薄暗い階段をのぼって鉄製の重い扉を開く。
途端に眩しい光と冷たい風が目の前に広がって、赤司は思わず目を細めた。
コンクリートに一歩踏み出して、何度か瞬きを繰り返すと、ようやく外の明るさに慣れる。
空には雲ひとつない。晴れた日だというのに、屋上は静寂に包まれていた。
季節はもうすぐ冬に向かう頃。
さすがに外で昼食をとろうという物好きな生徒もいないのだろう。
(それでも、物好きはいる・・・)
背中で、扉の閉まる音がする。
手に持った弁当箱の包みを持ち直して、ひと気のない屋上を見渡した。
白い柵が四方を囲み、まるで檻の中のようだ。
「・・・赤司か」
驚いたようでもなく、それでも知っていたわけでもない。
確認する為だけの淡々とした口調が耳に届く。
「いい天気だな」
声のした方を振り向くと、コンクリートの上に座り、黒い弁当箱を手にした緑間の姿があった。
彼は、時々一人になる。
昼休みのバスケ部スタメンミーティングのない晴れた日には、大抵屋上で昼食をとっていた。
時折、スタメン全員が集まることもあったが、ほとんどが緑間一人だ。
誰が来ても咎めはしないし、緑間が一人でいる事に拘りがあるわけでもないようだった。
「寒くないのか?」
当然の如く緑間の隣りに腰を下ろし、赤司は持参した弁当箱の包みを開いた。
「オマエこそ風邪をひかないよう気をつけるのだよ」
何の用だとは、緑間が訊く事はない。
赤司がこの場へ来る事も隣に座る事もそして何を話すかも、緑間には必要のない情報なのだろう。
赤司はそれが心地好いと思っていた。
「この程度で風邪をひくような、そんなやわな鍛え方をしてはないさ」
玉子焼きを口に運んで、赤司は笑う。
緑間はそのまま沈黙し、母親の作った野菜、肉、ご飯とバランスの取れた弁当を食べた。
赤司は、緑間が一人で食事をする事に疑問を持った事はなかった。
ただ、緑間がそうなのだと、理解しただけだ。
誰にでも一人になりたいと思う事はある。
理由はそれぞれであり、知らずとも親しい関係を築くことは可能だ。
遠くで、鳥の鳴き声が聞こえた。
天を見上げれば、美しい空色だけがある。
檻のような場所にいて、冷たい空気の中で、黙々と母親の作った弁当を食べるだけの時間。
それは、緑間にも赤司にも必要な時間だった。
空気よりも近く、空よりも遠い。
会話をせずとも理解できずとも、側にいるのは、似て非なる者である事を知る為なのかもしれなかった。
「緑間」
名を呼べば、箸をとめてその視線がそっと向けられる。
立っている時と身長差はほとんど変わらないというのに、座っていると近くに感じるから不思議だ。
ゆっくりと目を合わせて見詰め合う。
沈黙したまま、数秒。
痺れを切らして先に口を開くのは、いつも緑間だった。
「話す事が無いのなら呼ぶな」
「こっちを向いて欲しかったんだ」
緑間から小さな溜息がひとつ零れた。
諦めなのか呆れなのか、それとも別の感情か。
目を合わせたままの緑間がそっと箸を置き、赤司の頭を撫でた。
「オマエの事はよくわからないのだよ」
テーピングを巻いた指先が赤い髪を優しく梳いて、後頭部に触れる。
ほんの数回。
何気ない仕種だったが、赤司の心を揺らすのに充分な要素だった。
「わからないのは、緑間だよ」
躊躇いも無く、子供を慈しむ様な態度を示す。二人きりだからか。
「お互い様だな」
左手で眼鏡のブリッジを押し上げて、緑間は口元に笑みを浮かべた。
そして何事も無かったかのように再び弁当を食べ始める。
一口、二口と唐揚げやブロッコリーが緑間の口に運ばれるのを赤司はじっと観察するように眺めた。
食物を食べるという行為が、こんなにも性的なのかと、その時初めて気が付いた。
薄い唇の隙間から覗く白い前歯と赤い舌先。
口内で咀嚼する動き。
一連の動作が酷くエロティックだ。
どうにも我慢できず、赤司は膝の上の弁当箱をコンクリートの上に置いて、緑間に覆いかぶさるように近寄った。
その衝動的な突然の行動に、緑間も驚きを隠せず、眼鏡の奥の深緑色の瞳を大きく見開いた。
緑間も驚くことがあるのだと、なんだか可笑しくなった赤司は、鮮やかに口の端を歪めて笑い、そのまま緑間の唇を塞いだ。
目を閉じたのは赤司だった。
そのまま触れるだけの口付けを二度、三度と繰り返し、その奥を抉じ開けて貪りたい欲求を無理矢理押さえ込む。
一気に事を進めては、きっと逃げられてしまう恐れがある。
そおっと名残り惜しむように離れると、至近距離にある緑間の双眸には赤司の姿だけが映っていた。
その事に満足して、赤司は元の様に緑間の隣りに座り、弁当の残りを食べる。
「赤司・・・」
「何だい?」
「意味がわからないのだよ」
「キスをしたくなったからした。それだけだ」
緑間の声音に戸惑いが含まれていた。
それはそうだ。
こんなにも直接的に感情を行動に移したのは、初めてなのだから。
「・・・オマエはしたくなったら、誰にでもするのか?」
その問いに赤司は笑う。
緑間は予想通りの言葉と予想もしない言葉の両方を投げ掛けてくる。
だからこそ、惹かれ、試したくなるのだ。
「誰でもいいというわけじゃない」
「そうか」
安堵の息が漏れたように感じ、赤司は緑間の横顔を見た。
表情には変化がなかったが、ほんの少し頬と耳が紅く染まっている。
自分の完全なる片想いではないのだと、その時初めて悟った。
相手の感情に興味はないと思っていたが、どうやら違ったようだ。
赤司は嬉しさを隠せないくらい、その表情を綻ばせた。
白い柵に囲まれた檻の中に、今は二人だけだ。
どんなに表情が崩れようとも誰も見てはいない。
冷たい風が二人の間に流れていくけれど、寒さは感じなかった。



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このたびは、赤司征十郎×緑間真太郎WEBアンソロジー盤上会議に参加させていただき、ありがとうございました。
赤緑の特別な仲の良さは、他にはない空気があり、容易く近寄れない雰囲気がとても好きです。
今回は、帝光中学時代のほんの短い一部分を切り取った短編を書きました。
何も話さなくとも二人だけの時間が大切だとお互いに思っていればいいなぁと思います。
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