※妙誕2019

 デコレーションもろくにされていない、イチゴが載っただけのホールケーキを見て、お妙はさきほどから黙りこくったままだ。
 ……やっぱり怒っただろうか。そりゃそうだろうな。だって誕生日ケーキにしてはシンプル過ぎるしな。
 ケーキの材料の買い出しすらままならないほど、ここ最近やたら仕事が入って誕生日ケーキ作りに専念する時間が取れなかったのが原因なのだが、そんな言い訳を並べる俺ではない。趣味でホールケーキを作るほど甘味を愛している俺が、仕事が忙しいとかいう下らない理由で、ケーキ作りをおろそかにしたことが情けなくて仕方なかった。
 テーブルに鎮座するケーキとお妙を交互に見やって「ごめん」と謝ると、お妙はキョトンと俺の顔を見つめてくる。

「どうして謝ることがあるんです」
「時間が無かったとはいえ、おめーの誕生日なのに、こんなしょぼいケーキになっちまって悪かった」
「じゅうぶんだと思いますよ? 見た目のことはよく分からないですけど、わたし、銀さんのつくるケーキはみんな美味しくて好きです。きっとこれも気に入ります」

 お妙の機嫌を損ねたわけではなかったことが分かっただけでも上等なのに、その上とても嬉しいことを言われて俺は胸が熱くなる。
 ほっと胸を撫で下ろしている俺の隣で、お妙が不意に『お妙ちゃん誕生日おめでとう』の文字を指さして、「これって……」と聞いてくる。

「プレートも銀さんが?」
「そうだけど」
「わたしの名前がお妙だってこと、銀さん知ってたんですね」
「なにを当たり前のこと聞いてんだよ」
「だって銀さんたらいつも、オネーサンとかお前とか言って名前呼んでくれないんだもの」
「そうだっけ」
「そうですよ。普段呼ばれないから、逆にこういう時だと特別感が増して、なんだか嬉しいですね。あ、そうだ。次の銀さんのお誕生日は『銀時さん』ってプレートに書いてあげますね」

 ギントキサン。
 お妙の口から告げられた、その響きの甘さにしばらく動けなくなった。
 次の俺の誕生日っていつだ。ほとんど一年後じゃねえか。ふざけんな。
 暗黒物質になったら困るのでケーキ作りはご遠慮願いたいが、ケーキに飾るプレートの名前入れだけはこの女に任せたいと思う。できれば、ハッピーバースデーの歌つきがいい。子どもっぽいと笑われてもよかった。鈴の音が転がるみたいな声でもう一度、銀時さんと呼ばれてみたい。



'2019.11.06 ケーキより甘い声だから
'2021.01.10 改訂



※「ケーキより甘い声だから」の続き
※銀誕2020


 力が入り過ぎてチョコペンを握り潰した。恥ずかしさに耐え切れずチョコプレートを叩き割った。
 ……ずっとこんな調子だ。意識した途端に何もかも思うようにいかない。あんな約束をするんじゃなかった。

「銀時さんって書いてくれるんじゃなかったのか」
「そっ、それは……!」

 きたる十月十日。妙はまさに追い詰められていた。
 今日は毎年恒例となった銀時の誕生日会だ。新八と神楽が朝から準備に奔走し、妙はといえば、手作りを断固拒否した銀時のために洋菓子店からケーキを購入する役を担っていたのだが、そこで想定外の事態が起こった。ケーキに載せるチョコプレートに名前を書いているところへ、どこからか甘い匂いを嗅ぎつけた銀時が現れたのだ。
 書き損じたチョコの残骸と『銀さん誕生日おめでとう』という無難なメッセージの書かれたプレートを見つけた銀時は、不機嫌な面持ちで「オイコラ銀時さんってちゃんと書け」「書き直しを要求する」と妙に詰め寄った。

「わたしが男の人を名前で呼ぶことなんてそうないし、新ちゃんたちに変に勘ぐられそうでしょう?」
「別に誰も気にしねえよ。銀さんも銀時さんもほとんど変わらねーだろが。とりあえず、チョコに書かなくてもいーからさ、一回だけ声に出して言ってみ」
「ぎ……っ、ぎんとき……さ……」

 声は尻すぼみになって、最後まで呼ぶに至らない。頬が熱い。銀時の瞳に映る自分の顔があまりに滑稽でつい目を逸らしてしまう。紅葉を散らしたような頬も潤んだ黒目も見ていられない。

「あの、もう、勘弁してほしいんですけど」
「約束破るのかよ?」
「だって、あの約束をしたのは一年前で……あの頃は銀さんのことなんてどうも思ってなかったから約束できたんです」
「今は?」

 今のお妙は俺のことどう思ってんの。
 そんな銀時からの質問に、ごくりと唾を飲む。言わせるのか、それを。あからさまな妙の態度から答えなど分かりきっているだろうに、わざわざ妙の口から聞きたがるところなんて最悪だ。
 返答に窮する妙の様子を見て銀時はにやりと笑った。さっきまで不機嫌だったのは演技だったのだろう。本当は今にも笑い出したいほど嬉しくてたまらないような、そんな顔を銀時はしている。
 たった一年。されど一年。去年の妙の誕生日に簡単に呼べたはずの「銀時さん」が、今はどうだ。口に出すのも頭の中でシミュレーションするのさえ無理だ。銀時さんなんてまるで新婚の夫婦か何かじゃないのか。いや新婚て。気が早いでしょうそんなの。
――ああ、馬鹿だ。今さら恋心を自覚するなんて。

「お前は今頃になって自覚したみたいだけどさ」
 いくつも失敗したチョコプレートの山から、銀時が破片を一つ手に取って頬張る。ぺろ、と指についたチョコを舌で舐め取る仕草にさえ反応する心臓が憎らしい。一年前ならなんとも思わなかったのに。その指がその舌が、自分に触れたらどうなるか今は考えずにはいられないのだった。

「俺は一年前からずっと、お前に名前を呼ばれるのがたまらなかった。なァ、おめーはどうなの、お妙」

 一年前、滅多に妙のことを名前を呼ばない銀時が、あの時だけちゃんと名前を書いてくれた。あれは、好きだと告げるのと同じくらい勇気が要る行動だったはずだ。なぜなら今の妙がそうなのだから。
 そうして一年越しに銀時の内心を理解すると同時に、あの時貰った愛情を自分からも返さなくては気が済まなくなった。

「ぎ……」

 今度こそ呼んでやろうとしたのに、それは叶わない。間近まで迫った銀時の顔に驚いて、目をつむるので精一杯だったからだ。触れた唇の先から香るカカオの匂いに頭がくらくらした。唾液とチョコで溶け合った皮膚同士が離れていく瞬間、ぎんときさん、と呼んでみる。鼻先が触れ合うような距離で銀時がふにゃりと目元を緩めて、あまいな、と言った。


'2020.10.11 チョコより甘い名前だから
'2021.01.10 改訂
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