※元拍手お礼文(2019.12.11~2021.01.10)


 外で雀がチュンチュン鳴くのを聞きながら、銀時が目を覚ますと、すっかり顔馴染みとなった恒道館の天井と目が合う。ああ、そういえば泊まったんだっけと、寝起きのぼんやりした頭で銀時が昨晩のことを思い出す。志村家で夕飯の御相伴にあずかる場合は泊まりになるのがいつものパターンだった。
 のろのろ起き出して身支度をした銀時と神楽が揃って居間に顔を出すと、割烹着姿の新八が朝食をテーブルに並べていた。
 おはようございます。おはようアル。お早うさん。
 三者三様の挨拶が続く。本来なら、もう一人の声がするはずだ。
 妙の姿が見当たらないことに銀時が気がつくと、察しのいいメガネこと新八が「姉上なら寝坊ですよ」と珍しいことを言う。

「さっき部屋の外から声をかけたら、どうも二日酔いらしくて、まだ布団から出られないみたいです」

「先に食べてましょうか」と言った新八は、銀時の隣でくうくう腹の虫を鳴らしている神楽を見て笑った。新八の好意に甘えることにして、今朝は三人だけで食卓につく。寝坊といってもあの女のことだ、軽い二日酔いなどに負けるタマではないから、もう少ししたら現れるだろう。
 しかし、そんな銀時の予想は外れて、三人が朝食を食べ終わる頃になっても妙は居間に現れなかった。

「銀さん。ちょっと姉上の様子を見てきてもらえますか?」

 食器を片付けて台所にやってきた銀時を、本日の皿洗い係の新八が呼び止めた。コップ一杯の水を渡された銀時は、なんで俺が、という顔で新八を見る。

「皿洗いなら俺がやっとくから、ねーちゃんの様子ならおめーが見てくれば?」
「僕や神楽ちゃんが行ったら姉上は無理してでも起きて来そうじゃないですか。体調が悪いならそのまま寝かせておいてあげたいんですよ」

 たしかに妙は弟や自分を慕ってくれる神楽相手だと弱っている姿を見せまいと気張るところがある。あの姉ときたら、水一つ差し入れるのにもこうして気を遣わねばならない弟の身にもなってほしい……そんな新八の苦労を案じながら銀時はコップを受け取る。

「ちなみに姉上の部屋は台所を出て右に曲がって――」

 妙の部屋までの経路について新八が説明し始めるのを、銀時は何食わぬ顔で聞く。「まァ言われなくとも知ってんだけどな」という言葉は飲み込んだ。
 元々が道場の志村家には空き部屋含めて無駄に部屋が存在する。家の者でない銀時が迷子にならないように、新八はわざわざ説明してくれているのだ。

──何度も夜這いを敢行したことのある銀時が迷子になるはずもないのだが。

 自慢じゃないが銀時には、恒道館の玄関から妙の部屋まで、目を瞑っていても辿り着けるほど自信がある。それくらいの頻度で行き慣れた経路だ。
 それでも銀時は新八の話を最後まで聞いてやった。銀時が妙の部屋を知っていることは隠し通さねばいけないからだ。姉の部屋に銀時が普段から立ち入るはずもなければ、姉と上司が男女の関係になるなんてありえないという、新八からの厚い信頼を誰が裏切れようか。無理だ。だって命が惜しいもの。

「へえ、そうなの。知らなかったわー」

 新八に勘づかれることがないように、まるで初めて知ったような顔で銀時は最後まで聞き役に徹した。



「おい。生きてっかァ」

 妙の部屋の前で銀時が呼びかける。いくら待てども部屋の中から返事が来ない。二日酔いとは聞いていたが、返事もできないほどつらいのだろうか。
 このまま部屋の前に水を置いて戻ってもいい。ただ、そんな選択肢を選ぶほど、銀時は薄情な人間でなければ、どちらかというと世話焼きの類だ。それに、惚れ抜いた女が寝込んでいるというなら尚更なにかしてやりたいと思うのは当然だった。

「開けるぞ」

 手をかけると、滑りの良い障子がするりと開いた。銀時が室内を覗き込むとすぐに妙の姿を見つけることができた。
 背中を丸めて小さくなった妙は、掛け布団を抱き枕のように抱えて、うんうん低い唸り声を漏らしている。どれだけ飲み過ぎたのかは知らないが、銀時の位置から見える妙の頬はひどく血色が悪い。寝ぐせのついた髪も相まって、まるでスプラッタホラーもかくやの様相を呈している。

「……どなたですか」
「ヒッ」

 地を這うようなおどろおどろしい声がして、背筋が凍るような思いになる。銀時自信も二日酔いの経験はあるがこんな声は出ない。いや怖すぎるだろ。勝手に部屋のなか見たこと怒ってんのかな。機嫌の悪い妙に新八が持っていた人形を八つ裂きにされたとか、そんなエピソードを聞いたことある。今度は俺が八つ裂きにされる番だろうかと、すっかり銀時が逃げ腰になっていると「あら。銀さん?」と妙が気がついた。

「そーだ。俺だ。新八の代わりに来た」
「そう新ちゃんの……」
「調子はどうだ、って聞くまでもねーな」
「最悪ですよ」

 見ていればわかる。障子の隙間から差し込む朝日が眩しいのか、横になった状態の妙はぐっと目を細めて、いやいやをするように枕に顔を押し付ける。なかなかレアな光景だ。

「銀さん。ひとつお願いがあるんですけど」
「おお、なんでも言え」
「まず閉めてもらえますか」

 銀時は妙の部屋に身体を滑り込ませてパタンと後ろ手で障子を閉めた。途端に薄暗くなった視界に不自由さを覚えながらも、銀時は妙の枕元まで近づいた。

「……てください」
「え? 悪い。聞こえなかった、なんか言ったか?」

 布団にうつ伏せのまま発せられた妙の声がくぐもって、銀時は聞き取れなかった。するとシーツの上に投げ出された生足がパンッと布団を蹴った。二日酔いでいつにもまして態度も横暴で、二度も言わせるなとも言いたげな様子だ。

「服を着せてくださいと言ったんです」
「は、」

 新八が聞いてたら気絶しそうなことを、妙は平気で言ってのける。

「どうした。甘えたか?」
「茶化さないでください」

うんざりした顔で「私いま本当に何もしたくないんです」と言って、妙は銀時を見つめた。

「しんどいってんなら寝てたらいいだろ。そしたら着替えも要らねえし」
「新ちゃんや神楽ちゃんに心配かけたくないんです。いつまでも寝間着のままじゃ示しがつかないでしょう」

 俺には心配かけてもいいし示しがつかなくてもいいのかよ、とは聞かないでやる。要するに、相手が銀時でなければ妙だってこんな頼み事はしないのだ。甘えられている。そう思ったらなんだか銀時は、きゅんと胸の奥が詰まるような思いがした。
 だらんと力の抜けた妙の脇の下に手を差し込んで、すくい上げるように持ち上げる。細いからだを抱き込むようにぐっと引き寄せた。抵抗はされない。むしろ縋りつくように背に手が回ってくるので銀時は気を良くした。

「順番がわかんねーんだけど」
「いつも脱がせてるのはどこの誰ですか」
「脱がす専門なの俺は」

 ぶつぶつ文句を言いつつも手先は器用なほうだ。記憶を頼りに妙に着物をあてがっていく。妙も体はだるそうにしているが意識はわりとしっかりしているらしく、銀時が持っていった袖に腕を通すくらいには協力的だ。
 夜の帳が下りた丑三つ時に着物を一枚一枚と剥がしていくあの感覚には、すっかり慣れたものだが、こうして着物を着せていくなんて初めてのことだ。抱いている時とはまたひとつ違った生々しさを伴う行為に、ふ、と銀時から吐息が漏れる。
 最後の仕上げに着物の帯紐をきゅっと締めれば、もう完成だ。初めてにしては手際よくやれたのではないかと銀時は自賛した。
 着物を着せてやったあとも銀時は妙から身体を離さないで、むしろぐっと顔を近づけた。

「きゃっ」
「もが」

 銀時が唇を押し当てる寸でのところで、妙が両手で銀時の口元を手で覆ったので、ガードされてしまう。「ひゃあぁ」口を押さえてくる妙の手のひらを銀時の舌がべろりと舐めあげると悲鳴が上がった。それでも手を離そうとしないので、銀時が「もがもが」と喋って抵抗すると、やっと手が離れてくれる。

「酒臭いですよ」
「俺は酒なんて飲んでねーだろ」
「私がです」
「気になんねーけどな別に」

 くん、と妙の首元に鼻を近づけると「やだぁ」恥ずかしそうに妙が俯く。無防備な身体に服を着せてもらう方がよっぽど恥ずかしい行為だったろうに、妙の恥ずかしがるポイントはいまいちよく分からない。ぐいっと胸板を押して妙が銀時を退けようとするけれど、二日酔いでしんどそうな女の腕力など、銀時の前では無力だ。

「飲み過ぎるなんて珍しいよな。普段からセーブするじゃんお前」
「少し接待で無理しちゃって」
「へえ。大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。慣れてますから。……ええと、なんの話でしたっけ。ええそう、お酒をたくさん飲んだから、いまはキスするの止めておいたほうが、んっ、」

 なるほど、確かにいつもより隙だらけだと思った。唇を離す瞬間に体調を思い遣るように舌で口蓋を撫でていくと、妙の唇からはぁあっと熱い吐息が漏れた。
 力なく垂れていった妙の両手が縋るみたいにシーツに触れた。シーツの上をもがく指が開いたり閉じたりしているのが見えた。銀時はそれを、妙が快感を逃がす時によくやる動作だと知っている。
 ぷは、と口を離したあとで、銀時の眼前で待ち構えていたのは「信じられない」といったような妙の顔だ。

「ちなみに俺は今朝いちご牛乳飲んだ」
「…………朝から何を甘ったるいものを飲んでるんですか」

 あまいわ、という感想を漏らす妙は特段嬉しそうな顔ではない。そりゃあそうだ。寝起きの一発目、しかも二日酔いの朝にいちご牛乳の味はなかなか重いだろう。
 文句があるなら口付けの相手ではなく、朝の食卓に並んだいちご牛乳を恨んでくれと思う。毎回泊まりに来てはいちご牛乳がないことを嘆いて強請っていたら、いつのまにか志村家の冷蔵庫には銀時に出す専用のいちご牛乳が常備されるようになったし、朝の食卓当然の顔して並ぶようになった。

「目ェさめた?」
「おかげさまで」
「へえ。そりゃよかった」
「褒めてないですから。口の中があまったるくて気持ち悪いんですけど」

 むかむかする、どうしてくれるのよと妙が重たい溜め息を吐く。病人に無体を強いたことへの罪悪感がちょっとばかり銀時にもあったので、口直しといっては何だけれど、新八から渡されたコップの水を妙の手に握らせる。

「…………?」
「どうしたよ」

 コップを手にしたまま動かない妙に「飲まないのか」と銀時が聞く。悪かったよ嫌がっているのに突然キスなんかして、と謝ると妙はふるふると首を横に振った。

「飲ませてくれないんですか」
「…………は、」
「ふふ。冗談です」

 ぽかんと呆れた銀時に、してやったり顔で妙は笑うと、くびぐびと勢いよくコップの水を呷った。
 恋愛は惚れたほうが負けだというし、結局この女に俺は一生かなわないんだろうなと、空のコップを受け取りながら銀時はつくづく思った。



 足取りの重い妙を気遣って、銀時は妙と一緒に志村家の居間に戻ってきた。銀時と連れ立って現れた妙の姿をみるなり、じろりと新八は銀時に鋭い視線をよこす。

「銀さん、姉上を無理に起こさないでと言いましたよね?」
「こいつが勝手に起きただけだっつーの」

 俺は服を着せただけだ、というのは心の声にとどめておく。

「新ちゃん朝ごはん私の分も準備してくれたのね。ありがとう」
「いえ! あ、お味噌汁いま温めますから」
「あらいいのに」
「姉上は座っててください。具はしじみにしたんですよ。二日酔いに効くので!」

 忙しなく台所と居間を往復する新八を横目に、ずいぶん甲斐甲斐しいもんだと、銀時は呆れ交じりの溜め息を吐いた。
 ……いや、よく考えたら服を着せた自分も相当に甲斐甲斐しいのではないかと思い直す。
 ひとり食卓についた妙が、じっとこちらを見ているのに気が付いて「なに?」と銀時は首をかしげた。

「ええと、その。一人で食べる朝ごはんってなんだかさみしいなと思って」
「あー……? あー、ハイハイ。わかった」

 妙の意図することを理解した銀時が立ち上がる。「新八ィ俺も味噌汁飲むからさ、二人分の箸用意して」と言いながら台所に向かう銀時の背中に、ありがとう、という妙の声がかかった。甘やかしてやるのも悪くないなと思う、そんな朝だった。


'2019.12.11 目覚めのいちご牛乳
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