頭上に影が差す。
 とっさの判断で体勢を低くした瞬間、鋭く長い刀身が、さっきまで銀時の頭のあった位置を薙ぎ払っていった。
 地面に片手をついた銀時が空を蹴飛ばす勢いで脚を高く振る。カウンター気味に繰り出した蹴りは相手の顎に命中し、よろめく上半身を木刀で一突きしてやれば刺客はグウと呻いて気絶した。これで九人目。さあ、次はどいつだ。
 ざりと土の踏まれる音を研ぎ澄ました聴覚が拾う。背後を見ないまま銀時は固く握った木刀を振り抜いた。十人目だ。息つく暇もない。

 銀時が襲撃に遭ったのは、午前の仕事を終えてかぶき町の街並みを一人歩いていた時のことだった。連中の目的が金銭でなく銀時の命ただ一つのみであることを、殺気立つ気配から十分に理解できた。
 刺客らは物騒な獲物を引き抜くや否や一斉に斬りかかってきた。参ったことに銀時が蹴散らしたそばから新たな刺客がぞろぞろ湧いてくる。多勢に無勢と逃げ込んだ路地裏は行き止まりだった。そびえ立つビルの壁を背中に、銀時は口角を上げて不敵に笑ってみせた。連中は銀時を追い詰めたつもりだろうが実際は違う。対峙した刺客はいずれも大したことなかったから、幅の狭い通路に誘い込めば一対一で負ける銀時ではない――が、それにしたって数が多い。

 ようやく最後の一人を片付ける頃には流石の銀時も肩で息をしていた。こめかみに伝う汗を手で拭うと、銀時は地面に転がる刺客に跪き、なにが目的だと聞いた。
 すると刺客は、銀時のよく知る女の名前を口にした。
 目の前が、まっくらになった。




「生きてる……」
「? 人を勝手に殺さないでもらえます?」

 顔を見るなり銀時は玄関先で蹲ってしまい、妙が怪訝な視線を注いだ。

「そんなところに居られたら邪魔になりますよ」
「お前な、俺がどんだけ心配したと……」

 げほげほ、言葉の途中で銀時が噎せる。全力疾走したあとで呼吸もなかなか整わない。あれから増援にきた刺客らの猛攻をくぐり抜け、銀時は志村邸に駆けつけた。刺客の口から妙の名前を聞いた時は心臓が止まるかと思ったが、心配は杞憂に終わり、妙はこの通りピンピンしている。
 命を狙われたこと。刺客は妙を知っていたこと。両方を銀時が伝えおわると妙は眉をひそめる。

「疑ってるわけじゃねーけど、俺を狙った奴らについてもし知ってることがあるなら教えてくれよ」
「知ってるも何も、だって私……」

 心当たりがあるらしい妙は、険しい顔で言い淀んだ。

「実はその、銀さんを狙った刺客は、私が仕向けたものなんです」
「は?」

 なんだってそんなことを、と銀時が胡乱な眼差しを送る。何やらワケありだろうことは、妙の浮かない表情を見ていれば察しがついた。妙から事情を聞くため、銀時は居間に通されることになった。

 妙から聞いた話はこうだ。スナックすまいるきってのナンバーワンホステスこと妙は、培った百戦錬磨の手腕をもってして、つい先日とんでもない上客の心を射止めてしまったらしい。

「石油王さんです」
「石油王? 誰それ?」

 銀時は思わず二度聞きしたが、そういう名前の人間ではなかった。妙曰く職業が石油王だという。

「まじでか」
「その人ったら、もし結婚してくれるなら私が望むもの何でもあげるって言うのよ。お金も宝石も、世界の半分だって何でもです」
「世界の半分ねえ。魔王みたいなお前にお似合いじゃねーか。本性バレないうちに籍入れとけ籍」
「話の途中だろーが最後まで聞けや天パ」
「いだだだ」

 長机を挟んだ反対側から身を乗り出してきて、妙に掴まれた銀時の顔面がみしみし鳴る。

「石油王さんのやり方は強引で私は好きじゃありません」
「強引に人の頭かち割りにくる奴の台詞じゃないよねそれ」

 と銀時が言えば、銀時の顔から妙の手が離れていく。気を取り直して、とばかりに妙がコホンと咳払いを一つ。

「お金さえあれば何だって出来ると勘違いしてるみたいなの。そんな人と一緒になっても待つのは破滅のみよ」
「断ったのか」
「はい。でもあの人ぜんぜん諦めてくれなくて。いつもみたいに力づくで拒否できたらいいのに、なまじ権力があるだけに報復が怖いんです」

 下手を打てば店の人間にも危険が及ぶかもしれないと、妙は他人の事を案じている。元から責任感の強い性分だったのがオーナーになってからは顕著な気がする。背負うものが多いと大変だなと相槌を打つ銀時は、己もまた大概であることに気づいていない。

「それで私、石油王さんが結婚を諦めてくれるような方法を考えてみたんです」
「んなの簡単だろ。お前の手料理食わせたらイチコロだ」
「イチコロにしてどうするのよ。私は諦めて欲しいんですってば!」

 困ったように妙がため息つく。どうやら両者間で「イチコロ」の意味に齟齬が生じているようだ。銀時が言いたかったのは一殺のほうだったのに妙にスルーされてしまう。

「お金じゃ手に入らないものを望んだら、石油王さんも諦めてくれるかと思ったのよ」

 妙が、銀時の腰に差した木刀を一瞥する。

「私、石油王さんに言ったんです。『もしも伴侶にするなら、実家が道場だから跡取りになってくれそうな、かぶき町でいちばん腕の立つヒトがいい』って」
「ははァ、なるほどな。まったく迷惑な話だぜ。お前の言葉を真に受けた石油王は、かぶき町の剣士に片っ端から喧嘩売ってるわけだ」
「手当たり次第ってワケじゃないみたい。白髪頭の馬鹿強い侍がいるって話を聞いて、冷やかしのつもりでSPを連れて街に繰り出したら、石油王さんボコボコにされたんですって。あれからムキになって刺客を大勢雇ったみたいですけど、まさか命まで取ろうとするなんて……」
「へ〜そうなんだ〜」

 世界の半分も手に入れられる石油王をボコしたなんて馬鹿な野郎だ。誰だろうな、その馬鹿は。ちなみに銀時は身に覚えが一切ない。たぶん頭の片隅にも残らないほど弱かったのだろう。

「その馬鹿が石油王の闘争心に火をつけたとして、俺が刺客に襲われた直接の要因は、石油王に話を振ったお前が元凶ってことだよな」
「迷惑をかけてしまってごめんなさい」

 本当にすまなそうな顔で妙が頭を下げた。妙にも事情があったわけだし、幸い銀時に怪我一つなく済んだから強く責めるつもりはなかった。だが疑問は残る。この街で凄腕の剣士を探したなら、銀時の噂は耳に入る。かぶき町一番の剣士になりたがる石油王と銀時の邂逅を、妙だって予想できたはずなのに、銀時は知らされなかった。自分が仕向けた、と妙は最初に言った。つまりそれが意味するのは、

「お前さては、わざと黙ってただろ」

 聞けば、妙はぎくりと肩を跳ね上げた。

「なんで黙ってた。せめて俺に一言あるとかさ」
「こうでもしないとアナタ、面倒事に関わりたくないからって、ずるして負けたりするでしょう?」

 ジト目を寄こす妙に、しないしないと銀時は手を振る。

「安心しろ。今の話を聞いたからって俺ァ負けたりしねーよ。これからもな。んなことしたら、せっかく俺を信じてくれた奴に悪いだろ」
「信じるって、誰が誰をです」

 きょとんと銀時を見つめる妙は無自覚らしかった。目の前に居るじゃないか。

「かぶき町で一番腕の立つ奴。その条件を出したら相手が絶対諦めるって、お妙は思ったんだろ。俺が負けるわけねーって信じてたわけだ」
「……別に、銀さんのことだけ思い出したわけじゃないですから。強い剣士なら新ちゃんだっているもの」
「新八にゃ荷が重いだろ」

 銀時だけを頼りにした訳でないと妙は言いたいらしい。そういうツンな態度を取られると余計、銀時は調子に乗りたくなってしまう。
 あんなふうに奇襲気味に大勢から襲い掛かられたら並みの剣士じゃまず対処できない。俺じゃなきゃ死んでるぜ、と銀時は笑った。
 そもそも妙が条件にしたのは腕の立つ剣士のはずだった。石油王の行動は行き過ぎていると言えた。

「馬鹿だなァそいつ。金で大勢刺客を雇って俺を負かしたところで、本人が強いわけじゃねーのにな」
「圧倒的な強さを示せれば、私の心を射止めるとでも思ってるんでしょ」

 馬鹿みたい、と吐き捨てる妙はあからさまな嫌悪を示した。話を聞く限り石油王は目的のためなら手段を選ばない上、怪しげな連中と手を組むような奴だ。そいつの怒りを買って報復されることを恐れた妙にも頷けた。

「そういや、石油王に言ったアレさ、本心から言ったやつだったりすんの」
「やだ、嘘に決まってるじゃない」

 即答かよ。がくっと頬杖が崩れて銀時は長机に顔を打ちつけた。

「どうせなら性格が良くて文句なしにイケメンな石油王がいいです」

 ずいぶんと欲深いことを言う妙に、そんな男どこに居るんだと銀時は聞いて呆れる。
 石油王に提示した条件はあくまで求婚を断るための、都合のいい嘘だと妙は言う。果たして本当にそうだろうかと銀時は懐疑的だった。

「……これは新八に聞いた話だけど」
「新ちゃんから?」
「玉の輿だの年収ウン千万だの、お前がよく言う理想って、ガキん時の誰かからの入れ知恵なんだってな。その前は覚えてるか」
「もっと小さい頃ってことですか」
「そ。いっちばん最初のおめーが好きなタイプ」

 足が早いとか優しいとか。子どもが挙げる好みのタイプなど相場が知れている。しかし新八が語った思い出の中の志村妙はどれも違っていた。銀時が初めて聞いた時は、なんとも可愛らしい、コイツらしいなと思ったものだ。

「『剣のつよいお侍さん』だっけ」
「……よくそんな昔のことを」

 懐かしい、と妙は俯き加減に言った。

「だったら石油王に言ったあれも、あながち嘘にならねーと思うけど?」
「そうですね。確かに幼い頃は、父上みたいな、侍の魂をもった人がタイプでした」
「あァ、そっかだから初恋の相手も、」
「っもう、その話はやめてくださいったら!」

 新八が口を滑らせた時みたく妙は過敏な反応を見せる。照れた反応がガチ過ぎるんだよ。そんなだから銀時も妙の初恋話に深く突っこめないでいる。
 銀時が初代塾頭と接したのは、ほんの短い間だけだ。それでも彼という人物を知るのに十分すぎる時間だった。地位や名誉とは無縁の男で、持ち前の快活さと、周囲に安心を与える懐の広さ、極めつけに揺るがない強さが人間のかたちをしていた。あれが妙の初恋だと言われると、やけに説得力があった。志村妙の好みが、剣の腕の立つ人間である説が真実味を帯びてくる。
 己にとって都合のいい勘違いがしたくなった銀時はふと思い留まり、いやいや、ナイナイと首を振る。だが実際のところ今回の一連の騒動で銀時は、まさしく剣の強さを妙から頼られている。
 さきほど刺客から襲われた時のように銀時が剣を振い続ける限り、誰にも負けない限り、妙はくだんの石油王から婚姻を迫られることはない。そう思ったら、なんだか、

――ああ、剣を鍛えていてよかった、と。

 この剣が、この力が、妙のために振るわれるなら本望だと、そんなことを考えてしまう自身に銀時は苦笑した。

「でも所詮あんなの昔の話です」
「だろうな」

 銀時は妙の言い分に全面同意した。剣が強いだけで飯は食えない。新時代が求める結婚相手は石油王もしくは実業家で、この女だって誰だって剛力さんになりたいに違いなかった。

「……ああ、うん。でもね?」

 わたしの好きなタイプの話ですけどね、と思い出したみたいに妙は続けた。まるで、これだけは譲れないのだと告げるように、妙はしっかりと銀時を見据えた。

「つよいお侍さんは、いまでもすき」

 普段のハキハキした調子とは別に、ぽつ、と妙は言った。照れの混じる声のトーンから推察するに、間違いなく本心からの言葉なのだろう。かつて幼かった彼女が惹かれたものは純粋な強さだった。武家の娘として、剣を学ぶ者として、そういう男を好きになった。
 
 ふと何かに気付いた妙が家の庭を見た。銀時もつられて顔を向ける。なにやら志村邸の外が騒がしかった。
 銀時が玄関に戻って靴を履き外に出ると、門の前に人だかりができていた。あれがぜんぶ門下生の希望者だったら姉弟が泣いて喜ぶのに、実際は殺し屋の集団なのだから現実は非情だ。志村邸に向かう銀時を彼らが尾行してきたのだとしたら、まずいことだ。金で雇われて躊躇なく人を殺しにかかる連中だから、無理やりにでも妙の身柄を石油王に献上しようとするだろう。銀時はここで決着をつけなくてはならなかった。
 門前の刺客らを見ていた銀時は、その背後から「銀さん」と呼ばれた。
 振り返ると、危ないから家の中にいろという制止も聞かず妙が玄関から出てくる。どうしても言いたいことがあるようだった。

「アナタのことは出会った時からずうっと、やる気のない、胡散臭い、ぐうたらのプーっていうイメージのまま、私の中で変わりないですよ」
「なんなの。お前んなこと言うためにわざわざ呼び止めたの? 大人しく戻れって危ないから。あとさァ一応これお前の結婚が掛かってる戦いだからね? 分かってる? アンダスタァン?」

 戦士の背中を蹴り飛ばす勢いの妙に、うんざりした顔を銀時が向ける。妙は真剣な顔つきのまま言う。

「ええ、わかってますよ。私の話にはまだ続きがあるんです。最後までちゃんと聞いて下さいな」
「はいはい」
「銀さんはチャランポランですけどね」
「まだ言うか」
「万年金欠だし」
「うるせーわ」
「それでも、」

 またたき一つしないで、まんまるの目二つが正面から銀時の姿を映している。良いところも駄目なところもこの目でぜんぶ見てきたからこそ知っているんだと、確証をもって瞳が告げる。

「銀さんがとっても強いお侍さんだってことも、私ちゃんと知っているわ」

 え、と呆気に取られる銀時を見て、堪えきれないようにフッと妙が笑う。
 だから、と妙が続けた。

「負けないでくださいね」
「当然」

 今度こそ妙を家の中に下がらせた。銀時は腰から木刀を引き抜くと、どっからでも掛かって来いと敵方を見据える。
 緊迫した状況に反して銀時の心中は穏やかだった。気を抜くと鼻歌でも歌ってしまいそうなほど機嫌が良い。妙に聞こえてしまったらなんて暢気なことだと怒られてしまうだろうから流石に鼻歌は自重したが、実際それくらい妙の言葉が嬉しかったのだ。あれを思い出すと、全身にちからが漲るようだった。
 今なら誰にも負ける気がしねェなと銀時は思う。
 なんてったって志村妙お墨付きの、剣のつよいお侍さんだから。



'2021.01.31 最強の砦
'2021.04.28 改訂
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