「緑間君」
「だから、俺は知らないと言っているだろう」
ストレッチのペアである黒子が、俺の背中を押しながら深い溜息を吐いた。
「じゃあ、あの紫原君を見ても君はなんとも思わないんですか」
「思わないわけじゃない。ただ、俺には理由がさっぱりわからないだけだ」
黒子の指差した先には黄瀬とストレッチをしている紫原がおり、顔色が少々よろしくない。理由は部活前のミーティングをしていた俺と赤司の緩衝材として一緒に居たからだ。
何故紫原がそんな役を背負わなければいけなかったというと、俺と赤司が喧嘩してるらしいからだ。らしい、というのは俺としてはそんなつもりはどこにもないが、赤司の機嫌が二日ほど前から悪いのだ。放っておけば直るだろうと思っていたのだが、黒子曰くそういうものではないらしい。
「君は鈍感すぎて、時々苛々します」
「お前ほどじゃないのだよ」
「僕は敏感ですよ」
役割を交代して今度は俺が黒子の背中を押す。相変わらずの固さで少し強めに押すと痛いと反抗されたが、力は弱めなかった。唸りながら恨めしそうに振り返ってくる黒子が面白くて、僅かに口角を上げるとハッと前を向いた。どうしたのかと、同じ方に顔を上げると、青峰の背中を押していた赤司がこちらをすごい形相で見ている。
その視線の鋭さに俺も黒子も背中をゾワリと振るわせて、知らぬ振りを決め込み黙々とストレッチを続けた。


右に左折しろ


「いい加減どうにかしろよ、緑間ぁ」
「……俺にどうしろと言うのだよ」
翌日の昼休み。赤司が部長会議に出ているのをいいことに、スタメン五人は屋上に集まって昼食を摂っていた。しかしただ一緒に食べているわけではない。今後の、超が付くほど機嫌が悪い赤司対策を話し合うためである。
だが話の流れというか、この二日間から察するにどうにかしないといけないのは、どうやら俺らしい。
黒子から始まり紫原、黄瀬、青峰と俺に文句を言ってきたからだ。
「とりあえず、赤司っちの言うことを片っ端から聞けばいいんじゃないッスか」
「この前から部活に関すること以外で、言葉は交わしてないのだよ」
「うっそ!!」
「嘘じゃないよ。俺ミーティングに付き添ってたから知ってるけど、今日のメニューを確認したら終わりっていう。いつもなら与太話とかするのに」
「あーそういえば、ここ最近戻ってくるの早えーもんなぁ」
青峰がそう呟くと視線がこっちに集中した。
確かに部活以外の会話は全く発生していない。ミーティング前の将棋はやってはいるものの、指してる間の会話も全くない。黙々と打ち続け、あるとすれば前後の礼と投了の言葉ぐらいだろう。その後はすぐに部の話になり、サッサと席を立つ。ちなみにその間もずっと紫原はいるにはいるが、一心不乱にまいう棒を食べているのだ。まるで現実逃避をするように。緩衝材としての役目が果たされてるかどうかは不明はあるが。
一日目でそんな恐怖を味わったのに彼はきちんと翌日もやってきた。たぶん、今日も来るのだろう。誰のためかどうかはわからないが、よく頑張っていると思う。俺はあの空気に慣れているから構わないが、あれが黄瀬だったら泣いて逃げ出していることだろう。
「君の鈍感は軽く筋金入りです。この際機嫌を損ねた理由を追求するのは一旦横に置いて、緑間君には別の使命を与えます」
軽く筋金入りってなんだ、と思った疑問は飲み込んで眼鏡を押し上げることで先を促した。
「とりあえず、赤司君に甘えて下さい。それはもうベッタベタに」
「言いたいことは色々あるが、今あいつに触れたら殺されそうな気がするのだよ」
「それわかるわ。俺昨日のストレッチ生きた心地しなかったし」
「ということは二日前から触れてないってことッスか」
「二日というか、一週間ほどは触れてないのだよ。おは朝占いで、あいつとの相性が悪かったからな」

「それですッ!」
「それだッ!!」
「それッス!!」
「それじゃん!」

同時に叫んだ四人に驚いて目を見開いていたら、一緒にバカだろとも言われた。解せない。
副主将だから話さないということは避けられないので、とりあえず最低限の接触は避けていたのだ。そう話すと「こいつアホだわー」という顔になった。
「そうとわかれば、やはりさっきの作戦で行きましょう。緑間君」
「なんだ」
「死なない様に頑張ってください」
「……具体的にはどうすればいいのだよ」
仕方ないと覚悟を決めて助言を求めてみる。どうせ自分で考えたことでは、こいつらにズレテルと言われるのが落だろう。
「とりあえず今までの分以上に赤司に触りまくって」
「普段言わない我儘言ったりー」
「手を握ったりとか、いつもより近くに寄るとか」
「恋人なんスから、全身で好き!! ってことを表わすんスよ!」
青峰はもう関係ないと言うように昼寝の体勢に入りながら、紫原はやっと美味しくお菓子が食べられると今まで味わえなかった分を味わうようにじっくり菓子を食べ始めた。黒子は考えてくれているようで顎に手を当てながら、黄瀬は自らが手本になるように全身で表わしてきた。最後はちょっとどころかかなりウザイ。
それでも考えてくれていることには変わりないから、とりあえず、期待に応えるようにしようとは思う。今後の為にも。自分の命のためにも。


「……人事は、尽くすのだよ」


と答えたものの、いざとなればどうすればいいかか全く分からず。目の前で次の手を考えている赤司にチラリと視線をやる。
対策がわかったからと紫原は今日はもう来ない。それはありがたいようなそうでないようなと複雑だ。他人の前で「甘える」という行為は出来ないからいいかもしれないが、今までいなくて普通だったのに、今日はえらくスースーしている感じがする。
とりあえず何か話さねばならないのはわかってはいるが、話題がなにもない。常に話題を提供されていた側だったから、反対側に回るとどう切り出していいのかわからない。いや切り出す切り出さないの前に、話すことがないのだ。同クラスである青峰の素行や部のことなどはあるが、たぶん、いや、確実に、殺されるだろう。
ここは他人の話は出すべきじゃないのだよ。
そう自分に言い聞かせて次の手を打つ。打てばすぐに返ってきた手にまた頭を悩ませる。将棋に集中したいが、今日ばかりはそういう訳にはいかない。
「ム」
そのせいか、今回はいつもより早くに詰みそうだ。というより退路は完璧に断たれている。これでは赤司が不審がる。いや、もう気付いているだろう。怪しい限りだ。
「……投了なのだよ」
「そうか。じゃあミーティングに移ろう」
「あ、赤司」
「どうした」
ミーティングに入ってしまえば口を挟む隙がなくなってしまう。だから咄嗟に赤司の名を呼んだが、話すことなど何も決まっていない。いつもなら気にしない、機嫌の悪い低い声が今は心臓に響いてくる。
大丈夫だ。担げる験は全て尽くしている。今朝も右手だけで眼鏡を掛けてスタートした。ラッキーアイテムの絆創膏で補正はされている。大丈夫だ。
「手を、貸すのだよ」
「……ほら」
何で手なんかを要求したのだ。脳内では混乱が起りながら理由も聞かずに差し出された右手を、己の左手に乗せた。何か考えがないわけではない。ただこれをやってこの状況が良くなるのかもわからないし、下手したら逆鱗に触れるかもしれない。
命懸けである。
四本の指根っこを揃えて掴んで口を近づけ、中指の根元の関節にそっと口づけて様子を伺った。態度は変わらない。足を組んで踏ん反り返って片肘をついている。
「それで」
「……今からすることを怒らないか?」
「何をするかわからないから、なんとも言えないな。それとも、お前はこれ以上俺を怒らせるつもりなのか」
「いや、それはない、と思っている」
「何だ。珍しく自信がないな。いいぞ、やってみろ」
「……」
「そんなに躊躇することなのか? いいだろう。今からお前がやることに対しては、何も咎めない。それでできるな」
まるで王様気取りだ。声はまだ低く、機嫌も、まだ悪い。けれどここで躊躇ってしまってはもっと状況は悪くなる。ばれないように深呼吸をし、手を下ろしてイスから立ち上がった。
それから、将棋盤のないところに手を付いて前屈みになる。左手で赤司の前髪を上げて、額から眉間、瞼、鼻頭、右頬、左頬、口端、唇に口付けをし、ゆっくりと、手と一緒に顔を赤司から離す。
「足りないな」
そう言って布の掛かっていない首をトントン、と指差した。
「……」
嫌がってしまっては振り出しに戻ってしまう。ドン、と押し寄せた心音に負けないようにもう一度前屈みになり、そこに唇を押しつけた。
「そのまま噛め」
後頭部を押さえられて、髪の毛に当たっている赤司の唇の振動が伝わってきて、言われたとおりに軽く歯を立てる。消毒しながら離れると彼は満足したようにそこを中指で撫でて傷があることを確かめた。
「上出来だ、緑間。こっちへ来い」
組んだ腕で隣を指され、静かにそちらに向かう。少し柔らかくなった声音に肩の緊張が抜けた。これ以上機嫌を損ねることはないと確信したからだ。
言われるがままに膝立ちをして赤司を見上げる。眼鏡を前髪と一緒に頭上へと持ち上げられ、俺と同じように額から順に下へと降りていき、唇を通った後、耳の後ろにも口付けされ。
「ッ」
最後に首筋に痕を残されて、もう一度唇を食まれて離れていった。
赤司と同じように右手でそこを触る。ざらりとした感触が素の指に走った。
「おは朝だから仕方ないとは思うが、多少なりとも俺を気にする素振りぐらいは見せてくれてもいいんじゃないか」
「それは、まあ、配慮が足りなかったのだよ。すまない」
「わかればいい」
眼鏡を一度外されて、丁寧に元の位置へとかけ直されボサボサになってしまった前髪も直された。
イスに戻ろうと片足を立てるが両肩に手を置かれて立ち上がるのを妨げられる。まだ何かあるのかと顔を上げるが、赤司の口から出たのはそんなにおかしな言葉ではなく、ただ絆創膏を貸せというものだった。
大人しくポケットから取り出して箱ごと差し出された手の平に乗せる。何をするのかとその場で観察していると、二枚切り取って紙を剥いた。そして粘着面を露わにしたそれは戸惑うことなく俺の首に貼られて、もう一枚を渡され、先程の所を指差された。
「よし。こっちの方が目立つだろう?」
「質が悪いのだよ」
机に置かれたままの絆創膏を取り返し今度こそ立ち上がる、が、腕を握られてまたもや阻止される。次は何なのだと見下ろした。
瞬間、身体が無条件に強張った。
視線だけを上に、俺の方にやっている赤司の目は笑っておらず、口元はにんまりと不気味に伸びている。嫌な汗が制服に隠れている背中を流れていった。
「これだけで許されると思うな」
「……」
「お前が自分からしてくるとは思ってない。誰かから言われた口だろう。どんなことを言われた。言って見ろ」
「いつもより近くに寄ったり、我儘、言ったりしろと」
「それはいいな。お前はこういうことに関しては拒否以外の我儘を言ったことはないからな。それで行こう。一日三回俺になにかを要求すること。拒否以外でだぞ。あとは、」
「うわっ」
腰に腕を回されてグイッと引き寄せられる。フイにやられたものだから抵抗できる暇もなく、引かれるままに赤司の肩に片手を付き、もう片方は後ろの窓を叩いて大きな音が鳴った。
「緑間」
空いていた残りの手で胸倉を掴まれ真下に来てしまった赤司の顔に近付く。力は俺の方が強いはずなのに、体勢的に百パーセントの力を出すことが無理で、鼻先が当たるほど間近にある赤色の目の奥は、悪戯心が灯っていた。
「俺の傍にいるのは嫌か?」
「い、いきなり何を言い出すのだよ!」
「いいから答えろ。嫌いか好きか」
「……嫌では、ない」
「ならいい」
赤司が喋る度に息がそのまま俺の唇へと当たり、頭部に血が集まっていくのがわかる。しかも真っ直ぐ見たままだから硬直する他なく、引く力が緩くなったのにも関わらず逃げることも忘れてしまった。
いつの間にか顔が耳の横に移動していたのに気が付いたのは、赤司が口を開いたときで、
「今日からは部活でも傍に居て貰うぞ。もちろん、俺の気が済むまでだ」
普段のやり取りや、そういう雰囲気の時にやられれば、赤くなったりとか動揺したりとかしたりする。だが、今この状況では赤くなどなれるはずもなく、昇っていた血は一斉に下降し、真っ青になって絶句するしかなかった。


+++++


「部活中は主将と副主将の均衡を保っていた赤司君が……。ご愁傷様です、緑間君」
「緑間っちの犠牲は忘れないッス」
「これはこれで怖いな」
「赤ちんすっごい機嫌良いね」
部活の休憩中、端の方で後半の練習メニューを赤司と話し合っていると、この光景の原因とも言える四人が寄ってきた。
ちなみに俺は今、というか部活開始からずっと、赤司の手が腰に回っている状態だ。回ってるだけならまだしも、身体はピッタリと、赤司と接触している。しかも手寂しいのかわからないが、たまに撫でられる始末だ。
部員は俺たちの関係も赤司の性格も知っているから、尋ねる者もいなければ嫌な顔をする者もおらず、ただ哀れむような目で俺を見てくるだけだった。俺もこの状況下で恥ずかしくなるはずもなく、ドッと疲れが押し寄せてきている。
「それより緑間、まだ今日の三回分残っているぞ」
「そ、れは。何を要求すれば良いかわからないのだよ」
「そんなの簡単に、ハグ、キス、手を繋ぐ、とかにしとけばいいんですよ」
「……学校だぞ」
「関係ないです。ああ、キスだけは見えないところでやってくださいね。他人がしてるのとか見たくないので」
他人事だと思って好き放題に言う黒子を睨むも、その後ろに並ぶ三人が頷くものだから奥歯を噛みしめるしかない。しかも隣の赤司はなるほどと言うように、良い笑顔をしている。
「今日はそれで行こうか、緑間」
「は?」
「まずは手を繋ごう。そして、あとのタイミングは、当たり前だがお前が決めるんだよ」
「何故だ」
「俺は要求しろと言ったんだ。つまりはお前の我儘を聞くということだ」
言わないと帰さないからな、と腰から手を放した赤司は俺のテーピングを外した左手を、俗に言う恋人繋ぎで握ってきた。
赤司の左側に居たはずなのに、わざわざ左手を選んでくるということにこれ以上にない恐怖を感じる。
「難しいなら、俺たちがタイミングを見計らって合図出すッスよ?」
「助かる……」
「じゃあ、お前一人で三回使えるまで続けるからな」
黄瀬からの申し出に情けないと思いつつも受け入れるが、赤司はそれが気に入らないらしくそうやって、ある意味決まった期限を俺に告げた。
それに難しいだの、無理だの呟く輩どもを見返すために、一週間ほど過ぎた頃に人事を尽くして見せたのだった。



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この度は素敵な企画に参加させて頂きありがとうございました!
赤緑はよく他のキャラを絡ませたくなります。ので、今回は帝光時代でキセキを絡ませて頂きました。せっくの企画なのに喧嘩ネタとか、しかも甘くないという。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
赤緑にとって良い一年になりますように!
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