を伸ばす。先ほどまで揺れていたやわらかな髪にふれた。そのままぐしゃぐしゃとかきまぜていれば、昌洙は小さく歯を見せて笑う。
「ホシノ、」
「何だ」
「ホシノ、ワタシノコト、コウスルノスキ?」
 すべてをわかったように呟く昌洙の肩のむこうに、一番星がきらめいていた。初めて彼の髪にふれたときと同じだとなんとなく思う。その光景に、心を動かすことは、できるだけしないでおこうとも。
「まあ、普段お前が反対側でゴール決めてもこっちじゃできない分しておこうかなって思っただけ」
「……ヨクワカラナイケド」
 わからないなりにも、とりあえずはぐらかされたことはわかったらしく、昌洙はわざとらしく咳をしたあとするりと星野の手をすりぬける。まるでとりこぼしてしまったボールのように届かない距離にいつも戸惑うけれど、しかしそれを告げてしまえば終わってしまうことを星野は知っているから、ずっと奥にしまいこんだままの声が星野の喉を揺らぐことはきっとない。





近いようで遠いのが星 20120118

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「ほしかん!2nd」さまに提出させていただきました
ゴールキーパーとフォワードで、日本人と韓国人で、気難し屋とムードメーカーで、それでもひかれあっちゃう二人にキムチを送らせてください!/依田

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