これはまた、珍しい人を見たものだ。
 屯所の中を歩いていた山崎は、廊下の真ん中で立ち止まる。
 山崎の視線は前方に向かう。屯所内にある台所の障子が少しばかり開いていて、中にいる人物のうしろ姿が覗いている。
 これはどうやら寄り道をすることになりそうだぞ。山崎は手元をちらりと一瞥しながら思った。両手にはぶ厚く重なった書類。山崎はこれを副長室へ届けようしていたところである。
 期限ギリギリに提出しようものなら切腹ものだ。しかしながら幸いにも、時間はまだ十分にある。だから大丈夫だ。確かめるように頷く。
 周りを見回して、自分以外の隊士が居ないのを確認したあとで、山崎は台所へ足を踏み入れた。

「何してんです。沖田さん」

 台所には、見知った栗毛色の頭。自分のよりも幾分か薄汚れてくたびれた(別に俺がサボってるんじゃない。監察の仕事は隊服が汚れにくいのだ)隊服を着込んだ背中に向けて、山崎は声をかけた。
 すぐに振り返った沖田は、山崎の姿を認めると片眉をひょいと上げた。

「おお、山崎じゃねーかィ」
「珍しいこともあるもんですねえ。沖田さんとここで会うなんて」
「なんでィ、人をツチノコみてえな目で見やがって」
「あっ…いえ、すみません」

 気分悪そうに沖田が眉をひそめるので、山崎は慌てて視線をほどく。
 なるほどツチノコか、山崎は沖田の言葉を反芻する。確かにそんな目をして沖田を眺め回してしまったように思う。失礼だとは分かっていたが、あまりに的確な比喩だったものだから、山崎から笑いがこぼれる。

「なんでも、沖田さんを台所で見たことのある人って、いないらしいですから。すみません。つい、珍しくてですね」
「あァ、人に見つかると面倒なもんで、普段は誰もいない時間帯を見計らって入ってんだが。俺をここで見つけたのはお前が初めてでィ」
「マジですか」
「マジマジ」

 見つけたのは山崎であるはずなのに、なぜか、沖田の方が得意顔をする。
 沖田の言う通り、今までこの屯所内の台所で沖田の姿を見た者はいないらしいのだ。台所の戸棚からカップ麺やポテトチップスが、沖田によって持ち出されている話はよく耳に挟んではいたが。
 この場所で働く給仕の女性たち曰く、まるで泥棒のようだと言われている。気配の一切を消して入り込み、気付かぬうちに菓子類を取って、去っていく。泥棒というよりかは、手癖の悪い野良猫のようだと山崎は思う。
 見たところ、今日は泥棒目的じゃなさそうだ。
 沖田の手元が空であるのを確かめて、山崎はそう予測を立てる。じゃあなんの用があってここにいるのか。嫌な予感がする。
 声かけなきゃ良かったかもなあと思ってしまうのは、沖田と遭遇すると山崎にはろくなことがあった試しがないからであった。大抵沖田が何かをしでかして、その尻拭いを山崎がさせられる羽目になる。

「それで、沖田さんは何をしてたんですか」
「こいつらに手間取ってた」

 言いながら、沖田が台所近くに備え付けてある机を指差した。机の上には盆がひとつ。盆の上には湯のみがふたつ。
 目を付けるべきは、湯のみと一緒に乗った茶請け。「こいつら」と沖田が呼んだのは、盆に溢れんばかりに盛られた、んまい棒やら煎餅のことらしかった。おそらく、これらを盆にぎゅうぎゅう詰めに乗せているうちに、山崎に見つかってしまったのだろう。
 
「客人ですか?」
「まあ、そんなところでさァ」
「それなら、この間局長が土産に持ってきた饅頭がありますよ。たしかまだ余ってたと思うんで、出しましょうか」
「アイツにくれてやるには勿体ねえよ。酢昆布一枚で、馬鹿みてぇに幸福になれる奴だからねィ」

 口先の態度とは裏腹に、沖田はにやにやと口元で笑いを噛み締めている。意地の悪いドSの笑みとは違うもの。客人のことでも思い出しているのかもしれない。そこで、山崎ははたと気付く。

「酢昆布…って、んん? ひょっとして沖田さん、客人ってチャイナさんでしたか」
「察しがいいじゃねェか山崎、他の奴等に言ったらどうなるか分かってんだろうな」
「脅しは止めて下さい!」

 山崎はビクリと肩を揺らしながら、やっぱり声なんかかけずにそのまま報告書出しに行けば良かったんだと後悔した。
 こうして沖田が口止めをするのは、神楽が来ているのを土方に知られたら追い出されると思っているからだろう。しかしである。局長は沖田にとびきり甘いが、なんだかんだ言って、沖田に対して一番甘いのは土方ではないか。あくまで山崎の憶測の話である。土方が神楽の姿を見つけても、沖田の客だと知れば見ぬ振りをするに決まっている。面倒事に絡みたくない、という気持ちもあるだろう。

「というかアンタら、相変わらず仲良いっすねえ」

 最近よく二人を見かけるようになった。ついこの間も、山崎は巡回中に沖田と神楽を見かけた。アレは駄菓子屋の前のベンチだったか。
 山崎は思ったことをすぐ口にする癖がある。今回も例に漏れず、なあんにも考えず山崎は口を開いてしまっていた。沖田と神楽が犬猿の仲だという重大なことを思い出したのは、すべてが終わってからだ。ああしまった!
 仲が良いわけあるかと、機嫌を損ねられたに違いない。殴られたらどうしよう。バズーカだったらもっとどうしよう。
 ガタガタと山崎が身を縮ませていると、正面に立つ沖田がフンと鼻を鳴らした。

「まァな」
「えっ」

 驚いたことに、否定はされなかった。沖田はどこか不服そうに唇をつんと結んで、茶請けのたんまり盛られた盆を両手に持つ。今にもんまい棒がこぼれ落ちそうだった。
 おせっかいだろうと分かっていたが、手伝いましょうかと山崎が一応聞くと、やはり、いいや俺が運ぶと返って来る。
 ついで、沖田の口がモゴモゴと動く。決まり悪そうに、「言っとくが」と付け足してみせた。

「言っとくが、アイツは俺が呼んだんじゃねーからな」
「そうなんですか」

 山崎は軽く頷く。いや、こっちはまだ何も聞いてないんですけど。なんてことを思ったけれど、声には出さないのが賢明だと思った。

「あっちが勝手に来たんでィ。ったく、チャイナの野郎、約束もしてねェのに上がりこんで来たかと思えば、一言目が茶を出せたァ、良い度胸じゃねェか。旦那はアイツにどんな教育してんだかねィ。迷惑な話でさァ」

 ぶつぶつと、文句を吐き出しながら沖田が唇をとがらせる。どうやら沖田自身はあくまでも、自分は迷惑してるんだからな、と釘を刺したいらしい。それが逆効果だと、なぜこの人は気付かないんだろう。沖田の心情がこれほどまでよく分かった日は、山崎にとって今日が初めてかもしれない。

「おい山崎、なぁに笑ってやがるんでさァ」

 あっやべ、と口を押さえても遅い。ニヤついた頬を確実に見られた。山崎退、一生の不覚。
 だって仕方がないじゃないか。
 茶を出せと言われて、素直に茶を淹れに行く沖田なんていつもなら考えられない。言い訳がましく言葉を並べる沖田の姿も、山崎には新鮮だ。沖田がこういう、子供っぽいところを見せるのは結構珍しいのだ。この人はいつも、大人ぶっているから。
 そんな沖田を知っているからこそ、笑いが零れてしまうのは仕方がないのである。そうだ、仕方ない。なので沖田からの制裁はこの際甘んじて受けよう。そう覚悟を決めて、山崎は瞼を下ろす。
 身体を強張らせて、一秒、二秒。
 三秒が経っても、山崎には何も起こらない。
 四秒目で山崎が恐る恐る瞼を引き上げる。むっと、その場で立ち尽くしている沖田が不機嫌そうにしていた。

「沖田さん?」

 斬られることも殴られもしなかった。蹴りもバズーカも飛んでこない。どういうことだ、天変地異か、明日は槍か。などと疑念を孕ませる。そして次の瞬間、ああ成る程と山崎は合点が行く。
 今の沖田の腕には菓子がこんもり盛られた盆がある。だから刀を抜けるわけもないし、蹴りの一つも繰り出せそうにもないのだ。
 つまるところ、神楽に命を救われたということだろう。ありがとうチャイナさん! 山崎は心の中で神楽に感謝の念を送っておく。

「アイツが帰ったら覚えときなせえ、山崎コノヤロー」

 チッと、あからさまな舌打ちを落とした沖田が台所から出て行く。菓子を山盛りにした、盆を携えて。
 菓子を落とさぬように、茶を零さぬよう、よろよろとバランスを取りながら、沖田が自室へ向かって行く。あれは大変そうだ。ゆっくり廊下を進む後ろ姿を、台所に留まったままの山崎が微笑ましく見つめる。

「チャイナさんに喜んでもらえるといいですね」

 誰に聞かせるつもりもない呟きであった。距離があるから当然、数メートル先の少年が振り返ることはない。もし聞こえていたら即刻戻ってきて、今度こそゲンコツを食らうだろう。
 山崎はふと瞼を閉じて、廊下を立ち去っていく沖田の背中をイメージとしてじっと焼き付けておく。小さな背中だった。戦場を刀一本で駆け抜けていくときの、おそろしく頼りがいのある背中とはまた違う。あの人もまだまだ十八なんだよなあと思わずにはいられない背中。例えるなら、そう。一人の女の子に恋した、ただの少年の背中だ。



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