薄暗い、日当たりの良くない道を歩く。沖田の見廻りルートに組み込まれたこのあたりは狭い路地ばかりが続く。
 春先の今頃は丁度良いが、梅雨になれば湿気を溜め込む場所となる。それまでに巡回ルートを変えてもらわなければと沖田は常々思っていた。できれば土方が配属されればいい。
 太陽の恩恵をわずかでも受けようと、密集する長屋のどの軒先にも洗濯物が干してある。はためく手ぬぐいやらが青空を遮るために、太陽は路地に光を届けない。なので沖田の足元には日陰ばかりが落ちているのだった。
 ダンッと板を蹴り上げる音がした。
 反射的に頭上を見やった沖田の視界に、濃い藤色をした傘が飛び込んでくる。
 次の瞬間には、淡い色のチャイナドレスがひょいと屋根と屋根の間を飛び越える。一瞬のぞいたスリットの隙間。眩しいほどの真っ白い脛と足首にビクリとする(間違ってもドキリではなかったと思いたい)。

「バカと煙は…」

 などと唱えてみる。つまるところ屋根を歩くコイツのことを言うのだ。
 長屋の住人は皆出かけているのか物音一つしない。であるから、内容は聞き取れずとも沖田の声は聞こえたようだ。傘が一回転したかと思ったらば、チャイナドレスの裾がひらりと揺れる。

「おい、そんなところで何してるアルか」

 響くソプラノ。こちらの姿を認めた神楽が立ち止まり、屋根の縁にしゃがみこむのが沖田にはわかった。傘の下のまるっこい頭がよく見えるようになる。

「それはこっちの台詞でィ。人んちの屋根で何やってんだ。場合によっちゃあ、巡回中のお巡りさんがしょっぴいてやらァ」
「とんだ濡れ衣アル。知ってるアルか、誤認逮捕って言うのヨ、そういうの」
「なに、逮捕はしねェさ、怪しいやつは片っ端から斬るのがうちのモットーでしてねィ」
「なんかもうヤンキーと変わらない物騒さアルな。心配になってきたヨ、お前ら大丈夫アルか。そんなんで江戸の平和はちゃんと守られているアルか」

 天人に江戸の平和を心配されちゃおしまいだ、と空に向かって軽口を叩く。
 洗濯物に埋もれた空から沖田を見下ろして、神楽は風に前髪をそよがせている。声音の明るさと、沖田を前にしても眉間に皺さえ寄せないところを見るに、良いことでもあったのか。そう勘ぐることはとても容易い。

「んで、屋根歩いて、オメーは一体どちらに行くんで?」

 いい加減、持ち上げたままの首が疲れてきた。こちらを見下げる神楽が答えるに、江戸城に行くのだそう。お姫さんに会いに行くとも言った。
 神楽の肩から可愛らしい桃色のポシェットがぶらさがっていることには気づいていた。今の時期の江戸城は桜が綺麗だろう。満開の桜の木の下で、姫様と一緒に女らしい遊びでもするのかも知れない。おはじきやあやとりをする神楽を沖田がぼんやり想像してみると、意外と似合っている気がしないでもなかった。

「江戸城に行くなら、こっちを通った方が近いネ」
「わかんねェなァ、普通に道を歩けばいいじゃねーかィ」
「傘さしてると通れないのヨ」

 屈んだままの神楽が肩を揺らすと傘も背中で揺れる。なるほど、あの傘の幅ではこの路地は通れまい。
 しかしだからといって屋根を歩くこたァねえだろう、沖田は肩をすくめてやる。
 日陰の多い路地なのだ、傘を畳んで日向を避けて歩くだとか遠回りして大通りを歩くだとかすればいい。そのような発想には思い至らぬのかと思った矢先、歌い出すように神楽が言うのだ。

「そよちゃんが待ってるのに遠回りなんかしてらんないアル! それに、日陰の窮屈な道を歩くより、どうせなら広くて明るい道のりの方が楽しいアル!」

 きらきらした、子供の目で神楽が見やってくるものだから。沖田は困ってしまった。相手の純粋な部分を目の当たりにさせられてしまえば、自分は大違いだとつくづく思わされる。バカと煙はなんとやらと言ったものだが、本当のバカはどっちだという話。
 そこからの景色はどんなにかと、同意の代わりに問うた。すぐさま傘ごしに空を仰いで、神楽は口を開く。

「ごっさ綺麗ヨ! 風が気持ちいいアル。太陽の光もあったかくて、とっても気持ちいいネ」
「太陽ねェ、テメーたしかお天道様に弱いんじゃなかったか」
「そのままの意味で言ってるわけじゃないアルヨ。あったかい空気を感じるってことネ。……こういうのはニュアンスで感じるものアルぜ?」

 したり顔の神楽の、調子の良い口調は誰かさんそっくり。旦那の受け売りだろうか、などと考えを巡らせる。見ている限りでは、確かに沖田がいる場所よりもそこはずっとあたたかそうで、風当りも良さそうだった。

「お前もこっちに来てみればわかるネ」

 口角を上げて、来れるもんなら、と沖田を見やってくる挑発的な表情。ほーお、と沖田は言葉を返すと同時、すぐに周りを見渡す。
 路地に並ぶ長屋は存外大きな造りである、しかし屯所の塀よりも低い。どうってことない、少し勢いをつけた足をかけて飛び上がってやればいい。屋根に手をかけて体を引き上げる。難なくのぼった先では、想像通りだ、髪をさらっていくやわらかい風が吹いている。路地にいたときよりも心なしか気分がいい。
 明るい道のりの方がいい。神楽の言っていた言葉を思い出す、何となくだけれど沖田にも理解できる気がした。

「お前って結構ガキアルな」
「オメーにだけは言われたくねェや」

 ホントに来るとは思わなかった。そう言いたげな顔をしている神楽の顔を見つけるなり、沖田はにたりと笑みを浮かべる。
 屋根の上から見渡す江戸、ここからじゃ中心にそびえる江戸城も少しばかり立派なふうにみえる。自分は高いところは好きなのかもしれぬと、改めて自覚することもある。

「それよりチャイナ、俺に構ってて時間は大丈夫なのかィ」
「っあァ!」

 ばっと丸めていた背中を元に戻して、勢いよく立ち上がる。

「なんでもっと早く教えなかったアルか! 知ってただろ絶対!」
「なんだ俺が悪ィのか」
「悪い!」

 叫び、傘を振り上げて背中を向ける。「これじゃあ遠回りしなくて済んだ意味がねーな」という沖田の呟きに「まったくヨ!」と返して、別れの言葉もないまま神楽は走り出してしまった。屋根から屋根へと飛び移る様がモモンガか何かのようで、沖田の口からくつくつと笑いがついて出る。
 バカと煙はなんとやら、と、走る背中を同じ屋根の高さで見送りながら再び口先でことわざを唱えてみる。
 本当ならばこれは神楽を馬鹿にするつもりで持ち出したはずの言葉であったが、どうしたことか、日陰ばかりの世界にいたはずの沖田もいつの間にか屋根の上に立っている。
 どうやら自分も大概のバカであるらしい。



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