白い鯨は海を行く。
色鮮やかな世界を映し、幾人もの猛者をその背に乗せて。
白い鯨は海を行く。

『ぎゃああああ!!!』

断末魔を引き連れて。



穏やかな航海は、ここ数日続いていた。
しかしそれは、とある客人が途中の海で転がり込む前の話である。
その客人というのも変わり者…というより、むしろ人扱いをしていいものかとどうでもいいことに思考を飛ばしながら、マルコは騒ぎの起こったバスルームへやって来た。

「ひぃぃっ」
「畜生あのアマ…!!」
「今度は何だよい!」

マルコが叫べば扉の奥は騒ぎを増した。
畜生、アイツをこの船に乗せたのが間違いだった…!
ガラリと扉を開けば、足元から一気に冷気が突き抜ける。

「やぁん、乙女の入浴中になぁに?マルコってばムッツリ?」
「はぁ…お、ま、え、ってヤツァ…!!」
「さささ先にはははいったのは、お、おおおれら、だだだ」

ガチガチと歯を鳴らし、まるで氷山のようなバスルームに頭を抱えた。
その中心の氷風呂で一人楽しそうに笑う女を避けるように、両端に仲間達が素っ裸で凍えてる。

「私が入りたい時にお風呂を開けてよ、女にとって入浴タイムは一番大事な、のっ」

ザパッと女が氷風呂から体を上げると、瞬時に冷気が彼女にまとわり付き、彼女がふわりと床に降り立った時には彼女は白い着物に身を包んでいた。

「気持ちよかったわぁ、マルコも次はどう?」
「遠慮するよい、まだ死にたくねェもんで」
「やだやだ、私マルコにだったら全てを捧げたっていいのよ?」

そもそもお前は人間じゃねェだろい、という言葉は飲み込んだ。
彼女は別に能力者というわけではない。
彼女は、おれが拾ってしまった雪女という妖怪だった。
そもそも妖怪なんて信じてはいなかったが、決定打となったのはオヤジの一言だった。

グラララ、昔とちっとも変わりゃしねェなァ…ナノ!
やだ、エディ坊やがこんな老けたの?

坊や、オヤジに向かって、坊やなんぞと言ってのける。
おれ達は目を白黒させるしかなく、オヤジの一言でこの雪女の乗船は決まった。
拾ってしまったのはおれだが、今となっては後悔しかない。
ぱっと見は普通の女…より、よっぽど美人なのだから仲間は皆浮かれていた。
だがしかし、これはどうだ。
乗り込んでからというもの、毎日どこかで必ず悲鳴が上がる。
しかも一回や二回ではない。
一日に十何回と聞くのだ。
いい加減にしてくれ…と、頭を悩ませて少し隙を見せると、ふっと耳元に冷たい吐息を吹きかけられた。
そのあまりの冷たさと近さに一気に距離を取ると、ぷくりと小さく頬が膨れた。

「あん、そんな距離置かないで」
「誰のせいだよい、誰の」
「寂しいのよ、相手してよ」

その言葉にピタリと止まる。
確かにこの女は、おれやオヤジよりもずっと長生きしてきたのだろう。
見つけた時も、一人氷に囲まれた世界で膝を抱えていた。
声をかけて、上げられた顔の美しさに息を飲んで。
だけどすぐに、それはこの世のもんじゃねェなと思ったのは…その女の髪の先から指先まで、全てが氷と同じぐらいの冷たさだったからだ。
普通であれば、死んでいる体温。
何故、妖怪がこの世に存在しちまったのか。

「お前…雪女ってェのは絶対消えないもんなのかい」
「いいえ?何人かバカな人は、人の優しさという熱で溶けて消えたわ。だけど、私はそんな柔い熱じゃ溶けない」
「ほう、優しさならもらってきたってことかい」
「そうね、それでもいつだって私の冷たさが上回って…」

どこか遠い目をしたコイツは、きっと限りなく人間に近いのだろう。
恐らくその中で、愛してしまった奴もいたはずだ。
それを、己の腕の中で氷漬けにしてしまったのだろう。
きっと、流れた涙もコイツのは氷の粒だ。
ゆっくり、じわりじわりとしか溶けていけない。
溶ける前に、熱が死ぬ。

「…なるほどねい、だからおれかい」
「っきゃ…マルコ?」

雪女の冷たい腕を引っ張り、自室に連れて行く。
連れ込んで扉を閉めた途端、雪女の目はすっと細められた。
足元からパキパキと氷が広がり、あっという間におれの部屋は氷漬け。

「おいおい、大事な書類もあるんだがねい」
「あら、私は雪女よ?そんなの、知ったことじゃないわ」

心も凍った雪女。
しかしお前は、愛を知ってる。

「おれはこんな風にゃならねェよい」

未だに掴んでいた腕から、徐々に青い炎が上がっていく。
雪女の瞳にも、ゆらりと揺らめく炎が映った。

「…だからおれが見つけた時、あんなに嬉しそうな顔をしたんだろい?」
「…美しい炎と、こんな男前、中々いないでしょう?」
「おれはお前に氷漬けにゃされねェ」
「でもあなたには弱点だってある」
「それはお前もだ、ナノ」
「ふふ、生意気」

氷の世界で揺らめく青い炎。
熱のないそれが、彼女を溶かす唯一の炎。
彼女をただの女に戻せる、唯一の方法。

白い鯨は海を行く。
氷の女をその背に乗せて。
白い鯨は海を行く。
いつか叶える願いを乗せて。
白い鯨は今日もまた、

「ぎゃあああ!!」
「ナノテメェまたか!!」

賑やかに海を進んで行く。


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