待ち合わせ場所に着く頃には、窮屈だった靴の違和感は消えてしまった。やっぱり一回り大きいサイズを買ってよかったと、神楽は心からそう思った。
 河原近くの桟橋に立っている沖田を見つける。オーイと神楽が呼びかければ、あちらも気付いた様子だった。電話で言っていた通り、沖田は隊服姿のままだ。
 神楽が新しい靴で足取り軽やかに沖田の前まで走って行けば、はたと何かに気づいたように沖田は目を丸くした。

「あり?」

 沖田は神楽の傘のてっぺんから足の先までをじろじろ眺める。それから、くっきりとした皴を眉間に作ってみせた。

「何ヨ」
「……いや、別に」

 なんでもないと沖田は首を振ってみせるが、見逃してやる気にはなれなかった。「どうしたのヨ」と神楽は語尾を強めて尋ねた。

「隠しても無駄アル。言いたいことがあるならはっきり言うがヨロシ」

 お見通しだと神楽が言ってやれば、逃げれないことを悟ったのか、沖田は諦めたような顔で口を開いた。

「靴」
「え?」

 出し抜けに言われて神楽は一瞬どきりとした。新しい靴に気づいてくれたのかと思ったのだ。しかし沖田の曇った表情から、それが神楽にとっても良い話じゃないことは明白だった。

「この前、新しいの靴買わねーのかって聞いたろィ」

 だから、と続ける沖田の声はわざとつくったみたいに淡々としている。

「昨日、お前連れて靴買いに行こうと思ってたんでィ。予定が潰れちまったから、今日はその代わりに、って思ってたんだが、もう必要ないみてェだな」

 神楽の靴を見ながら、「つーか、前と同じやつにしたんかィ」と沖田はぼそぼそと呟くように言った。
 買ってもらえば、なんて言っていたくせに、沖田は自分に靴を買ってくれる気だったらしい。だったら早くそう言ってれたら良かったのに。言ってくれたなら、こんな面倒なすれ違いなんて起きなかった。神楽はなんだか居たたまれない気分になる。それが表情に出ていたのか、沖田は気まずそうな顔をして神楽に言った。

「そんな顔すんな」
「だって、」
「足がラクチンになって良かったじゃねーかィ」

 慰めるみたいに言われて、神楽は困惑してしまった。どうせなら文句の一つでも言ってくれたほうがまだ良かったのにと思う。勝手に自己完結されてしまったら、神楽は何も言い返せない。

「もう飯食ったか」
「……うん」
「んじゃあ、どこ行くか」
「行く場所はもう決めてあるネ」

 実際に場所を決めたのは三秒前だったが、神楽はハッキリ告げて歩き出す。少し遅れて追いついてきた沖田が、へえ、と声を漏らす。

「珍しい。どこ行くんでィ」
「靴屋」
「は?」

 素っ頓狂な声を上げて沖田がその場に立ち止まったので、神楽も沖田に合わせて足を動かすのを止める。

「オイ。ちゃんと歩けヨ。道のド真ん中で立ち止まってんじゃないアル」
「なァ、いまなんつった?」
「聞いてなかったアルか。靴屋に行くのヨ。買ってくれんでしょ、新しいの」
「……それはもう履いてんだろィ」

 憎々しげに言ってみせる沖田の視線は、さっきから神楽の靴に向けられている。やっぱり怒っているんじゃないかと思って、神楽はどうにか沖田の機嫌を直してやりたいと思った。

「この靴、うちの星が生産してるやつなのヨ」
「はあ」

 傘の柄をくるりと回して神楽が言えば、「いきなり何言ってんだ」と呆れたような、ちっとも興味ないような、その両方のような声で沖田が相槌を打つ。

「夜兎は足の力ごっさ強い奴らばかりヨ。だから、丈夫な靴じゃないとすぐダメになるアル。この靴だって、普通の靴屋じゃ買えないやつヨ」
「夜兎御用達ってわけか」

 そうそう、と頷き返して、神楽は片足を浮かせて靴を見せつけるように沖田の前に突き出す。

「たとえばこれ、薄いけど鉄板入ってるアル」
「マジでか」
「マジでヨ」
「あーなるほどな、お前に蹴られるところ、どおりでいつも痛ェわけだ」

 沖田がしみじみと感心したように言う。そうしておかしな会話を繰り広げている神楽たちを、道を行き交う人々がじろじろ見ていくが気にしたら負けだった。

「で、結局なんで靴屋なんでさァ」
「そんなの決まってるネ。靴を買うのヨ」
「わかんねーなァ。夜兎御用達の靴なんだから、そこらに売ってねえんだろ。だいたい、もう旦那に買ってもらったんなら、俺がもう一足買ってやらなくたって、」
「だーかーら、最後まで話を聞くヨロシ!」

 長々と文句を垂れる沖田の言葉を、神楽が声で遮った。
 たとえば万事屋と真選組が共同戦線を張るとして、その時の沖田は察しが良くて助かるのだが、こういう時の沖田はダメだ。自分を芋侍と自称するだけあって、色恋が絡むことにめっぽう鈍い。
 それでも、いちいち説明が面倒くさいなと神楽は思う反面、一つひとつ言葉にしてやるのは楽しいとも思っている。嫌なことが楽しいだなんて、昔の自分だったら考えられないだろう。これだから恋ってやつはいやだった。

「もう一度ちゃんと私が説明してやるネ。耳かっぽじってよく聞くがヨロシ」
「そりゃどうも」
「これは暴れまくっても丈夫で破けないし、いっぱい走っても底が擦り切れにくいアル。だから、この靴は仕事用にするアル」
「……仕事用?」
「そうヨ、仕事用。今から買いに行くのは別のやつアル」

 神楽がそこまで言っても沖田はまだわかっていないようだった。本当は全部わかっていて、わざと言わせてるんじゃないか。沖田の意地の悪い性格を思い出して、神楽は無駄に勘繰ってしまう。
 しかし実際のところ、神楽の目の前にいる沖田は真ん丸に目を見開いている。おそらく本当にわからないのだろう。
 今までの会話から察してみろバカヤロー、と内心毒づきながらも、これも惚れた弱みだと思って神楽はそっと目を伏せた。
 だから、と小さい声で続けてやった。

「……デート用のやつ買ってヨ」

***

 神楽が連れて来られた先は、かぶき町の小さな靴店などではなく大型の量販店だった。種類は多いほうがいいだろ、という沖田の意見に神楽も賛成したが、問題はそのあとだった。

「おら、好きなの選んで来い」

 なんとも無責任なことを言い残して、背を向けた沖田はどっかへ行こうとした。神楽は慌てて隊服の裾をつかんで引き留めてやる。

「そうだよな、お前はそういう奴だったアル」
「なんで呆れてんだ」

 わけわかんねえという顔を浮かべている沖田に、神楽はため息混じりに言った。

「普通こういうのは、一緒になって選んでくれるもんヨ」
「あーひょっとしてアレか、俺の好みのやつが欲しいとかそういう、」
「違うアル」
「けっこう可愛いとこあんじゃねーかィ」
「だから違うって言ってるアル!」

 いいからさっさと行くぞと隊服を引っ張ると、伸びる伸びる、と苦情を言いながら沖田が神楽の横を歩き始めた。その顔は非常に面倒くさそうな顔をしている。だが一緒に靴を選んでくれる気になったらしく、神楽が手を離しても沖田はもうどこかへ行こうとしなかった。
 さすがに大型店だけあって、フロアは大量の靴に埋め尽くされて選び放題だ。とはいえ、色とりどりの靴が所せましと並んだ空間から一足を選び出そうとすると、神楽はなんだか途方に暮れたような気分になってしまう。だからこうして隣に沖田が居てくれるのは神楽にとって心強い。
 いろいろ見て回っていると、神楽が今履いているのと似たような靴を見つけた。色が綺麗だったので、傘を持ち運ぶ手とは別の手でそれを手に取ってみる。

「なんかあった?」

 隣の棚をぼんやり眺めていた沖田が神楽の手元を覗き込んでくる。

「おい。なんで今履いてるのと同じの選んでんだ。バカなのか、チャイナはバカなんかィ」
「バカって言うほうがバカアル。ていうか、同じ靴じゃないアル」
「形がクリソツじゃねェか」
「底に鉄板入ってないネ」
「判断基準そこか」

 神楽の言い分が気に入らなかったらしく、沖田は険しい顔をして言った。

「とにかく、今履いてんのと違うの選べ」

 なんて偉そうな口ぶりをするんだ、ていうかお前が好きなのを選べと言ったんだろうと恨みがましく沖田を睨みつけてやるが、靴の代金が沖田持ちであることを思い出して、神楽はしぶしぶと靴を元あった場所に戻した。
 沖田からは「違うのを選べ」と言われてしまったが、神楽には難しい相談だ。なんせ同じ靴しか履いてこなかったので、自分に似合うほかの靴のイメージが湧かないのだ。
 なんとなく目に留まった真っ赤なハイヒールを神楽が手に取ると、やはり横から沖田が要らない口を出してくる。

「そんなん止めとけって。靴擦れするに決まってらァ」
「履いてるうちに慣れるアル」
「つか、ハイヒール履く奴にゃもっとこう色気がねえと」
「はー!?」

 あんまりの発言に神楽が面食らうが、沖田は何食わぬ顔でほかの靴を物色している。「コイツに一緒に靴を選べなんて言ったバカは誰だっけ」と考えてから「あっ私だったアル」と二秒で思い出して、神楽はつくづくと後悔した。
 それからも神楽が手に取った靴に対して、いちいち沖田が文句つけるせいで、靴は一向に決まらない。ああでもないこうでもないと二人で言い合いをして、神楽は疲れてしまった。

「文句ばっか言うんだったらお前が選べばいいアル」

 そしたらどうせ面倒くさいとか言うんだろうと予想できていたが、神楽はあえて声に出した。すると沖田はキョトンとした顔になったあと、「サイズは?」と神楽に尋ねてきた。まさか本当に選ぶ気なのか、と驚きながらもサイズを告げる。

「待ってろ」

 言い捨てるようにして沖田が行ってしまうので、お言葉に甘えて神楽は近くに置いてあった丸椅子に腰かけて待つことにした。真選組の制服は目立つ上に、それが女性用の靴コーナーにあると人目を引くが、気にせず売り場をウロウロしている沖田の姿が見えて、あいつスゲーな、と神楽はよくわからない感心をしてしまった。

 しばらくして神楽の元に戻って来た沖田は、めぼしい靴をいくつか見繕ってきたようで、片方だけの靴を両手にひとまとめにしている。

「とりあえず全部履いてみろィ」

 靴を抱えた両手を持ち上げてみせるので、神楽は手を差し出した。だが、靴はいつまでたっても沖田から手渡されない。

「……履くんじゃないアルか?」
「テメーは座ってろ」

 その場にしゃがみ込んだ沖田は手持ちの靴を床に並べると、椅子に座っている神楽を見上げてくる。

「足出せ。履かせてやっから」
「いいヨ。自分でできるネ」
「いいから」

 ほら、と顎をしゃくって沖田が促す。椅子から立ち上がろうとする神楽を制したその目は据わっていて、こういう時の沖田は何を言っても納得しないことを神楽は心得ていた。
 もうどうにでもなれと思って神楽が片足を出せば、がっちり足の両脇をホールドされる。目にも留まらぬ早さで靴が脱がされて、ギャーッ!と悲鳴が出そうになった。

「ちっせえ足」

 さっきサイズ聞いた時も思ったが、と呟いて、神楽の素足を沖田がまじまじと見つめてくる。

「あんだヨ、文句あっか」
「そうは言ってねえだろ。なんでオメーは喧嘩腰なんでさァ」

 沖田が呆れたように溜息を漏らすが、一方の神楽は実はそれどころじゃなかった。今のは照れ隠しにわざとぶっきらぼうに言ったのだが、バレていないようで良かったと思う。
 沖田の手が靴を脱がしにかかる時、神楽の脳裏には、足首を掴まれた先日のことが自然と思い出された。あの時の感触や力加減が甦ってきたせいで、神楽の心臓は先ほどからバクバクと騒々しい。
 そうでなくても、今だって沖田の骨ばった指が神楽の足首と足裏に添えられているので、くすぐったいやら触れられた部分が熱いやらで神楽はもういっぱいいっぱいだった。

「まずこれだな」

 沖田の平坦な声を聞くかぎりでは、幸い神楽の動揺は悟られていないとわかる。真っ赤に染まった顔色を見ればすぐに気づきそうなものだが、今の沖田は神楽の足元ばかりに注意がいっているようだった。
 そんな沖田が選んだのは先端が三角に尖がった黄色の靴だった。光沢のあるそれは大人っぽい印象を受ける。一度は履かせてみたものの、どうも気に入らなかったのか、眉をひそめた沖田は靴をすぐ脱がせてしまう。
 その際に、沖田の指が足の甲を撫でるみたいにするので、神楽はビクッとして目を瞑った。ゆっくり薄目を開けて確認すると、沖田が眉ひとつ動かしていないのを知る。意識してんの?と囃し立てられるより何倍も良かったが、なんだか自分一人だけで大騒ぎしているようでちょっと悔しかった。

「次これ」
「こっち履け」
「次はこれな」

 つるつるした表面の紫色の靴、ゴワゴワした皮靴。さまざまな靴を神楽は履かされたが、触れてくる手の感覚と温度がいつまでも慣れなかった。
 次に履いたのは練乳色をした靴だった。足の甲が出ているサンダルのような靴は、やわらかい素材で神楽の足にフィットした。足首を固定するヒモが太いので脱げる心配はなく、靴底も分厚いので、これならすぐ履き潰してしまうこともなさそうだ。

「どう?」

 何個か靴を試して、ここで初めて沖田が神楽にお伺いを立ててきた。一目で気に入ったので、神楽は素直に頷き返す。

「これいいネ。かわいいアル」
「……じゃあこれ買ってくる」

 言うが早いか、鮮やかな手つきで靴を脱がしてしまうと、沖田は靴のコーナーに戻ってもう片方を回収して、その足でレジへ直行した。支払いを済ませた靴はあっという間に箱に仕舞われて、紙袋に入れたそれを沖田が持った。

「あー疲れたァ」

 自動ドアを抜けるなり、靴屋を背後にして沖田が深く息を吐き出してみせる。

「どこにお前の疲れる要素があったアルか」

 広げた傘の日陰の下で神楽は顔をしかめた。ずっとドキドキしていた自分のほうがよっぽど疲れている、とは思うだけで口にしない。

「いや、慣れねェことはするもんじゃねーなって」
「慣れない?」
「そう。やっぱテメーで履けばよかったんでィ」
「でもお前がやりたいって言ったのヨ」
「そーだっけ」
「忘れんな」

 見れば、沖田はうんざりしたように眉根を寄せていた。Sを称している人間としては、誰かに靴を履かせるというシチュエーションは苦手だったのかもしれない、と神楽は考える。だったら、なぜあんな頑なに靴を履かせようとしたのだろう。それが神楽にはさっぱり分からなかった。

「ねえ」
「なんでェ」
「それ履きたいアル」
「あー、俺も疲れたし、丁度いいからあっちのベンチ座るか」

 沖田が指差す方向には心当たりがある。この通りを真っ直ぐ行けば駄菓子屋があって、店前に設置されたベンチのことも神楽は知っていた。
 じゃあこれ、と沖田から紙袋を渡されて、ぱちぱち瞬きを繰り返して神楽が見つめ返す。

「なに、履くんじゃねーの?」
「履かせてくれないアルか」
「………お前、」

 なぜだか沖田は悔しげに言葉に詰まっていた。ちょっとふざけて言ってみただけなのに、そんな反応をされるとは神楽も思っていなかった。疲れたと言っていたが、靴を履かせる気力すらないのだろうかと神楽は不思議に思う。
 目の前の沖田は本当に弱りきった様子をしているので、神楽はわかったと納得した。

「わかったアル。じゃあ、私はこれ履いてるからお前は酢昆布買ってこいヨ」

 靴だけじゃなく酢昆布まで買わせるのか、と愚痴を吐かれそうだったが、沖田にしては珍しく素直に従うらしい。早足で駄菓子屋へと向かって行く。
 その真っ黒い背中を眺めながら、沖田が自分に靴を履かせることはもうないかもしれない、と神楽は思うのだった。
 それがなんだか残念な気がして、そして残念だと一瞬でも考えた自分が恥ずかしくて、神楽はぎゅっと腕の中の紙袋を抱きしめた。


***

 駄菓子屋の軒下のベンチに腰掛けて神楽が待つことしばらく、ビニール袋をガサガサ言わせて沖田が駄菓子屋から出てきた。

「ほらよ」

 ベンチの正面に立つ沖田から袋が手渡される。中身を確かめれば酢昆布が五個入っていて、太っ腹!と神楽は思わず声を上げる。

「ん」

 酢昆布をゲットした上機嫌さをそのままに、神楽は白い靴を履いた両足を沖田の前に突き出した。靴屋で一度試しに履いたはずだが、沖田は今ここで初めて目にするみたいにジッと神楽の履いた靴を眺めた。それから、目尻をふっと緩めて沖田が笑う。

「おう、似合ってんじゃねーか」
「ニヤニヤすんな。なんか気持ち悪いネ」
「一応彼氏に向かって気持ち悪いはないんじゃねェの」

 撤回しろとばかりに唇を尖らせる沖田だったが、その目がひどく優しいのを神楽もちゃんと知っていた。嬉しいんだろうなと誰が見てもわかる顔で、沖田が熱っぽい視線を神楽に送ってくるから、照れ隠しのつもりで「気持ち悪いアル」と神楽は重ねて言った。

「仕方ねーだろィ」

 いったい何がそんなに嬉しいのやらと神楽が思っていると、言い訳じみた言葉が沖田の口から吐かれる。

「惚れた女が俺の選んで買った靴履いてんだぜ。それってなんか、チャイナが俺のもんだって感じがすんだろィ」
「っな、ばっ…っ!」

 喉奥で息がつまってカッと頬が凄まじい熱を持つのを神楽は自覚した。沖田が照れた様子もなく真顔で言い放ってみせるので、それが余計に恥ずかしかった。
 誰がお前のもんだ!と神楽が返すより先に、沖田は歌うように続けた。

「手ェ出すなって隊の奴らに牽制するより、こっちのほうがよっぽど独占欲満たされるってもんでさァ」
「あーーッ!お前、アレやっぱり確信犯だったアルか!」
「たりめーだろィ」

 神楽がハッと瞠目すると、沖田は反省のかけらもないドヤ顔を披露した。その顔を蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られるが、今考えなくちゃならないのは屯所のことだ。先日の沖田の発言によって、屯所の人々のおかしな態度はきっと今も健在なんだろうと考えて、どうしたもんかと神楽は頭を抱えた。

「一つ聞いていいアルか」
「どーぞ?」
「つまり、さっきお前が言ってたドクセンヨクってゆーのは、これで満たされたってことアルな」
「まァだいたい」
「よし。だったら早く屯所の奴らの誤解とくがヨロシ」
「いや無理じゃね?」

 ひょいと肩を竦めて「だって誤解じゃねーからなァ」と沖田が言う。いいやこれは誤解だ、お前が変な言い方をしたせいで面倒な事になっているんだと神楽は額に青筋を浮かべた。

「そんなに嫌なのかィ」
「嫌っていうか、普通に接してほしいだけヨ。お前がなんとかしないなら、私もう屯所には行かないアル」

 突っぱねるように言えば、神楽がすっかり不貞腐れているのを沖田も理解したらしい。仕方ねェなと言って、これみよがしに沖田がため息をつく。

「屯所の奴らには俺がうまいこと言っとく」
「ホントだろーな。男に二言はないアルヨ」
「ああ。だからオメーも、せっかくその靴買ってやったんだから、屯所来る時は次からそれ履いて来いよ」

 これが交換条件だと言うようなそれに、神楽はちょっと迷ってから横に首を振る。「はァ?」と沖田が目を見開くので神楽は慌てて弁解した。

「あっ、この靴が気に入ってないってわけじゃないネ。あんまり履いて汚しちゃうのが嫌なのヨ」

 神楽は以前履いていた靴がボロボロになったのを思い出して、沖田に買ってもらったこの靴も同じ運命を辿るのかと思うと忍びなくてならなかった。だから、履くペースを落とせば靴の寿命も長くなるんじゃないかと考えたのだ。そんな思いを知ってか知らずか、沖田は何でもないような顔で話を受け止めている。

「なんでェ、そんなことか」
「そんなことって何ネ」

 大切な靴が汚れてしまうことを「そんなこと」で片づけられて、神楽がムキになって言い返すと沖田は怪訝な顔をした。

「オメーが遠慮なんてするタマだったか」
「なにが言いたいネ」
「下手に気ィ使う必要なんてねーって言ってんだ」

 沖田がちょんと神楽の両足を指さすので、導かれるように神楽も買ったばかりの白い靴を見つめた。

「デート用の靴なんだろ」
「……そうヨ」

 デート云々というのは靴屋に出かける前、沖田を説得するために自分で言ったのだが、神楽は少し恥ずかしさを覚える。それでも今は、眼前の沖田が真っ直ぐに見つめて話すので、ここはしっかりと頷いた。

「だったら、俺と会う時はいつもそれ履いて来い。そりゃあ、いっぱい履けば汚れるが、こればっかりは気を付けてもどうしようもねェよ。どうしようもねえんだったら、好きなだけ履いてやった方がいいだろィ」
「……そうアルな」
「ああ。いっぱい履いて、そんでまたボロくなったら、俺がまた靴買ってやらァ」

 そんなことを言う沖田の目は優しいものをしていて、神楽は意地を張ることもできずに、ただただ素直に頷くしかできなかった。

「……言い忘れてたアル」
「あァ、なに?」
「靴買ってくれてありがとアル」
「おー」
「あと、お前の言う通りアル。好きなだけ履いて、この靴もすぐボロボロにしてやるネ」
「なんか、俺の言ってんのと違くね」
「大事にしろって事でしょ。わかってるアル」
「ホントかよ」
「うん」

 眉をひょいっと上げて沖田が訝しむので、神楽は強く頷きを返して、ベンチからこぼれた足をぶらぶらさせた。
 これはデート用として買ってもらった靴だ。しかしそんなの構わずに、これからも神楽は沖田とかけっこや喧嘩をするので、そのうち靴は汚れたり擦り切れてしまうことだろう。せっかくの可愛い靴を汚してしまうのは悲しいが、沖田の言うとおりだ。この靴も、前の靴みたいにグズクズになるまでたくさん履いてやろうと思う。
 白い靴から沖田へと視線を戻して、神楽はにっこり笑った。

「大事に履いて、大事にボロボロにするアル。だからその時はまた靴買ってヨ」
「なんだそれ」

 小さく笑ってから、沖田が手を差し出してくる。神楽は迷うことなくその手を取って、引き寄せられるみたいにベンチから立ち上がる。
 酢昆布と傘と、仕事用の靴が入った紙袋を一気に抱えると、荷物が一気に増えて大変だったが、神楽の足取りはびっくりするくらい軽い。
 大事にするアル。
 沖田と自分に言い聞かせるように、もう一度そう神楽は呟いた。




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