ほっそりした指が伸びてきて頬肉をはさまれたかと思えば、ぎゅうと力を込められる。
 頬を抓られたのだと、すぐさま状況を理解することはできても、あちらさんの意図までも悟ることは出来なかった。
 なんだなんだと指の持ち主を見下ろしてやるけれど、新八とそっくりな目がまっすぐに銀時の顔を映しているだけで、妙になんの思惑があるのかはさっぱりである。
 昔からそうだ。自分は女の心の機微を読み取ることに不得手だった。言わなくても分かれとでも言いたいのか、女って生き物は言葉なしに思いが伝わると本気で思い込んでいるから厄介なのだ。そもそも、昔の自分に機微を読み取る相手なんていただろうか、アレ、いなくね? いなかったっけ、アレ?
 そうして銀時がさみしく思い出に浸っている間も、頬を抓る指は力を緩める気配がない。これでもかと肉を捻られているわけではない。しかし痛いものは痛い。

「おい、これ、痛いんだけど」
「……ああ、ごめんなさい」

 てっきり何かを咎められているのかと思っていた。
 しかし銀時の予想に反して、指はすんなりと離れてくれる。釈然としない銀時は首を傾げて妙を見た。離れた指が名残惜しいというわけではない、呆気がないと言うべきか。

「ごめんなさいね。痛かったでしょう」
「あーいや、べつに」

 大丈夫、と言いながら自身の頬に触れてみる。痛みは引いている。おそらく指の跡も残っていないだろう。それでも妙は申し訳ないといった表情で、じいっと銀時の頬へ視線を縫い付けている。

「なに、お前、なんかあったの」

 降りかかる視線に耐えかねて、目をそらしながら訊いた。妙は頭を横に振って「いえ、別になにも。さっきのは、ただ驚いてしまっただけですから」などと、口では言ってみせるが、それだけではないような気がした。

「銀さんも悪いんですよ。人の家に入ってくるなら、一声かけてくださってもいいじゃありませんか」
「ちゃんと何度か声かけたっつうの。返事がねーもんだから居ねえのかと思ったが、鍵は開いてるしよ、気になって上がってみたらこれだ」
「……そう、」

 聞こえてなかったみたいだわ、ぼうっとしていたから。妙の言い訳を聞きながら、やはり今日の妙は変だと、銀時は感じる。
 庭で一度、声をかけた。それから、脱いだブーツを縁側に転がして鍵のかかっていない雨戸から上がりこんだあとで一度、障子を開いて居間でぼうっと座り込んだ妙を見つけてさらにもう一度、銀時は妙に呼びかけていたのだ。それで気が付かないなんて。
 頬を抓られたのはそのときである。妙の名前を呼んで肩へ手をかけてすぐのことだった。

「自分が今見ているものが夢か現かどうか判別つかなくなったら、指で頬を抓ってやると分かるって。よく言うでしょう」

 銀時の頬を抓った経緯を尋ねて、返って来た答えがそれであった。なにかの冗談を言うときみたく両目を細める妙とは対照的に、おいおいと銀時は眉根を寄せる。

「オメーそれ、微妙に違くね? なんで俺の頬を抓っちゃってんの、普通は俺の頬を抓るんじゃなくて自分の頬を抓るもんだろうが」
「自分のを抓ったら痛いじゃないですか」

 なにを言ってるんですか馬鹿ですか、妙がぴしゃりと言い放ってみせるので、本当にこちらが間違っている気さえしてくるからおそろしい。
 いやいや、そっちが何言ってんですか馬鹿ですか。言葉は喉奥にまで出かかったところで飲み込んだ。おそらくは言ったあとで誰が馬鹿だと、拳の応酬が返って来るに違いないので。

「気がついたら銀さんが目の前にいて、それが今朝見た夢とあんまりに同じ光景だったんです」
「……俺が出てきたのか」
「ええ、ですから、また夢を見てるんじゃないかって思って、確かめたくなったの」

 言ったあとで妙が指を伸ばす。今度妙自身の頬を抓る。「痛いから夢じゃありませんねえ」おどけた妙が笑ってみせた。
 そういえばお前はどんな夢を見たのか、夢に出てきた俺はどんなだったのだと、銀時が何気なく聞いてみる。
 銀さんが手を伸ばしてくるんですよ、と妙が続けた。

「手?」
「ええ。さっき私の名前を呼びながら、肩に手をかけたでしょう、それが夢と全く同じだったんです」

 春風のひゅうひゅう吹く音、ざわめく庭の木々の葉音がやけに大きく、まるで耳鳴りのようだ。妙は夢を語る。居間の座布団の上に腰掛けて、外から聞こえてくる音に耳を傾けていた。初めはひとりきりだった。それがいつのまにか二人になっていた。妙の向かいに座っていたのは銀時だったそうだ。

「私の方をじっと見つめてくるんです、銀さんが。真剣な目をしていてね、心なしか眉と目が近くて、最初は可笑しくて腹を抱えて笑っていたんだけど段々気味が悪くなって。話しかけてみても、うんともすんとも言わないのよ。どうしたものかしらと私があぐねていたら、急にね、銀さんが手を、こう、私の肩に」

 夢の話をしている頃から次第に饒舌になっていった妙の口は、そこで閉じられた。代わりに、触れるか触れないかの距離まで妙の指が銀時の肩へと降りてくる。触れるまではいかない。そこで妙が止めてしまった。

「……それで」
「それで?」
「俺が手を伸ばして、触れて。それから、どうなったんだ」
「ええと、肩をつかまれて、ええ、そう。それから、」

 それから、それから。妙の唇が繰り返す。夢を回想しているのか、眩しいくらい白いまぶたをゆっくり伏せる。強く結んだ唇が動くけれど、いくら待てども「それから」の先が紡がれることはなかった。
 やがて、「ごめんなさい」蚊の鳴くような声で妙が言った。

「よく覚えてないわ」
「嘘つけ」

 びくり、小さく跳ねた肩は図星という意味で取っていいのか。いいのだろう。
 強かな女の眼差しは今だけはそこになかった。ゴリラや般若でもない、ただの女の顔をした十八の娘が、大きな目をうろうろと左右に泳がせている。「…あ、あの、おっ、お茶を入れてきます!」声は裏返っている。立ち上がった妙が逃げるように廊下の方へ足を動かすので、逃がすものかと銀時も立ち上がる。
 なびいた後ろ髪と浅葱色の着物の隙間から垣間見えた、赤い項を見逃したりはするものか。

「こんな言葉を知ってるか」

 勢いよく妙の肩を掴んで半ば無理矢理こっちを向かせる。そのあと銀時の口をついて出たのがそれだった。

「さあ、なんて言葉ですか」

 口先だけは負けん気を込めて(そしてわずかばかり目尻を赤くして)問うてくる妙に向かって、銀時が口元をにやにやと緩めてやる。

「夢は願望の現れ」
「……迷信よ、そんなもの」

 ふんとすました顔で一蹴する妙を、さてどうだかねえと笑ってやる。銀時は迷信を信じる方である。昔から今に語り継がれてきたものであるから、そこらの噂話やわらべ唄よりかはよっぽど信憑性はあるんじゃねえの、なあお嬢さん。
 肩を掴んだ手をそのままに、もう片方の空いた手で華奢な身体を手繰り寄せた。きっと妙の夢の中での銀時も同じことをしたのだろう。頬を一気に薄桃色に染めて俯く妙の様子から分かる。
 腕の中から拳が飛んでこないことに安堵しながら(もちろん、たとえ殴られても手を離してやるつもりはなかったが)逃がさぬように背中に手をまわす。
 ひょっとしたら、現を見失っているのは自分の方かもしれなかった。妙が見た夢とやらも、今見ている光景もすべて、夢を見ているのは銀時の方であるかもしれない。

(いやだってさあ、夢じゃなかったらこの女がこんな可愛いわけあるか。)

 すっかり薔薇色に染色された首筋やら頬やら項やらを銀時が目でなぞる。そうして耳元に顔を近づけて、ちいさな耳殻に息を吹き込むようにささやいた。
 なあオイ、夢の中の俺はこれからお前に何をしたんだ。



ゆめうつつ '120405
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