長坂の戦い


(※三国志パロ)

長坂の戦い/趙雲シャンクス






疲れきった民は子を抱き、老人を連れ、剣の代わりに桑を持ち、必死に動かぬ足で一歩を踏む。

人望とその思想を持って立ち上がったこの軍は、強者も幾らかはいるが、今はあの軍勢を前に数万の民を連れ退路を急いでいる。何度も窮地を乗り越えたが、誰もが無理があると消沈しながらの命からがらの道であった。


「大変です!!!護衛がはぐれ、お子達が敵地に取り残されております!民家に匿われていると!」


どちらを捨てるか。
答えは恐らく。
あの目は国中の民と引き換えにする覚悟。


「平安な世のため民を導く。何がなんでも逃げ切らねばならん」



それにしても。こんな時にあの野郎は何処へ行きやがった。まさか寝返ったんじゃねぇだろうか。 元から何を考えているか解せん奴だ。


「追っ手ならこの俺が派手に散らしてきてやる。………あの野郎、紛れて下ったんじゃねえだろうな」


「バギー、そんな事を言うな」

「艱難を共にした仲だ。志操は清きこと雪の如く、その血は鉄血のような武人。…信じる。なんであの男が富貴に目をくらまされて、その志操と名を捨てる」



追っ手を迎え撃ち自軍を逃がすため、長坂橋まで引き返す。あの人はああ言った。しかし俺は信じちゃいない。待つ。待って確かめてやろうじゃないか。


長坂橋に仁王立ち、
目前に現れたは疑いの男。
しかしその姿は血まみれで一人の子を抱いていた。


「おいてめぇ」
「頼む」
「待て…戻れ!!」
「エースを連れてあの人達の元へ必ず逃げ帰れ」


瞬く間に踵を返し、
その影は赤兎の如く小さくなっていく。



「そうか……このバギー、ここを通る者は全て叩いてやろうじゃねぇか」


長坂橋に立つ男の影一つ。
その男の胸からはもう疑心は消えていた。




「シャンクス様!お子はこちらです!」

かくまっていた二人の子を連れて民家の土間から女が顔を出す。幼子の方は敵陣の荒波を受け、既にぐったりと布を垂れたように男児に抱かれていた。


「よくぞ守ってくれた…さあ行くぞ!」


恐れは無かったのだろうか。
男児の顔はやけに男気に溢れている。
こちらがどれほど差し延べようとも、その手を取ることは無かった。


「俺達二人をどうやって連れ帰るんだ!その体で!俺が馬に乗れば貴方はルフィを抱いて敵陣を歩く事になる……………ルフィを。この命にかえて大事なこの子を。頼みます」



待てと叫ぶその声は、全てを託す覚悟を前に届きはしない。男児は民家の庭の井戸に飛び込み、自害したのだ。

満身創痍の腕は震えた。
まだ幼い男児が守った赤子の命は余りに重い。しかし必ずあの橋を越えねばならない。駆けどおしに駆け、その憤りは全て、布陣を敷き伏兵を持って襲い来る数千数万の敵と、襲い来る猛将達への闘志に変えた。



そして
一人の男が立つ長坂橋。
その男もまた傷だらけであった。

一人目の子を無事届けた後この地へ戻り、逃げ行く自軍の末尾を追う敵将を倒し、退却させ。一度は疑った同士の赤髪を待っていた。そして現れたその姿に絶句する。白い身ぐるみは鮮血で真っ赤に染まり、つき立つ矢をそのままに、こちらを真っ直ぐと大きな眼で見据えていた。


「てめぇ…」

腕の中にあるのは一人の赤子。
血にまみれた腕から赤子を受け取ろうとすると、硬直した様に固く震える腕が中々に離さない。やっとのことで子を受け取り自軍へと二騎で駆け出せば、横の赤髪は手綱を持つ手すらぎこちない程だった。

もう一人の子は聞く迄もない。この姿で、死ぬ気でやっと先の子エースとこの赤子だったのだ。もう言ってやることは何もない。後は我らが戻るべき場所へ帰るだけだ。しかしどれほど駆けた頃か。横を走っていた馬は徐々に後ろを走り、次に振り向く頃にはまた姿を消していた。



鬼神と化した男は一人、
先の倍は溢れる軍勢を相手に来た道を駆け抜ける。民家の井戸を目指して、決してあの血は絶やすまいと。



「ロジャー!ドラゴン!貴方方のお子は三人、皆連れ帰った!」



無事、からがらに逃げ切った民達は、将は、皆抱き合い互いに涙を流す。そしてこの男が救った未来の血は、父達を習うように清く、逞しく、大きく成長を遂げ、桃園にて兄弟の盃を交わしたという。そして代が変わると国を賢く導き、乱世を乗り越えた三兄弟が三国を統一したのだった。





end.






▼三国志
長坂橋の戦い:曹操軍 vs. 劉備軍

数万に及ぶ民衆を引き連れての行軍は一日で数里しか進まない。しかも、それを護衛するのはわずかに二千騎。

曹操軍は一日に三百里という行軍速度で江陵へ逃げる劉備軍を追撃する。そして当陽県付近で曹操軍に追いつかれた劉備軍は、まさに人生最大の危機を迎えるのである。

【概要】
当陽県付近で追いつかれた劉備は先鋒の文聘を 舌先三寸で退却させ、文聘の後からやってくる 許以後の曹操軍を張飛が必死に防いでいた。

その間に劉備は必死の逃走を続けるが、追手は 次々にやってきて止むことはない。そして、気がつくと糜竺や簡雍らとも離れ離れとなってしまう。 そのとき、矢傷を負った糜芳が趙雲が心変わりをしたと進言する。

劉備はそれを信じなかった。この場面で吉川英治は劉備に「趙雲とわしとは、艱難を共にして来た仲である。あの男の志操は清きこと雪の如く、その血は鉄血のような武人だ。私は信じる。なんで彼が富貴に目をくらまされて、その志操と名を捨てよう!」と言う発言をさせている。
しかし、張飛は趙雲が裏切ったと思い込む。そこでわずか20騎を率いて長坂橋の上で仁王立ちをするのであった。

実はこのとき趙雲は、
阿斗と甘・糜両夫人の捜索にあたっていたのである。この時の趙雲は鬼神の如き奮戦をする。
最初に曹操の寵臣である猛将の淳于導を斬って糜竺を救出、その後に甘夫人も救出して長坂橋で待つ張飛の元へ 送り届ける。
ここで、張飛は趙雲が曹操軍へ下ったのが嘘だとわかって陳謝する。

趙雲はそのまま馬を引き返すと阿斗と糜夫人の捜索の為に曹操軍の中へ突入する。その際に夏侯恩を斬って"青?の剣"を手にし、民家付近で倒れている糜夫人と阿斗を発見する。

糜夫人は、趙雲に阿斗を託して自殺をし、趙雲は阿斗を抱いたまま再び劉備の元へ戻ろうとする。その時に趙雲は立ちふさがった四人の将を斬って辛くも退却に成功する。そして疲れ果てた趙雲は張飛にすべてを託し、阿斗を劉備に手渡すのであった。

そして阿斗をみた劉備は、阿斗を草むらに向かって放り投げ、『一子はまた生むも得られるが、良き国将はまたと得がたい。』と言い、これを聞いた趙雲は「肝脳地にまみるとも、このご恩は報じ難し」と言って涙を流した。


一方、曹操や曹仁、夏侯惇を始めとする諸将が 長坂橋に到着をするが、曹操らは張飛の気迫と孔明の計略を恐れて近づくことができなかった。

その後、曹操は後から追いついた張遼に諭されて長坂橋が焼き落とされていることを知る。そこで曹操は劉備軍の兵力がないことを確信して猛追を始めるが、 "当陽→眄陽→漢津→ 江夏"とにわかに退却路を変更した劉備軍は関羽らと合流してしまう。こうして曹操軍は劉備をあと一歩まで追い詰めたが逃す結果となり、 あの有名な赤壁の戦いへと移っていくのである。


▼息子 阿斗
阿斗はその後父の劉備の徳を受け継ぐことは無かった。暗君として有名で、【名の 阿斗はアホの語源にもなりました。中国では今でも無能な跡取りを「阿斗」と 言います。】
成人した時にはもう曹操孟徳はもう老いていたため、戦う事はありませんでした。( 阿斗は戦争にでた事すらありません)しかし20年以上帝位についていた事から、悪という訳ではなかったと言われています。

▼三国志 その後
最大のライバル曹操は死に、劉備もすぐ戦に負けて病死。後を託した諸葛亮も志半ばで死んで、その30年後には息子 阿斗が降伏して蜀滅亡。

その後、魏と呉のどちらかが統一するのかと思いきや、魏でクーデターが発生、そこから起きた晋という国が天下を統一する。


【桃園の誓い】

「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年、 同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん」

桃園の誓い(とうえんのちかい)は、
桃園結義(とうえんけつぎ)とも称され、

劉備・関羽・張飛の3人が、宴会にて義兄弟(長兄・劉備、 次兄・関羽、弟・張飛)として生死を共にする宣言を行ったという逸話のことである。



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