日だまりみたいな少女の話



別になんて事のない、いつも通りの日だった
いつも通りにマルコと食堂で酒を飲んでいた。
ちょっと違うのは、いつもより上等な酒だった事。

最近立ち寄った島で手に入れた美味い酒。
勿論一番いい奴は親父に進呈したさ。
まぁ、とにかく美味い酒。
だからマルコがいつもより饒舌でも
然程気にも止めなかったってわけだ。



「…なァ、サッチ」
「んー?」
「酒の肴に、してやろうか」
「何をだよ」
「この地に伝わる面白い昔話だよい」
「へー、お前ンなの知ってんのか」
「まあねい」


どことなく楽しそうなマルコの表情に
別に断る理由もなく、おれはただ黙って話に耳を傾けた。



「むかーし昔ある所に、鳥になれる少年がいました」
「え、おいそれって…」
「…ンだよい」
「なんでもないです」



それってお前の事じゃねぇの?と聞こうとしたが、
マルコにぎろりと睨まれて口を閉ざした。
よく考えてみたらコイツが自分の過去を話すわきゃねぇし、だから本当にこの地の昔話なんだろうなって。まぁ野暮な事はいいっこなしだな、と今度こそ黙ってた。





─────

むかーし昔、あるところに
鳥になれる少年…いや、少年になれる鳥か、
まァとにかく、不思議な実を食っちまって
空を飛べる様になった不思議な少年がいたんだ。

村人は、少年を邪険に扱い
それはそれは疎ましく、恐怖さえ覚えていた。
村人だけでなく、少年の両親も。

だってその少年は、
空を飛べるだけではなく

他の鳥にはないような青く染まった体で
どんなケガをしても
すぐに治ってしまう体だったからねい…。


『バケモノ』『バケモノ』『バケモノ』
心ない言葉が、少年の胸を抉る。
少年の力をもってしても、
何故だか胸の傷が癒える事はなかったんだよい。

痛い、痛い、苦しい
心が悲鳴をあげて、
けれど、少年がどんなに泣こうと、喚こうと
手を差し伸べる者は一人もいなかった。
実の両親でさえ、少年を捨て、
何処か遠くへ行っちまった。


段々と少年の心は荒んでいき、
ある日を境に笑わなくなっちまったんだ。
笑えなく、なったの方が正しいかも知れねぇな。
心が凍り付いちまったんだ。


少年は
来る日も来る日も空を飛んでいた。
空を飛んでいる時だけは
気持ちが晴れやかになる気がしたんだろうねい…。


いつもの様に空の散歩を終えて
ふと、枝に止まった時の事。
ベッドに腰掛けた一人の少女が少年を見上げていた。

少年が止まった枝は
少し大きなお屋敷の庭に生えていた木で
その止まっている枝は
お屋敷の一角にある部屋が良く見える場所だった。


少年は見られている事が嫌で
すぐに飛び立とうとしたのだが
何故かその少女から目が離せなかった。

村人のように、両親のように
恐怖で染まった目ではなく
ただただ優しく見つめるその瞳から。



『…きれいね』
『ッ、』



綺麗
それは初めて言われた言葉で。
たった一言だけなのに
凍っていた心が少しだけ溶けた様な気がした。


『おいで』


少女がその小さな手を伸ばして少年を呼んだ。
けれど、それがなんだか怖かったんだ。
誰かに縋りたかった筈なのに
一歩踏み出すっつー勇気を失っていたんだねい…。

少年は目をぎゅっと瞑り飛び立った。
少女が泣きそうな顔をした事に
気付かないふりをして。



少年はただがむしゃらに飛び続け
ざわつく心を落ち着かせようとしたが、
どんなに忘れようとしても
脳裏から少女の眼差しが消えなかった。

きっと物珍しかっただけ、
捕まえて売り飛ばしたいだけ、
そう必死で言い聞かせるのだが
少女が気になって仕方がない。



『またきてくれたのね』
『…、』



気付いたら少年は、
次の日もお屋敷に来ていた。
少女は昨日と変わらずに
優しい目差しで少年を見ている。

やっぱり。
また少し心が溶け出した気がした。

少年は昨日よりも一歩、近付いた、
枝だった居場所を、窓枠に移して。

すると少女はふにゃりと笑った。



『…おいで、』
『……っ、』



少女が立ち上がり、少年に一歩近付いた。
今度は、逃げなかった。
少女がまた一歩近付いて窓を開ける、
すると少年はビクリと震え飛び立った。

怖い。
この少女が自分に害を為すとは思えない、
けれど、体に染み付いた恐怖は
自然と少年の体を動かした。


あぁ、また、
少女が泣きそうな顔をした
今度は忘れようとはしなかった。
だってぽかぽかと暖かかったのだから。



『いらっしゃい』



少年は次の日もお屋敷に来て、
今日は初めから窓が開いていた。
恐る恐る、一歩、近付いた。
部屋の中の、テーブルの上に。


逃げなかった少年に
少女はふにゃりと笑顔を見せた。
それはそれは暖かい、眩しい笑顔を。

なんだか、擽ったかった
なんだか、むず痒かった
なんだか、嬉しかった


この少女を見ていると
心がどんどん溶けてくる。
完全に溶けきったら
また笑える様になるのだろうか。


少年は
毎日毎日、お屋敷に来ていた。
一歩、また一歩と
少しずつ近付きながら。

初めは枝だった
次はテーブルの上だった
椅子に移動して、
ベッドサイドのテーブルへ。

一歩一歩、少女に近付いた。
少女は決して無理に捕まえようとはせず
ただ黙って微笑んでいた。


何をするでもなく、
しんとした空間だった。
少年は、少女の側で羽を休めるのが日課になっていた。
そんな事が続いたある日の事。



『さわってもいーい?』



少女は、少年が実は人間だと言うことを知らない筈
それなのに。
ちゃんと少年の意思を尊重するかのように
小首を傾げながら訊ねた。

少年は迷った、
迷ったけれど、クルルと小さく鳴いて
少女にすりよったんだ。

小鳥なんかじゃねぇ、
少女と同じくらいあるでっけぇ鳥がすりよったのに
恐れる事なく、少女はふわりと撫でた。



『あったかいね』



少年の羽毛に顔を埋めながら
少女は嬉しそうに呟いた。

あったかい、
少年も同じ事を思っていた。
あぁ、人の温もりってこんなに気持ちよかったのか。

少年は少女に気付かれぬよう、
ポトリと一粒涙を零した。
まるで凍り付いた心の、
最後の欠片が出ていくように。


それからの少年は
前より少しだけ、ほんの少しだけだけど
勇気を持って近付くようになった。


雨の日も、風の日も、雪の日も
毎日毎日、少女の元に通った。

雨が降ってたって冷たくない、
風が強くたって気にならない、
雪が降ってたって、寒くなんかない。

少女と過ごせるのなら
どんな悪天候だって気持ちがいい。
空を飛んでいる時みたいに
心が軽く、晴れやかになる。



『ともだちのしるし、わたしの好きないろ』



少女は少年に
端切れで作った輪っかをくれた。
とても上等な、真紅の端切れ。
それを少年の足にくくりつけてくれた。

伸びのある素材だから
きっと人間姿でも大丈夫だろうな、千切れねぇなと
少年はなんだか嬉しくなった。

少女は自分の腕にも腕輪をつけた。
まるで少年の羽の様な
何処までも澄んだ青色の。


ともだちのしるし、
うれしい、うれしい、あたたかい。
少年は、この少女が大好きになっていた。
この、日だまりみたいな少女の事が。



そんな穏やかな日々が続いていたある日の事。




『あなただぁれ?』

『…っ、』




少女の隣で寝入ってしまった少年は
いつの間にか人の姿になっていた。
バレないように、バレないように、
嫌われないように、嫌われないように。

必死で隠していたのに、
懸命に鳥を演じていたのに。

心を許しすぎちまったんだろうな。


全身の血の気が引いたように冷たくなって、
村人や両親に言われた言葉がフラッシュバックする。

『バケモノ』

カタカタと震える体
あぁ、折角居場所を見付けたのに
もう、ここには来れない。

そう少年が考えて
逃げ出そうとした時だった。
少年の足にくくりつけた真紅の輪を見て
少女はパァッと笑顔になった。



『すごい、人間になれるのね』

『?!』

『人間になれるの?鳥さんになれるの?』

『あ…』

『どっちでもいいわね!』



だって、あなたはあなただもん。

そう言って少女は
いつもと変わらない笑顔を見せた。

もう、少年には前が見えなかった。
ただただ泣きじゃくり、
嗚咽を漏らす事しか出来なくて。

そんな少年の背中を、頭を、
少女は優しく撫で続けた。



『またあそびにきてね』




その言葉が嬉しくて
少年は毎日、少女の元に通った。
鳥の姿で、人間の姿で。
どんな姿で現れようと
少女は暖かく迎え入れてくれて
少年は心から笑える様になっていた。


くる日もくる日も通い続け
少年は、もう少年ではなくなっていた。
まだ青年ではないけれど、
ちょうど少年と青年の中間で。

もちろん少女も
段々と女性のそれに近付いていた。



毎日は変わらなくて
それがずっと永遠に続くと思っていた。

けれど。

ある日、少女はいなかった。
いつもなら窓を開けて待っていてくれるのに、
閉め切られた窓に、覆われたカーテン。

少年はクルルと鳴いて
しばらくその場で旋回していた。
けれど窓が開かれる事はなく、
あきらめてその日は帰ったんだ。


次の日も、
その次の日も次の日も。
少年は少女の元に行くけれど
決して窓が開かれる事はなく。


嫌われたのか、何かあったのか。
心配で心配で、悲しくて。

それでも毎日たずねて行った。

雨の日も、風の日も、雪の日も。
どうしてだろう、
雨が冷たくて、
風に飛ばされそうで、
降り積もる雪に凍えてしまいそうで。

あぁ、こんなにも
少女の存在が大きくなっていたなんて。


毎日毎日、少女の元を訊ねるけれど
窓は今日も開かない。
段々と庭も荒れ果てて来て
誰もいない事はわかっているのに。


それでも少年は諦めなかった
また窓が開くんじゃないか、
少女が優しく迎え入れてくれるんじゃないか。

そう思っていたのに。


空を飛んでいると
噂話ってのがよく耳に入ってくる。

どうやら少女は、もういない。
借金のカタに売り飛ばされちまったんだ。
少年は信じられなくて、信じられなくて
信じたくなくて。

それでも毎日、通っていた。
窓を嘴でコツコツ叩いて、
ほら来たよ、また遊びに来たんだよ、
そう少女に知らせるように。


食事もろくに採れない、
夜もろくに眠れない、
それほどまでに少女が心配で。

段々と少年の体は弱ってきた。



『…かわいそうに』



いつものように
窓をコツコツと叩いた後、
少年はついに力尽きて庭へと落ちた。

そんな少年の耳に入ってくる言葉、
どうやら少女の遠い親戚で。



『どうしてあの子がこんな目に、
 本当に、天女のような子だったのに

 あの子の服の端切れじゃないか…
 
 鳥にまでこんなに愛されて
 ねぇお前、あの子はもういないんだよ
 
 …生きてるかすらわからないんだ
 
 諦めて仲間の元へお帰り…』



少女は死んでしまったのだろうか、
それなら自分も死んでしまおうか。
だって自分には
少女以外に心を許せる者はいない。

死んでしまったら
そうしたら

少女と一緒の墓に入れるかも知れない


そう思ったのだけど、
ふわりと風が吹いて、
少年の足に突いてる端切れを揺らした。

まだ生きてるよ、
私はここにいるよ、

何故だか少女がそう叫んでいる気がして
少年は動かない体に鞭打って
再び空へと舞い上がった。


探そう、
どこにいるかもわからないけれど
とにかく探そう。

幸い自分は空を飛べるのだ
海だって越えられる。


誰からも見捨てられた自分を
日だまりみたいに包み込んでくれた少女、
居場所を与えてくれた少女、
凍り付いた心を溶かしてくれた少女。

今度は自分が少女の居場所になろう
少女の日だまりになろう、
少女を優しく包み込んであげよう。


その思いだけで羽ばたいた。
息が上がっても
羽が千切れそうになっても
少年はひたすらに飛び続けた。



でも、
やっぱり見付からなかった。

ただでさえ弱っていたのに無茶をして
段々と少年の意識は朦朧となる。
目を開ける事すら辛い筈なのに。

少年の体を動かしていたのは
少女との暖かい思い出だけ。



突風が少年を襲い、
呆気なく体は地に落ちた。
もう、羽の先さえ動かせなくて、
それでも浮かぶのは少女の笑顔だけ。

あぁ、もうダメだ
自分はこのまま死んでしまうんだろうか。


そんな時だった。


フワリと少年の体が浮いて
暖かい何かに包まれた。

もう目もろくに見えないから
それが何かはわからない。
けれど、
本当に暖かくて、心地好くて。

もしかしたら
神様がお迎えに来てくれたのかも知れない。
天に召される時が来たのかも知れない。

あぁ、ごめんなさい。
見付けてあげられなくて、ごめんなさい。
助けてあげられなくて、ごめんなさい。


段々と薄れゆく意識の中で
少女の笑顔が見えた気がした。

それが、少年の、最後に見たもの。

こうして鳥になれる少年は
最後まで少女の事を探しながら
温もりに包まれて
母なる海へと還って行った。


この日、
真紅の輪を揺らしながら
たった一人の友人を泣きながら探す
一羽の鳥が、いなくなった。


おしまい、だよい。


───────


「マ、ルゴでめぇ…!」
「…ンだよい、汚ねぇ顔しやがって」
「何が面白いだよ!がなじい話じゃねぇが!!」


マルコの話を聞き終えたおれは
そりゃもう酷い顔になってたと思う。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃで男前が台無しだ。


「そ、それで少年はどうなったんだよ!死んだのか?!」
「おれが知ってるのはここまでだい」


ああああ、救われねー。
なんだってこんな話を…!


「さて、おれはそろそろ行くよい」
「どこに」
「***が迎えにくんだよい、悪ィか?」
「悪かねーけどさぁ」


人をこんだけ泣かしといて自分は女とイチャコラですかそうですか。なんて事は怖ぇから言えねーけど。昔話はすげー悲しかったけど、なんつーかこれが伝わる事によって少年と少女の生きた証と言うか、そんなのがずっと忘れ去られないで行くなら少しは報われるのかも知れないな、と思った。


「あ、マルコお待たせー」
「遅ぇよい」
「ごめんごめん、集中し過ぎた!」
「あんま根詰めんなよい」
「だってこんなボロボロなんだもん」


あ、サッチこんばんわー!とへらりと笑った***に、ぐちゃぐちゃの顔を見られて思わず苦笑する、が。
マルコの腰布を差し出す彼女を見て、
ドクン、と一つ胸が大きくなった。



「マルコ!一個だけ聞かして」
「あァ?ンだよい」
「その少年…、鳥ってさ、」





鳴き声『よい』じゃねぇ?って聞いたら
マルコはもう本当にいかにも海賊みてぇな、
すげー悪そうに唇のはしっこを吊り上げてさ。


「さぁねい、おれァ知らねぇよい」


っつって、
笑ったんだよなぁ、マルコの奴。
上手く言葉にゃ出来ねぇけど
胸ン中がこう、ほっこり暖かくなった。



その暖かさを噛み締めながら
マルコの肩に添えられた***の腕に着いてる青い輪と、修繕された腰布に縫い付けられた真紅の端切れを眺めて。

あぁ、おれやっぱコイツら好きだなって思った。







───

千葉県民話
『ツバメを愛した娘』より。



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