沖田を見かけたのは、連日降り続いていた秋雨がようやく上がった昼下がりのこと。
 肌に張り付く湿気が鬱陶しくて長袖のチャイナ服を腕捲りしている私とは違って、今日みたいな蒸し暑い雨上がりの日でも、沖田は相変わらず堅苦しい隊服を着込んでいた。暑苦しい奴だと思った。その手にはなぜか花瓶を引っさげていた。花瓶と沖田。変な組み合わせアルな、ひっそりと声に出した。
 辺りは民家が立ち並ぶ細い路地だった。こちらに気付いていないのか、沖田は生い茂った生垣の向こうへ行ってしまう。
 何処へ行くんだろうかと、手元の傘をくるりと回しながら、沖田の後を追いかけた。普段ならばこちらから避けに行く相手だけれど、今回ばかりは好奇心の方が勝った。
 気付かれないようコソコソと足音を忍ばせて追いかければ、黒い背中は誰かの家へ入っていく。少し間を置いたあと、足を踏み出す。

「おっと、ストーカーはいけねェな」
「うっ、わ…!」

 走り出した直後、突然視界が黒い物体で遮られた。ぶつかる前に慌てて飛び退けば、目の前には沖田が立っていた。どうやら、私が追い駆けて来るのを知って家の垣根に隠れて待ち伏せていたらしい。
 待ち伏せなんて趣味が悪い野郎ネ。そう呟けば、お前もストーカーしてたんだからお互い様だろィと返って来た。

「とんだ勘違いアル。ストーカー呼ばわりされるのはお前んとこのゴリラだけで十分ネ。お前こそ、勝手に人ん家に入るなんて不法侵入じゃないアルか」
「お生憎様、この家の主人はもう居ねェもんで」

 先月お逝きなさったからな。
 たった今入ろうとした家を指差しながら、これで問題ないだろうという表情を沖田がする。いやしかし、例え主人が死んでようと、沖田が警察だろうとも、許可なく誰かの家に無断で立ち入るのは駄目ではないのか。

「誰もいないってんなら、お前はこの家に何の用アルか。その花瓶も何ヨ」
「あァ、これかィ」

 沖田が片手に持った、安っぽいガラス製の花瓶に一瞥を寄こす。アレを入れるんでさァ。そう言って沖田が家の方を見やるので私も同じように見やった。
 目線の先にあったものは庭だ。
 一面が薄青色をしている庭であった。しかしそれほど沢山でもない。青い花々が庭の一角に作られた花壇に群生しているのだ。
 薄青色をした花弁に深い青緑がぽってりと暗色を落としている。均等に広がる小さな花弁たちを見ながら、唇は自然と言葉を紡ぐ。きれいアルなあ。つい先程まで降り続いていた雨の名残か、花弁に水滴がついてきらきらと輝いている。

「チャイナ、テメーは運が良い。昨日はまだ五分咲きぐらい咲いだったからねィ」

 咲き誇る花々を眺めながら、脇で沖田が言う。昨日、と言うことはつまり。私が沖田の姿を見たのは今日が初めてだけれど、沖田がここへ来たのは初めてではないらしかった。

「コレ何て言う花アルか」
「さァな、悪いが俺も知らねェや。婆さんにちゃんと聞いとけば良かった」

 婆さん。聞き慣れない呼び名だった。誰の婆さんだろう、視線を花から沖田へと移す。
 今の台詞が過去形なのと、最初に聞かされた主人不在の家という言葉から、この家の事情をなんとなく悟る。

「その、婆さんって誰ヨ、お前のババアネ?」
「いんや。俺の婆さんでも、親類でもねェさ。ただ、婆さんの孫がうちの隊の隊員だったんでさァ。で、そいつが殉死したのを伝えに此処に来たのが最初」

 ふしぎなもんだろィと沖田が小さく笑う。奇妙なもので、それから何度かこの家へ訪れるようになり話し相手になったのだと沖田は話す。
 なんという出会いをしているんだか。沖田の話を聞きながら、私は「婆さん」という人物の懐の広さに驚いた。だってそうだろう、殉死と言えども、真選組は自分の孫を殺した組織のようなものなのに。まして沖田は孫の上司だったというのに。
 そんな私の心を見透かしたように、やさしい人でしたねィ、横でぽつりと沖田が呟いた。


 ***


「一遍、ハンパねえ大雨の日があっただろィ」

 庭の花壇を見つめる視線がほどかれる。沖田が空を見上げるので、つられて首を持ち上げる。翳していた傘を退かせば青空が頭上に広がった。降り注ぐ日差しはそんなに強くないから、しばらく見ていても平気そうだ。

「あの時はどうなるもんかと思ったが、植物っつーのは案外強いもんで、今もこうして咲いてやがる。土方みてーにしぶとい奴等でィ」
「雑草精神ってやつアルな」
「よく知ってんじゃねーか」

 空を見上げるのを止めて私が再び傘の陰に身体を入れると、こちらを向いた沖田が目を細めて笑う。今の会話の何処に笑うところがあったというのか。普段、私と居るときは顰めっ面か真顔かドS顔のどれかしか見せないから、違和感。
 いつもはあまり笑わない人がよく笑うなら、それは何か別の感情を隠したがっている時だって、誰かが言っていた気がする。(はて、言ったのは新八だったか銀ちゃんだったか、それともマミーであったか。)

「初めて庭を見せてもらった日は、まだ蕾もなかったんだがねィ」

 過去を懐かしむみたいにして、沖田がそっと瞼を伏せる。長く伸びた睫毛が沖田の頬に影を落とす光景は、どことなく花壇の花に似ている。

「だんだん背丈が伸びてって、婆さんが死んだ頃にはもうあれ位になってたんじゃねェかな確か」
「…お前、婆さんが死んでからずっとここに来てたアルか」
「じゃねーと、花が枯れちまわァ」

 大変だった、と沖田が苦い顔をする。何と驚くことに、花の世話をしていたのは沖田だったらしい。
 あれを見なせェと、沖田が庭の隅を指差す。黄色い象の形をした、子供用のジョウロが花壇に隠れるようにしてポツンと置いてあった。
 あのジョウロを片手にぶら下げ、毎日庭へ水をやる沖田の姿を想像してみた。うわあ。「驚くほど似合わねーアルな」「うっせ、俺ァ男だから花なんぞ似合わなくて結構でィ」不貞腐れた声を出した沖田が、大きな溜め息を吐いた。

「特別、約束したわけでもねーんだ。花を守ってくれと頼まれた記憶もねェ」

 ただこっちが勝手に押し付けた親切だ。そう言って場にしゃがみ込んだ沖田が、雨で荒れてしまっている花壇の土に触れる。何をするかと思えば土を弄くって地面を綺麗に整え始めた。私だけ見てるのも癪だから、しゃがんで土弄りを手伝い始める。指先に触れた土は太陽の光を浴びて生温かった。

「俺の姉上は肺の病で亡くなったんですがねィ。チャイナ、そこらへん旦那から聞いてるか」
「…ちょっとだけネ」

 嘘は吐いていない、本当に少しだけだ。私は彼女の死に直接関わらなかった。そういうことがあったのだと、全てが終わった後に銀ちゃんから聞いただけで。
 沖田にとっては恐ろしく身近で尊い死なのだろうけど、関わりの薄かった私にとっては遠い誰かの死にしか感じられないでいる。そこに、罪悪感めいた黒い塊が、私の胸を押しやってくるものだから。
 思わず隣をちらりと見やった。沖田は相変わらず何考えてるのか読めない顔で土を弄り続けていた。

「婆さんの話を聞いてる内に、婆さんも肺を患ってるって知って。それで看取ってやれる身内もいねえってんで、この人の死は俺が見届けてやらねェとなんて、変な責任感が芽生えちまって」

 馬鹿みたいだろ、と、沖田が笑う。唇を無理矢理歪めて作られたそれは沖田自身を嘲笑うみたいに見えて、思わず顔をしかめた。

「だから俺がやってたのは親切でも同情からでもねェんでさ、単なるエゴだ」

 そんなことないアル、ほとんど条件反射で言い返した。根拠なんて何処にも無かったけれど。
 そうかねェ、そう言って沖田が笑う。ああやっぱり、今日のこいつはよく笑う。

「…そろそろ終いとするかィ」

 立ち上がった沖田が、土がついた指を隊服に押し付けて拭う。いつもなら、同じように沖田の隊服に手を擦り付けてやるのに。なんとなく今日は憚られた。仕方ないので、泥のついた手はチャイナ服の袖へ擦り付けた。
 玄関脇に置いてあった新聞紙の束から一つを持ってくると、沖田はその無骨な手に似合わない恐ろしく優しい手つきで花を手折ると、摘んだ花たちをこれまた丁寧に新聞紙で包んだ。それから地面に置いていた花瓶を沖田が腕に抱えなおす。
 花瓶と、新聞紙で包んだ花束。ふたつを片腕に抱えた沖田が家の雨戸に手をかけた。ガタガタとぼろい家にありがちな音が鳴ったのち、雨戸が開く。
 どうして鍵がかかっていないのかを問うよりも先に、沖田は縁側に靴を脱ぎ捨てて埃の積もった廊下へ踏み入ってしまった。素早い奴だ。感心していると、その黒い後姿がこちらを振り返って、ちょいちょいと私を手招いて来た。
 不法侵入を二度も咎める気は起きなかったし、この誘いを断る理由なども全く思いつかなかった。


***

 沖田の足は迷いなく一階の大きな和室へ侵入する。途中に通った台所で花瓶に水を入れて、摘んだばかりの花たちは花瓶に挿し替えられた。仏壇の前に申し訳程度に供えられていた饅頭を横に退けて、花瓶を置く。沖田と私の目が仏壇を捉える。
 元々は婆さんの旦那一人分だったのだろう、仏壇に置かれる遺影のスペースは一人用でしかなく、押し込まれるようにして二つの遺影が並んでいた。
 焼香と線香の匂いが鼻腔をついた。仏壇の前で両手を合わせる彼を見習って私も両手を合わせた。
 婆さんさんが亡くなってから一ヶ月が経ったと言っていたのを思い出す。そろそろ仕事を終えようかという言葉通り、一ヶ月もの時間をかけた沖田の仕事はこれでようやく終わるのだ。私は目を閉じたまま思考する。
 看取る家族も居なかったとも言っていたから、この行いを知っているのは彼と、私と、それと婆さんだけだ。彼女は今、私たちを見ているだろうか。死んだ人の魂が生きている人たちを見守っているなんて、この星の思想はなかなかに素敵だと思う。
 もしも彼女が私たちを見ていてくれたなら。
 所詮エゴだと沖田は言うけれど、たぶん、彼女はきっと。


 ***


 花を供え、再び雨戸から家の外へ出て沖田が真っ先に行ったことは再び花を手折ることだった。先程の恐ろしく優しい手は何処へ言ってしまったのやら、ブチブチと乱暴な手つきで花の何本かが引き千切られる。ぱらぱらと無残に地面に落ちる花弁。鮮やかな薄青色が眩しい。
 何をしてるんだと咎める私の視線に気付いて、沖田が軽く肩を竦めた。

「言っとくけど、許可は取ってるぜィ」
「婆さんに?」
「どうせ咲いても何本か花瓶に挿して残りは枯れるだけだから、もし咲いたら何本か貰っていってくんねえかと」

 まあ咲く前に死んじまったが。呆気なくそう呟く沖田の手元で、千切られた花の茎からはぽたりぽたりと汁が滴っている。それをぼんやりと眺めるポーカーフェイスが、今何を考えているのか、私には皆目見当も付かなかった。

「テメーにやる」

 沖田の片手に納まった幾本かの花たちの行き先は、あろうことか私に向けられた。「は、」あまりの不意打ちの出来事に裏返った声が出る。ほんと、こいつの考えていることはよく分からない。
 しかも私を相手に花を差し出すというシチュエーションが気に食わないのか、目の前の沖田の眉はとても機嫌悪そうに歪んでいる(だったら、あげなきゃいいのに)。
 オラさっさと受けとりやがれと声で急かされる。けれど私は手を伸ばせない。無意識に傘の柄を握りしめる手に力が入った。

「受け取れないアル」
「…どうして」
「もらって欲しいって言われたのはお前なんだろ。だから私なんかがもらったら駄目アル」
「もらったもんをどうしようが俺の勝手だろィ」

 なかなか受け取らない私をもどかしく思ったのか、沖田は伸ばしていた手を一旦引っ込める。
 それから花の茎をさらに短くちょん切ると、再び私に向かって手を伸ばした。抵抗する私の腕を押さえつけて、頭の方でガサゴソ何かをやったかと思えば、一秒ともしない内に手は離れた。沖田の手に花はない。おそらく髪に挿されたのだろう。
 何しやがるのヨ。頭に手を伸ばしてやれば、指先がそっと花に触れた。髪留めに添えられるように花が飾られているのが分かった。取ろうか迷って、結局取れなかった。

「私にあげちゃって良かったアルか」
「あァ?」

 ぐらりと揺れた、戸惑ったふうな沖田の目が私を見た。
 だって、お前が頭に花を飾ってあげたかったのは私じゃなくて婆さんでもなくて。
 そう言葉を紡いでやるつもりだったのに、こちらを見る沖田の目がばかみたいに弱々しくて。思わず言葉の先を飲み込んだ。
 まるで、その先を言うなとばかりの目。その目で確信する。沖田が花をあげたかったのは「姉上」だ。きっと、たぶん、そう。
 婆さんは「姉上」の代わりの人になるはずの人だった。でも婆さんも結局いなくなってしまった。花を渡す相手はまた、いなくなってしまって。ひょっとしたら、今日この場に私が現れたのは沖田にとって幸いだったのかもしれない。でなければ、沖田は庭に咲いた花を見て一人泣いてしまった気がする。いいや、いっそ泣けば良いのに。ドSの心は案外打たれ弱いんだってこと、銀ちゃんを見て知っているつもり。

「芋侍に花は似合わねえ」

 私が言いたいことを読み取ったのかは分からないが、ただ沖田はあっけらかんとそう言った。
 同意を求めるように沖田が片眉を上げる所作をする。にやりと口元は歪みを作った沖田は、いつのまにか意地悪な笑顔を取り戻している。

「その点、テメェの髪は花の色がよく映えらァ」

 それじゃあな、片手をひょいと上げて別れを告げられる。こちらが手を振り返してやらないのを知っているのか、すぐに背を向けて庭から出て行った。勝手な奴。でもこんなことはしょっちゅうだからもう慣れてしまった。良くない傾向だ。
 そういえば私は今、遠まわしに花が似合うと言われたのか。ふわりと風に煽られた名も知らぬ花が、耳元でかさりと音を立てる。
 不思議と照れはない。むしろ褒めるならちゃんと褒めろ。

「これだから芋侍はダメダメネ」

 声に出したら聞こえていたのか、うるせーやいと遠くの方から声が飛んで来た。



花泥棒は罪にはならない ‘111114
title 弾丸
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