銀さんと姉上が、いわゆる男女のお付き合いをはじめた。四人で食卓を囲んだ折、やけに改まった様子の二人から知らされたのだ。

「心配しないで。なにも変わらないわ」

 青天の霹靂とも言うべき知らせに戸惑いを隠せないでいる僕や神楽ちゃんに向かって姉上が言う。四人をかこむ輪のなかに、元々いくつかの小さな輪があって、さらにもひとつ輪が増えただけなのだと。これまで四人で形を成していたものが急に無くなるわけじゃない。
 いいとしした大人同士が交際するのにわざわざ身内へ知らせる義務は無いはずだ。僕らに内緒で付き合う選択肢もあったのに、銀さんと姉上は、そうしなかった。律儀な報告は僕ら四人の関係を思いやる彼らなりの誠意なのだと、そう頭で理解した瞬間、僕の胸はきゅうと苦しくなった。
 自他ともに認める重度のシスコンである僕は、いつか姉上が惚れた男を連れてくる未来を想像し、抵抗し、遠ざけようと必死だ。相手がどれほど善良な人間だろうと僕にとっては、大好きな姉上をかっさらってしまう憎たらしい存在だ。
 一方で、無条件で憎しみを向けてやれるほど僕にとって銀さんは他人ではいられない。家族と思ってくれていいですからねと、かつて僕が銀さんに向けた言葉を思い出す。あの発言を覆すつもりはない。この人が本当の家族だったらいいのにと思う瞬間は数えきれないほどあった。
 そんなだから二人の交際を知らされた時は「こうなったら嫌だな」と「こうなったら嬉しいな」が同時に押しよせて、僕を構成する大事な軸がぶれまくってしまった。何か言わなくちゃと思うのに、言葉が喉に詰まって、うまく伝えられない。
 僕の横でスッと手が上がる。はい神楽ちゃんどうぞと姉上が指名した。あ、これ挙手制なの? と驚く僕を尻目に、神楽ちゃんがゆっくり口を開いた。

「彼氏彼女とか、レンアイとか、わたしは正直、まだよくわかんないけど。ふたりがシアワセなら応援するアル。ね、銀ちゃん。どこ構わず盛ってアネゴや私たち困らせるなヨ。身内の変な場面に遭遇したら、ごっさ気まずいアル」

 やけに説得力のある言い方の神楽ちゃんに「わかった」と銀さんはあっさり了承すると、何も言わないでいる僕を一瞥して「神楽が言ったことは俺たちも気をつける。お前らは別にこっちに気ィ回さないでいいから」と続けた。気をつけるって、具体的にどうするつもりだろうか。むしろそんな気があるのかさえ怪しい。付き合いだした男女は脳内お花畑だって聞くし。男はいくつになっても万年発情期だぞって、口癖みたいに言っているのは他でもない銀さんなのだ。



 あの突拍子もない交際宣言から数週間が経つ頃、僕は別の意味で動揺していた。この人たち付き合い始めたんだよな? と疑問が湧くほど、すべてが通常運転すぎるのだ。その他大勢といる時、姉上に余計な口を挟んだ銀さんが鳩尾に一発もらう姿はよく見かける光景だが、銀さんが姉上の腰に手を回したりする露骨な接触はもとより、二人きりで話しこんでいる様子すら見ない。では、僕の目の届かない場所で親密度を高めている(具体的にどう親密度を高めるかについて童貞の口からは言及を避けたい)のかと思いきや、男女の雰囲気に敏い神楽ちゃんでさえ首を傾げるほどだ。

「あのふたり本当に付き合ってるアルか。ストーカー追い払うために身内も騙して一芝居打ってるかもしれないネ」

 僕もそれがいちばん可能性のある話だと思った。だけど予想を口にしたそばから神楽ちゃんの表情は曇ってしまって、まるでこれが芝居じゃなければいいのにと祈っているみたいだった。
 僕の家で四人鍋をつつき合った日、夜も遅いので銀さんと神楽ちゃんを客間に泊めることになった。寝静まった姉上の部屋の隣で、僕は夜通し耳を澄ましたが、得られたものは不眠による頭痛と倦怠感だけだった。翌朝になって僕は、目の下に深い隈をたくわえた神楽ちゃんと遭遇した。銀さんがこっそり抜け出さないか同じ部屋で見張っていた彼女のほうも成果なしだったみたいだ。寝不足の僕たちの顔を笑い飛ばした銀さんは、朝食に出たかわいそうな玉子焼きに文句言って姉上に殴られていた。ふだん通りの日常がそこにあった。

「あんたら本当に付き合ってるんですよね?」

 とうとう本人たちに聞くことにした。
 僕の質問に「そうよ」と姉上はふんわり微笑むと「銀さんのことは軍手の次にだいすきよ」照れているんだかガチなんだか判断つかない尺度で愛情の深さを示してきた。我が姉ながら心中がさっぱり読めない。
 同じ質問を上司にもぶつけてみた。
 万事屋のソファに仰向けになった銀さんは、ページの開いた漫画雑誌を顔に乗せて表情を隠している。勇んで聞いた僕をあざ笑うように「ぐう」とだけ返事を寄こした。おい寝るな。
 お願いだから教えてほしい。
 銀さんは姉上のこと、ちゃんと好きなんですか。



 そんな僕の疑念もあっさり晴れることになる。
 交際宣言から約一か月後、桜も開花しきる春分を過ぎた日のことだった。午前中にいくつか依頼をこなした僕と銀さんは二ケツした原付を走らせて万事屋の前にやってきていた。別件で出かけている神楽ちゃんと定春が戻ったら皆そろってお昼ごはんの時間だ。
 路地裏にとめた原付からキーを抜き取る銀さんの所作を何気なく眺めていたところ、キーに付いたストラップが目に入った瞬間「あ」と声が出た。

「姉上もこれと同じやつ付けてるの見ました」
「同じ売店で買ったからな」

 今朝は、九兵衛さんと買い物だという姉上と家を出るタイミングが被った。家に鍵をかけたのは姉上で、手にした革のキーケースに、しろいイルカのストラップが揺れていたのを覚えている。
 ちりん、鈴の音が鳴る。
 僕は銀さんの手にあるものを視線で追いかけた。ちいさな銀色の鈴がついた根付紐に、桃色のイルカがぶらさがっている。姉上の持っているやつとフォルムから大きさまで同じ、まるきり色違いだとわかる。

「ホントはあいつのだけ買ってやるつもりだったけど」
「姉上が、おそろいで付けたいって?」
「そーそー」

 ねだられるまま素直に自分の分まで購入したらしい。アンタそんなに財布の紐ゆるかったでしたっけ。今度から僕らの毎月の給料は姉上に追い立ててもらうべきかとスナックお登勢の前に立ち止まり真剣に悩んでいれば、給料滞納の原因たる男は素知らぬ顔して僕を置いて行ってしまった。
 万事屋へと続く階段のステップを踏む銀さんの手元で、ちりん、ちりん、と鈴が鳴る。

「かわいいよな」

 イルカのストラップを指したのではないことくらい僕にもわかる。お揃いがいいと主張した姉上のことだ。実の姉が可愛い発言をするのは今に始まったことではないが、ここで同意したらシスコン弄りがきそうで、僕はだんまりを決めこむ。
 銀さんの背中を追いかけるように、僕が階段をのぼりきると、銀さんは万事屋の玄関前に佇んでいた。桃色のイルカを指先でつまみあげて、真昼の陽光にかざしたそれをじっと見つめる銀さんの横顔が、僕の位置からはハッキリと見えて、うわ、と声を上げそうになり口を手で押さえた。
 僕自身まったく謎のタイミングで「ああ、この人ら本当に付き合ってたんだな」という確信を、今まさに得てしまった。今日まで片鱗さえ掴めなかった、銀さんと姉上が恋人同士である事実を裏づける証拠がこんなんでいいのか甚だ疑問だったが、納得してしまったのだから仕方ない。
 別に恋人同士でなくたって、仲の良い友達とか家族とか、持ちものをお揃いにするなんてよくあることだ。でも二人とも(銀さんは特に)ちゃらついたものをつける習慣がないひとだ。つけ慣れないストラップをどこに付けようか長考したかもしれないし、ちまちまと所持品にストラップの紐を通す姿は想像したら少し笑えた。ストラップのイルカを見てお互いのことを思い出すこともあるのだろう。今みたいに。穏やかな笑みを口元に浮かべた上司の姿を目の前にしたら、ストーカーを欺く演技などではなく、彼らの交際にまるきり嘘がないと僕は信じてしまえるのだった。
 銀さんの手元をまじまじ見つめる僕の目は口程に物を言っていたのだろうか。それはいつどこで買ったのだろう、と口に出さず思っただけの疑問にも、わざわざ銀さんが答えてくれる。

「水族館行った時のだな」
「すいぞくかん」

 思わずオウム返しになると、銀さんに怪訝な目をされた。いやだってさ銀さんと姉上がだよ。水族館なんて行くのか。そりゃ世間一般の男女カップルは行くかもしれないけどさ。なにあんたら普通の男女みたいなことしてるんですか、と理不尽な文句が僕の口からついて出そうになった。
 実のところ、ふたりが恋人同士になったと聞かされた時、それはそれはとんでもない大波乱が待ち受けているぞと、僕は怯えるような期待するような、そんな予感がしていたのだ。
 なんせ似た者同士、巻き込み体質かつ巻き込まれ体質の二乗だ。内側からまばゆいひかりを放つように周囲の人間を惹きつけるこの人たちは気がつくといつも荒れ狂う台風のような物語の中心に佇んでいた。何をするにしても事件性に事欠かないふたりに普通の恋愛なんて無理だろうと僕は思っていた。この人らときたら、水族館やテーマパークに出かける姿より、明日世界が終わる段階になってようやく思いを告げる姿とか、敵に囲まれた戦場で背中合わせになって場違いに軽口叩き合ってる姿とか、そういう限定的な場所に身を置く恋愛のかたちが似合いそうだった。
 そんなふたりが水族館なんてごく普通のデートスポットに出かけて、何事も起こらなかったんだろうか。案外、二人だけでいる空間は台風の目のように凪いでいるのかもしれない。
 四人でいる時とはまた違う彼らの顔を垣間見てみたいと思って、僕は話を続けた。

「水族館。いいですね。デートの定番じゃないですか。ほかにはどんな場所へ二人で出かけたんですか?」
「いや」
「え?」
「まだ一回だけ」

 水族館が一回目のデートだったんだよ。
 そんなことをぼそぼそ言って銀さんが家の中に入ってしまう。ガラガラピシャリ。僕がまだ外にいるのに玄関を締めやがった銀さんは「これ以上は何も追及するな」と言いたげな背中をしていた。
 僕はといえば、へなへなと肩の力が抜けてしまった。
 ああ、今すぐここに神楽ちゃんを呼びたい。
 なんせ僕ひとりでは抱えきれない衝撃の事実を知ってしまったからだ。扉が閉まる前の玄関には神楽ちゃんの靴が無かったので、彼女が別の仕事から戻ったら教えてあげなければ。あのふたり、付き合ってるのは本当だけど、僕らが想定してたより全然進展なかったみたいだ、と。
 ふたりの交際宣言からひと月くらい経つはずだ。別に、デートの回数イコール恋愛の進展度を示すわけではないけれど。さきほどの銀さんの態度だと本当に一度のデートに行ったきりなのかもしれなかった。せいぜい手握るとか。
 いくら銀さんが聞いてほしくなさそうでも、僕には言いたいことが山ほどあった。スパーンと勢いよく突入した万事屋の玄関に草履を脱ぎ捨て、どたばた廊下を駆けて居間に向かった。

「あんたらまだそんな段階だったんかいィ!」
「うるせェよ」

 社長椅子にふんぞり返った上司は僕のほうを見ないまま文句を言った。声が大きいという意味か。人の恋愛に口を出すなの意味か。多分どっちもだろうなと思ったがそれでも僕はツッコミを入れずにはいられない。

「あんな堂々と交際宣言しといて! 本当に一回出かけただけなんすか! 吉原行ったらいつも鼻の下伸ばしてるあんたのことだから、僕もうてっきり……」
「てっきり、なんだよ。お前のねーちゃんがそんな尻軽なわけねえだろ」

 実姉の身持ちが固いのは弟の僕もよく知るところだ。納得しかけて、でも相手が銀さんだしなあ、といまいち信用のないことを思う。

「俺だってなあ、お妙が許してくれんなら、あんな事やこんな事、そんな事まで全部したいに決まってんだろ」
「ちょっと、やめてくださいよ、上司と実の姉の生々しいあれこれ想像したくないんで!」
「てめーが始めた話だろが!」

 面倒くさいことになった、と深々としわを刻む銀さんの眉間にそう書いてある。僕だって同じ気持ちだ。面倒事には関わりたくないのに、銀さんと姉上のことを遠目から見守るつもりが、つい口を出してしまっている。

「言っとくけど、俺がいまだに手出してないのは別にお前のねーちゃんに魅力がないとかそういう話ではないからね。全然違うからね。お妙に告げ口とかしないよーに」
「そんなこと誰もしませんよ」

 要らない心配をして焦り出した銀さんに僕はしらっとした視線を送っておいた。

「いくら姉上が奥手だからって、銀さんらしくないじゃないスか。あんな事こんな事したいんなら、もっと関係を進めたいって姉上に伝えましたか」
「言ってない」
「どうして言わないんですか」
「んなの、決まってんだろ。……大事にしたいからだ」

 えー。
 えー。
 えー。
 びっくりしすぎて三カメで反応をお送りしてしまった。この人もそんなこと言うんだ。あまりにも驚きすぎて、眼鏡がパリンとひび割れるような強い衝撃を受けた。
 ずり落ちた眼鏡をかけ直す余裕もなく僕が唖然としていれば、こっぱずかしいことを言った自覚がわいたらしい銀さんが「なんか文句あんのか、コノヤロー」と逆ギレしてきた。

「文句なんてそんな、むしろ僕は……えっと、ありがとうございます」
「んだそれ。お妙に言われるならともかく、お前から言われても気色悪ィよ」

 困惑気味の銀さんにすげなく言われて、すぐに発言を取り消したくなる。けれども今のは一応、まぎれもない心からの言葉だったので取り消さないでおく。
 姉上は恋愛に関してズブの素人だ。すぐ手が出るし、意外と口が悪いし、男女の駆け引きとか得意そうなのに実際は綱引きの果てに男共の屍を引きずってひとりだけ大勝ちしてるような人なので(男女の駆け引きってそういうゲームじゃないから!)姉上の見た目に騙されて近寄って痛い目を見た人間が大勢いるのを僕は知っていた。
 僕だって命が惜しいから本人の前で絶対口に出して言うつもりはないが、正直まともな恋愛なんて姉上には一生無理そうだと思っていた。だがここにきて銀さんが「大事にしたい」と言って辛抱強く姉上に寄り添おうとしているのを見て、月並みな言葉で申し訳ないが、ちょっと感動してしまったのだ。結婚するまで貞操を守りたい姉上の望みが叶いそうなことにも、相手が銀さんだってことにも、色々と思うところがあった僕から、思わずほろりとこぼれ出た言葉が「ありがとうございます」だった。

「まあ、最初の頃は俺もチャレンジ精神でちょっかい掛けてみたんだけどよ」

 手出してたのかよ!
 大事にしたいんじゃなかったのかよ!
 ずっこける僕を横目に、心なしか涙目の銀さんが「懐かしいなー」と回想する。

「手つないだらねじられて一本背負い決められて、キスしようとしたら横面に張り手食らった。あとは、抱きしめようとしたら、心の準備したいから一旦帰ってもらえますかって言われるし?」
「いや、どんだけ照れてんですか!」

 想像の斜め上を行く恋愛初心者っぷりに僕は戦慄した。銀さんもよく無事だったな。ただの照れ屋な女性ならまだしも姉上なので、きっとものすごい力で抵抗してくるに違いない。肉体労働の仕事でもないのに銀さんが一人くたくたになって帰宅する日があった。あれは姉上に会っていたなら納得がいく。逢瀬するのにも命がけだ。

「あの、僕に何かできることってありますか」
「んなこと言っていいのか、新八。お前は俺らが付き合うのに反対なんじゃなかった?」

 銀さんは交際を公表した日のことを思い出しているようだった。あの時の僕はおめでとうの一言も彼らに言えていなかったから、銀さんにそう思われているのは当然だ。

「反対なんか……僕はただ……」
「別にいいぜ。大事なねーちゃんだもんな。俺が憎たらしいと思うのは当たり前だろ」
「いえ、違うんです。憎たらしいなんて思うより、本当はもっと、別のことを思っていたんです。もちろん大事な姉上を誰かに取られると思ったらショックでしたけど、いまいま思い返してみたら僕は、両方に落ち込んでたみたいで」
「両方?」
「銀さんだって、僕にとっては大事な銀さんなので」

 あの時、じぶんの中に沸き起こった感情について、複雑にこんがらがった糸を一本ずつ解いていくみたいに整理したところ、ようやく納得がいった。怒りや喜びを覆い隠すように困惑がいちばん大きかったのはたぶん、姉上を取られるかもってだけでなくて、銀さんを取られるかもと思ったからだ。大事なものを一度にふたつも持っていかれて僕自身、気が気じゃなかったというか。

「ふたりとも取られたくなかったんですよ」

 僕とっては同じくらい大事な人たちだから。

「でも、姉上が言ってくれたでしょう、これまでと何も変わらないから安心しろって。もしも僕を置いてふたりが遠いところに行ってしまうなら交際に反対するかもしれないですけど、」
「それはない」
「ですよね」
「んなこと絶対にしねーから安心しろ」
「はい。知ってます。だから、僕があんたらの交際に反対しているかどうか聞かれたら、してませんよ」

 やっと言えたと思ったら、僕の言葉に一拍遅れて、そっかと返事がある。はーっと深く息を吐きだしてわかりやすく安堵している銀さんの姿がそこにあった。

「銀さんの話を聞いてたら、度が過ぎる恋愛素人エピソードに弟として何だか申し訳なくって……ちょっとくらい協力したいなって思ったんです」
「つってもなあ。眼鏡の一つや二つ借りたって役に立つかね」
「いや眼鏡は貸しませんよ?」
「じゃあいらねえや」

 なんとも素っ気ない返事だ。ひとがせっかく協力的に申し出ているのに……とは思わなかった。僕の手なんか借りずとも、俺は大丈夫だから、と銀さんは僕に言い聞かせるようだったから。

「俺ばっか焦っても仕方ねえだろ。お妙が待ってほしいって言ってんだからさ。俺らは俺らなりのペースでいかせてもらうわ。それに、」

 言いかけて、ふっと銀さんが吐息をこぼした。ゆるんだ口を隠すように手が伸びる。落ち着きなく銀さんは周囲にうろうろ視線を漂わせたかと思えば、ばちっと僕と目が合う。きゅ、と細めた両目の銀さんが、まぶしいものでも見るように僕から視線をそらさない。
 姉弟そろって目元がよく似ていると近所のおばさんからよく言われた。だから銀さんが、僕によく似たひとを思い出してるのはすぐにわかった。

「箸が転がっても面白い年頃とか、よく言うだろ」
「? ああ、はい。言いますね」
「今の俺ってさ、お妙に何されてもうれしい時期なんだろうな。相手を待つのも、相手のペースに合わせるのも、ぜんぶ楽しい時期にいる感じがすんの」

 自分で言ったことに一人で納得するみたいに、うん、うん、と銀さんが何度も深く頷いた。

「だって、もう、あいつと居ると、むちゃくちゃ楽しいんだよな」

 ふ、くくっ、と笑いを堪えきれない様子の銀さんが肩を震わせる。抱きしめていいかと銀さんが尋ねた時のテンパりまくった姉上の赤面顔でも思い出しているのかもしれない。可愛くて可愛くてもう、仕方ないって顔だ。いつか、そろそろ抱きしめてもいいですよとお許しが出たとき、銀さんは今よりもっとだらしなく腑抜けた顔を晒すのだろう。それを見ることができるのは地球上でただ一人、僕の姉上のみだった。

(……いま思えば)

 お揃いのストラップに気づいた時点で。一緒に水族館に行った話を聞いた時点で。相手の気持ちが追いつくまで待つ時間すら今は楽しくて仕方ないと言われた時点で。
(あ、これ惚気だ。)
 なんてもの聞かされたんだ僕は。無駄にした時間を取り戻すように、僕は急いで玄関に戻り脱ぎ散らかした草履を並べ直す。午後に予定している来客の時間まで余裕があるから、昼食を食べたら掃除機をかけよう、と予定を組み立てはじめる。家事分担の当番表を見ながら、銀さんには洗濯の任務を任せたい。
 僕が振り返ると、銀さんは相変わらず社長机の前に居た。
 格子窓から入る春のひかりが、社長椅子にもたれる上司に穏やかに注いでいる。銀髪の頭が陽光に照らされてこんじきに染め上がる様子はまるで、恋愛に浮足だつ銀さんのこころが目に見えているみたいだった。姉上のことでいちいち舞い上がって肩を揺らして笑う姿を見ていると、案外、恋愛初心者なのはこの人も一緒なのかもしれないなと思う。爛れた恋愛ばかり経験してそうだった上司に、遅すぎた春が来ているのだ。
 机に向かって目を伏せる銀さんの視線の先には、やはり予想した通りのものがあった。外に原付を止めてからずっと、ストラップについた桃色のイルカを、銀さんは一向に離さない。いつまでそうしてる気だろう。僕が指摘してやるまで、下手したら布団に入るときも握ってそうだ。
 銀さんの手のひらに大事そうにくるまれた桃色のイルカを見ていると、自然と姉上の顔が思い出されて、僕はむず痒い気分になる。やっぱりさっきの「ありがとうございます」は言って良かったのだ。
 銀さん。姉上を待っててくれて、ありがとうございます。



'2021.03.28 待つのも楽しいひと
'2021.04.28 改訂


2021年春に開催された銀妙Webオンリー「桜の下で待ち逢わせ」で無料公開したお話の改訂版です。
「桜の下で待ち逢わせ」→「惚れた女相手なら、どれだけ遅刻しても待たされたことに怒らない銀さんは居る」→「恋愛的な意味でも待っててくれたらいいよね」の連想ゲームから生まれた話でした。色違いを交換したストラップは「私だと思って大事にしてくださいね」と言われたので暇さえあれば(無意識に)手で包んで温めています。
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