近頃なにやら新八の様子がおかしい。
 たとえば、銀時と妙を交互に見つめては何事か言いたげな顔になって目を細めたりすることが増えた。
 また時折思い出したようにわざとらしい演技で自分たちを二人きりにさせようとしたかと思えば、逆に絶対に二人きりにさせまいとシスコンを最大限に発揮する時もある。応援したいのか邪魔をしたいのかきっと本人にもわかっていないのか、一見矛盾したそれらの行動は彼なりの葛藤のせめぎ合いの一端なのかもしれない。
 あとは、さりげなさを装う銀時の手が妙の肩に触れるのをみとめた新八が、咎めるとも責めるとも違う、緊張した眼差しを銀時にじっと寄越したりするだとか。
 そういう、日常における小さなとっかかりが最近になって目に見えて増えた、……ような気がする。気がするだけだ。銀時の勝手な思い過ごしかもしれない。ああきっとそうだ、そうに違いない。そういうことにしてくれ。
 しかしながら内心冷や汗かいてわざと目を逸らしてきた現実が、銀時をせせら笑うように今こうして大きな壁として眼前に立ちはだかっているのだから、まったくもって笑えない。
 何か言いたいことでもあるのかい新八くん。
 なーんて。
 わざわざ聞いてやらんでもわかる。
 なぜなら銀時には十分に思い当たる節があるからだ。
 原因はアレだ。
 アレに決まっている。

「たぶん気付いてるんじゃないかしら」
「…………誰が、何を」
「新ちゃん、わたしたちのことに気付いているんじゃないかしら」
 寝酒のつもりで始めたのに気づけばいつまにか二人とも飲み過ぎていた。
 ふたりのあいだに置かれた盆には空になった猪口がふたつ。新たな酒を注ぎ足して、さあどうぞと勧めてくる妙はアルコールのせいかしっとり目が濡れていて、頬は紅潮している。この女は酔うとそれはそれはもう凶悪な可愛さを発揮するからいけない。ふらふらと伸びかけた手を寸でのところで引っ込めることができたのは、銀時の理性が警鐘を鳴らし、ここが志村家であることを思い出させたからである。
 壁と襖で隔てられているので聞こえるわけがないのに、シスコンの弟の存在を意識した途端、彼の寝息まで聞こえそうだ。ちなみに客間には神楽も寝ている。何か不埒な声が聞こえようものなら起き出した彼らに挟み撃ちにされる未来が待っている。銀時にしてみればセコムも裸足で逃げ出す牽制だ。
 志村家の居間に掛けられた壁時計は深夜の一時を過ぎている。とりとめのない話題が何個か続いたところで、妙の口から彼女の弟の話が出たのはそんな折のことだった。
 ――――気付いている、とは。
「あー……俺とお妙が、そういう、カンジだって」
「ええ、わたしと銀さんが恋仲だってこと新ちゃんは気付いてると思うの」
 こちらが言葉を選んだのに照れるともしないで妙がケロリと言い放つので頭を抱えたくなる。
「あら。驚かれないんですね」
 意外だというように妙が目を丸くするので「いやいや!」とおもいきり首を振る。この銀さんを舐めてもらっちゃ困る……というか、新八の態度が露骨すぎていくら何でも気がつくだろうと思う。
「そんな気はしてたんだけどよ」
「だったら話が早いですね」
 好都合とばかりに妙が微笑む。なにやら嫌な予感がする、と途端に逃げ腰になる銀時に「銀さんの口から新ちゃんに早くおっしゃってくれませんか」と妙が追い打ちをかけた。
「だって、向こうから「アンタら付き合ってんでしょう?」と問い詰められたら情けないと思いませんか?」
 同意を求めるように妙が小首をかしげる。
 妙の言い分に何も言い返せないでいる己のなんとまあ情けないことか。
 志村新八という青年は普段の温厚な性格とは裏腹にしっかり姉の血筋を引いている。万事屋の核弾頭は実のところ彼だ。交際している雰囲気をしっかり漂わせておきながら、待てども待てども一向に話を切り出さない自分たちに彼も正直イラつき始めていることだろう。溜め込んだ彼のイライラが大爆発する瞬間に立ち会うほど怖いものはない。
 彼が一度ぶちキレたが最後、上司だろうが実姉だろうが関係なく自分たちは地面に正座させられるだろうし、鬼神の如き顔をした新八が「で? いつから付き合ってた? いつから俺たち騙してた?」と問い詰める光景が容易に想像できてしまうから恐ろしい。大のおとなが二人して情けのない絵面になりそうだ。
 つまるところ、妙いわく、「カミングアウトするなら早いうちがいいんじゃないか」ということらしかった。
 本来は順序立てて事を運ぶべきだろうに、交際を打ち明けるでもなく、なし崩し的に交際を受け入れられつつある現状を妙はよしと思わないらしい。勿論それは銀時だって同じだ。
 本音でぶつかりあわなければいけないと分かっていながら、肝心なところで逃げ出していた。このままではいけないと自覚している。
 ただし、それに気付かされたのはすでに万事屋に妙の着替えが置かれ始めて志村家に銀時専用の食器類が備えられてからだ。外堀を埋めるどころの話ではない。こんなこと、桂や坂本などに知られたら爆笑される。
 責任転嫁をするようで忍びないが、これはひとえに志村姉弟の性質にも原因があると思う。極度のお人好し姉弟は(自分でいうのも何だが)万事屋なんていう職業の胡散臭い男を懐に引き入れてしまった。否、彼らを引き入れたのは銀時でもある。彼らから伸ばされた手を銀時は振り払いはしなかったし、気が付くと志村姉弟から目が離せなくなっていた。
 銀時は志村姉弟に甘やかされてきたし、おなじくらい銀時もまた志村姉弟を甘やかしてきた。
 甘やかしすぎてお互い見ないふりをしてきたあれやそれを一から整理していきましょうというのが妙の提案であり、まずは新八の許可を得ることから始めるべきだというのだ。
 ……だが、いかんせん怖いものは怖い。
 鼻フックは勘弁してほしいと銀時が青ざめている横で、さて新八にどう切り出したものかと妙は全然話を聞かないし、ああだこうだと押し問答を繰り返した。
 そうしてしばらく時間が経つと何やら状況がおかしなことになっていた。肉体労働の仕事ばかりしていた連日のツケがきた銀時と、このところ夜勤続きの妙は、二人して疲労の身体に酒精を摂取しすぎたのだ。なんだか分からないうちに、話がどんどんみょうな方向にいってしまった。
「そうですよね、まずは心の準備が必要よね」
 やけに据わった目をした妙がそんなことを言う。赤ら顔でひっくと肩を揺らす妙を見て、銀時が慌てて妙の手から徳利と猪口を取り上げたがもう遅い。
「わたしを新ちゃんだと思ったらどうかしら」
「……………は?」
 何がどうしてそうなったのか、妙を新八だと想定してカミングアウトの予行練習をしようという話になっていた。
「なあ、待て。何それ。おかしくね? なんでそうなるの?」
「いいじゃないですか予行演習。私を新ちゃんだと思って、やってみたらいいじゃない。一度練習したら度胸がつくと思いますよ」
「いやいやいや、無理があるわ!」
「大丈夫よ、新ちゃんは私と目元がよく似てるって近所の人たちからよく言われるんです」
「オネエサン一体それいつの話してんのォ!」
 だめだよこの人自分で何言ってるか分かってないよこれ。
 弟と目元が似ている云々も一体いつの話をしているのやら怪しいものだ。おそらく最近の出来事ではなくて子供の頃の話だろう。たしかに、茶色がかった黒目がちの目元は新八と似ていると思う。だが、それまでだ。妙を新八だと思い込めというのはあまりにも無理な注文で、どんな催眠術をかけられようが銀時には無理という話だ。
「お前、飲み過ぎだろ。ほら、バカなこと言ってねーでさっさと布団行け」
「逃げるつもりですか」
「んなこと言ってねえだろが。お前が素面じゃないと話になんねーから言ってんだろ」
「先延ばしは嫌よ。じゃないと私から言いますからね」
 銀時の言葉を突っぱねて、妙は動こうともしない。こういう時の妙は何が何でも引かないのを銀時は過去の経験から学んだ。ええそりゃあもう嫌と言うほど知っていますとも。半ば諦めの境地に至りながら、銀時は深い溜め息を吐き出した。
 予行練習だろうが何だか知らないが、こういう話は堂々と素面で話すものではないか。……だから、ひとまず、この酔払いをどうにかして布団に転がさなくてはならない。
「まあ待て。アレだ、よーするに、お前を新八だと思えばいいんだな?」
「そうです」
「……えー、あー、ゴホン。新八くん、お前のねーちゃん俺がもらうから、ウン。だからアレ、そういうことでよろしくな、ウン」
「一回死んで出直してきてください」
 銀時なりになるべく穏便に事を済まそうとしたつもりだったがどうやら妙のお気に召さなかったらしい。かたく握り締めた拳を頭上に構える妙に「ちょっと待てェ!」と手のひらで制する。
「予行練習ってそういうことォ!?」
「新ちゃんならきっとこうすると思って」
「たしかに! 絶対殴られるけども!」
 いまはそんなリアリティ追及しなくてもいいからと暴力反対を訴えるが、酩酊した頭で力加減ができるものか怪しいもので、今の状態の妙に鉄拳制裁は食らいたくないというのが本音だった。
「銀さんが真剣にならないとあの子も真剣にならないと思うんです」
「俺はいつだって真剣だっつうの」
「うそよ」
 銀時は決して嘘をいったつもりはなかったが、さっきまでのやり取りのせいかふざけていると思われている。しまった、と銀時は内心で臍を噛む。
「銀さん、もっと真剣になったらいかがですか」
 妙の表情が険しいものに変わる。なんだか雲行きが怪しくなってきた。
「新ちゃんなら、私のことに関してはいつだって本気で向かってくれるわ。銀さんも本気で立ち向かってもいいじゃありませんか。新ちゃんなら、たとえ練習だろうと、姉上はあげません、ってつよく言ってくれるはずだもの」
 妙が、あんまりにも誇らしげに言うので、苛立ちにも似た何かが銀時の胸にわだかまる。
 あげませんという言葉が引っかかって、つい己の眉間に力が入った。
「あげるも何も、手前のねーちゃんだからって、お妙が新八のモンなわけねーだろ。言っとくがよ、お妙……ああ、今は新八くんだっけ?」
 説得の練習だと思い出し、わざわざ言い直してやる。
 いいじゃないか予行練習やってやろうじゃないかと胡坐をかきなおして、銀時は正面の『新八』を見据えた。
「お前がいくら駄々こねようが関係ねえ。俺がその気になれば、ねーちゃん掻っ攫ってお前の手の届かないどっかに逃げちまうことだってできる」
「そんなこと、できるわけない」
「できる」
「できない」
「いーや、できるね」
「……」
 迷いなく断言してやると驚いたように相手が首をすくめる。何も言い返せずに下唇を噛みしめた悔しげな顔は、確かにどこか新八の面影がある。
 なんだか本当に新八相手に妙の取り合いをしているような気分だ。なにぶん銀時も十分に酔っていた。
「姉上を攫ってどうするんですか」
「攫わない」
「は?」
「攫ったりなんかできるわけねーだろ。そもそもお前がうんと頷かなけりゃ、俺はお妙を貰う気はねーよ」
 何が言いたいのかと、『新八』は怪訝な表情のまま首を傾げる。
「お前のねーちゃんもらう、ってさっき言ったけど、あれはちょっと間違いな」
「間違い……?」
「お前も、神楽も、定春も、全部そろわないと意味ねーだろ。覚悟見せろってんなら好きなだけ殴られてやる。それでおまえら姉弟が十何年と背負ってきたモン一緒に背負わせてもらえるなら安いもんだ」
 言葉足らずだ。ほんとうに言いたいことの百分の一にも満たない。思考が必死になって言葉をかき集めている。
「家族と思ってくれてもいいですとか何とか、前にお前が俺に言ったことあっただろ。お前は覚えてないかもしれねーが、俺は嬉しかったよ。なあ、あの言葉、いまでも信じていいんだろ」
 口が渇いて唾がうまく飲み込めない。頬が焼けるように熱くてたまらない。酒を飲み過ぎているせいもあって、目の前にいるのが新八なのか妙なのかさえあやふやだ。
 だが、言うべき言葉を違えることはしない。今はただこの姉弟と真剣に向き合いたいと思う。
「お前の心には父上がいて、母上がいるんだろう。俺はお前のとーちゃんかーちゃんの代わりになりたいわけじゃない。なれるわけもねえ。永久欠番の席に居座ろうなんざ、ハナから思っちゃいねえよ。思い出なんだろう。大事にしていればいいさ」
 ただ、少しでいい。お前たちと一緒に重荷でも過去でも、俺に背負わせてくれたらいい。それだけではずっと一緒にいる理由にはならないかもしれないけれど。本当の家族だろうがそうじゃなくたって、離れてしまうこともあるだろうから。お前も、神楽も、進みたい場所に行けばいい。とめやしないさ。その時は俺とお妙がお前たちを見送ってやりたいと思うし、お前たちの帰る場所を守ってやりたい。おかえりを言ってやりたいと思うのだ。
「なあ、俺はお前のねーちゃんのことが好きだし、それ同じくらい、新八、お前のことが大切だと思ってるよ」
 妙一人分じゃあ、だめなのだ。たとえ本当の家族になれなくたって、ずっとつなぎとめておくことはできない不確かなものだとしても、彼らと一緒にいたいと思ってしまった。
「新八、俺はお前と家族になりたい」
 こんなのはどうしようもなく欲張りで傲慢な独りよがりの願望で。
「それでも、俺はおめーらのそばにいたいよ」
 酔払いの戯言だ。
 だから努めて明るい声色で話そうとしたのだが、どういうわけか最後にはまるで懇願するような弱りきった声になってしまった。大の男がなんて声出してんだと情けない自分に呆れていると、ドンと銀時の身体に衝撃が走る。
「ッお、わっ!?」
 すっかり油断していたので体勢を崩してしまうが、何とか両手でそれを受け止める。
 腕にしっかりと抱き止めながら飛び込んできたものを確認した。
「おいおい、ちゃんと聞いてたか? 新八くーん?」
 銀時の両手にあるのは紛れもなく女の体だったが今は『新八』だった。
「バカじゃないですか」
「バカとは何だよ」
「今は新ちゃんじゃないわ、お妙よ」
 妙の手が銀時のインナーを掴んで強く手繰り寄せる。
 自分を新八だと思えと命令したかと思えば今度は違うと言ったり注文の激しい女だなと思いながら、不思議と悪い気はしないで銀時は目の前の女の背中に手を回した。
「そばにいてください」
 そばにいたいと願った。
 そばにいてと言われた。
 それが答えだった。
「わたし、うれしいんです」
 ぼそぼそと唇を動かす妙の吐息が銀時の首元に触れてくすぐったい。
「……何が」
「銀さんがそんなこと言うなんて」
 銀時の首元から顔を上げて、鼻先が触れ合うくらいの距離で妙と目と目が合う。酔いが回りきっているのか、はたまた別の理由か、頬や目元だけでなく耳まで真っ赤だ。きっと自分も同じくらい赤い。触れて確かめなくてもわかる。いい年した男女が二人真っ赤になって何やってんだろうか。
「わたしたちのこと、真剣に考えてくれてありがとうございます」
 ふにゃりと表情を崩した妙に、礼まで言われてしまって、落ち着かない。素直に嬉しそうな顔をされると、先ほどまで自分が長たらしくしゃべり続けた言葉の意味を思い知らされるようで銀時は急に恥ずかしくなった。
「あのさ」
「はい」
「悪ィけど俺いま酔ってんの」
「だから、なんだってんですか」
「酔いすぎて自分が何言ってんのかもよくわかんねーの」
「それでも本音でしょう?」
 酒を言い訳に使うなと言外にたしなめられて、ぐっと言葉に詰まる。その様子を面白おかしそうに見つめて、ふっと妙は目を細めた。
「本番はお酒の力を借りないでくださいね」
「…………やっぱりまた今度にしない?」
「銀さん」
「あーハイハイ、わかってるわかってる」
 ちゃんと言います覚悟はできたよ背負うものの大きさに怖がるのはもうやめた。悲観的なことばかり考える銀時をらしくないと彼らは笑うだろうから。
 何を犠牲にしても手に入れたい女がいる。
 いや、そんなのは嘘だ。何も犠牲にしたくない。弟の意思を大切にしたかった。彼女の弟とのつながりもなくしたくなかった。二兎を追うものは何とやらと言うが、欲張って一体何が悪い。欲しい物は欲しいと言えばいい。意地も恥もかなぐり捨てた自分は無様だろう。そんなものだ。誰もがみんな年甲斐もなく足掻いて、死ぬ気で手に入れたいと願っているものがそれだった。
「いい加減諦めたらどうです? 明日言おうが明後日言おうが変わりませんよ、どうせ鼻柱砕けるまで殴られる運命なんですから」
「オイ。具体例を示すんじゃねえよ、考えるだけで痛くなるでしょーが」
「安心なさいな、傷の手当は私がやってあげますから」
「フォローになってねーんだけど、それ」
 苦笑いする銀時の苦悩を知ってか知らずか、妙はぱっと両腕を開いたかと思うと抱えるみたいに銀時の頭に手を回した。
 ほうっと息がかかって、耳元で囁かれる。
「ぼろ雑巾みたいになっても、また抱き締めてあげます」
 そうして告げる声はまるでしあわせを噛みしめるみたいだった。



「だから大人しく殴られてください」
銀妙10月祭2016参加作品 2016.10.31
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