「さあ、真太郎。」
そういいながら戸を開け、笑った顔はいつもよりも遥かに柔和に見えたのはどうしてだとか、そんなことは鈍いと言われる緑間にも解っている。表情に出しているつもりなどないがやはり自分とて心が躍っているのを自覚しているのだから。
古めかしい引き戸をさらに明けた赤司は、身体を横に寄せ小さく手招いて緑間を迎え入れた。
長身を少しかがめなくては入らぬ様な純日本家屋であったから、赤司の目を見ないようにして緑間は頭を下げ敷居をくぐる。恐らく、赤司の顔は今笑顔満面だろう。黄瀬や青峰相手であればお決まりの文句が飛び出していたに違いない。赤司が身長に多少のコンプレックスを持っている事を知っている緑間としてはこんな時いつだって居心地が悪い。
「…お邪魔します。」
顔を上げて一番に言ったが、その声は奥の薄暗い空間に消えていき、当然のように答える声はなかった。
赤司の両親とはすでに面識もあった。前この家を尋ねたときはいらっしゃいと声がすぐに返って来たため、どうしてだといいたげに緑間は首を傾げるが、その答えは赤司が引き継いだ。
「ああ、そうだ。言い忘れていたが、今日は僕以外誰もいない。大事な会合があるとかで両親ともに大阪まで出かけているんだ。」
「…は…?」
明らかな緑間の動揺に赤司はくすりと笑う。
恐らく赤司や他のキセキ達にしか解らない様な微細な変化ではあったが、これしきが解らないようでは緑間とうまく付き合っていく事は出来ないだろう。
「心配するな。何もしないよ。お前に言わせると…そう。破廉恥なことはね。」
「赤司っ!」
頬を真っ赤にして怒る緑間に、赤司は上機嫌で言う。
「そう怒るな、期待してるようにしかみえないぞ。」
くすくすとさらに笑いながら言えば、緑間はぷいと顔をそらして、くるりと背を向けようとしたから、赤司は咄嗟にその腕を攫む。
「冗談だろう。真に受けるなよ。ほら、おいで。」
「…。」
逃げようともしないが、動こうともしない緑間にも赤司がじれる事はない。機嫌を取ろうが取るまいが、緑間がここから立ち去る事がないことを赤司は知っていたし、彼が黙り込んでしまった本当の理由も良く解っていた。
「真太郎、悪かったよ。黙っていた事についてはな、だが昨日に決まった急な話だったんだよ。」
「…。」
「けれど僕にとっては都合が良かった。近頃はずっと皆と一緒だ。たまにはおまえと二人きりで過ごしたかったからね。」
「…ミーティングのときはいつも二人きりだろう…。」
漸く返って来たため息まじりの声に赤司は微笑み、緑間の腕を引いた。
「そうだな。また一局願えるかな?」
「…今日はもうごめん被るのだよ。」
いつものように眼鏡のブリッジを押し上げながら緑間は赤司を見た。白い頬にほんのりと色づいた朱に赤司は気付かないふりをして、靴を脱ぐ。
「はは、解ってるじゃないか。兎に角上がれ、話はそれからだ。」

 


はじめてのお泊まり。 たちばな晃

 


「…まったく本当におまえは予想を裏切らないな。」

赤司が少しの期待とともに戸を開けて入った先では、緑間がすでに用意してあった布団で寝入っていた。
すでに寝息が聞こえているのが堪らなく空しい。
先に緑間を風呂に入らせたのは失敗だったかと赤司は思うが、見やった時計は10時半を過ぎていた。日頃から10時就寝が基本の緑間が眠っていても特におかしな事はなにもない。
何もない、のは理解しているのだがやはりここは起きていてほしかった。なにも三つ指をついて出迎えてほしかったとは言わない。別に布団に入り込んでいてもらっても構わない。ただお休み赤司…くらい言ってほしかったと思わずにはいられない赤司だった。
そう、部活を終えてからの短い時間ではやれることは限られていた。
親が頼んでいた寿司の出前を受けとり、他愛のない雑談をしながらの食事だけで、すでに時計の針は9時10分あたりを差していた。
帰宅の時間が8時前であった為、当たり前のことでしかなかったが赤司としては少々物足りなかった。
時間は沢山ある、明日に二人きりを堪能すればいいとも思うが何せ『初めて』のことであるし、この日を終わりまで存分に楽しみたかった。
翌日は普段酷使している身体をしっかりと休める為に取られた久しぶりの休養日だった為に、緑間は赤司に誘われ、友人の家での初めての外泊を体験する事となった。
ただしそれは互いの両親への説明であって、本当の二人の間柄はもっと進んでいた。
互いに告白し合った訳ではないが、いつの間にかいわゆる恋人同士という関係になっていた。
赤司があからさまな言葉を使うようになってきたことで、恋愛に関しては兎に角鈍い緑間が自覚を余儀なくされる状態にまで追い込まれた結果であった。
初めは抵抗していた緑間も普段から主将と副主将という近い立場に居る為か、徐々に赤司の言葉を受け入れ始め、すっかり夫婦の様な漫才が自然な状態になり、キセキの皆にも認められ現在に至る。
もとより緑間は赤司に好意を感じていたため、それを助長するような形になっただけではあったのだが、まさかこんな短期間に恋人同士などという浮ついた関係になろうとは本人も思っても居なかった。学年が上がり、赤司が主将に、緑間が副主将になってまだ数週間しかたっていないのだ。以前からも沢山の言葉を交わして来たが、ここ最近の赤司は周りが異常だと思える程に緑間に愛の言葉を降らせた。誰が側にいようとおかまいなかった。といっても帝光バスケットボール部の王者として君臨する赤司をからかえる人間など教師だとていない。
だからこそ赤司の攻勢は熾烈を極めた。緑間が気付いた時には周りからも熱々でやけどしそうだと言われる始末。
だが不思議な事ながら緑間が赤司との仲を否定する事はなかった。むきになればなるほど周りのからかいが酷くなる事も承知していたがそれ以上に、もしかしたら赤司を独り占め出来るかもしれないという期待と高揚が緑間の内に生まれて来たのだ。
欲と言えばバスケと成績にしか向けられていなかった、そんな堅物の変人と言われる緑間が初めて持った他人への欲だった。
そして満を持したとしか言えない今日という日の誘いである。
『真太郎、スタメンのことで話したい事もあるし、休養日にうちに泊まりにこないか?』
ミーティングの最中に満面の笑みを浮かべながらいった赤司に、緑間はなんと返したか実の所覚えていない。だがしっかりと約束は取り付けられていたようで、部活が終わった途端に手を握られ、何がなんだか解らない混乱の内に赤司の家まで連れてこられたのだ。
そんな恋愛経験不足にも程が有る緑間が緊張しない訳がなかった。
その緊張は赤司も良く知っていたようで、いろいろと気を使ってくれたがそれしき位で緑間の凝り固まった頭が和らぐ筈もない。かなり良いものだと見た目から解ってしまったせっかくの高級寿司の味も、正直緑間は良く覚えていなかった。
緑間自身が今まであまり友人といえるような人間を作ってこなかった事も原因の一つだろうが、初めての外泊が恋人と二人きりと言う状態が耐えきれないのだろうと赤司は推測していた。
風呂が沸いたから入ってこいという当たり前の言葉に、緑間の顔からすっかり表情が消えたのを確認して密かににやけていたし、入れ替わりに風呂に入る時には、眼鏡が額の上で重みを主張をしているにも関わらず、眼鏡が何処かにいってしまったのだ知らないかと真顔で問うてきたので、赤司は拭き出さずにはいられなかった。あまりにも可愛くて堪える事が出来なかったからなのだが、目に涙を溜めて笑う赤司を緑間は無表情で見つめていた。
あのときもかなり怒っていたのだろうか、吹き出した結果が目の前の光景だとすれば、明らかに選択を間違ったなと赤司は思っていた。
「…とはいえ、こうなったらもう寝るしかないな。」
緑間と寝るまでの間、話すつもりで居た赤司に選択項目は殆どなかった。
明日は確実に早起きだなと目覚ましを見れば案の定、5時半という学校へ行く時間と変わらない設定がしてある。そういう赤司も近頃はおは朝の占いを見る事を欠かしたことはないため、早起きのロードワークは習慣と化していた。遅めに設定したとしても自然と起きてしまうだろうから、明日を楽しむ為には早めに寝てしまうのが一番の策だろうと赤司は布団を捲った。
もうすっかり眠り込んでしまったのか、実は起きてはいないかと赤司が最後の期待を込めて覗き込むと、緑間はくるりと顔を横に向けてしまう。すこし深めにかぶっているナイトキャップのポンポンが少し揺れた。
「…。」
これはどう見ても寝ていない反応だと思った赤司は、少し布団からはみ出ている肩をことさらゆっくりと掴む。が、残念な事にめぼしい反応は何もなかった。
起きているならば少しは動揺してくれるかと思ったが、本当に眠ってしまっているのならば仕方がない。
赤司は緑間の肩口でとどまっている布団をしっかりと覆うまで掛け、自らも布団の内に身体を沈める。緑間との距離はほんの少し肩が触れるか触れないかの微妙な所だった。恐らくこの距離がいろいろな意味での限界だった。
何もしないと宣言したのは赤司だった。今回に限ってであったとしても、その言葉に偽りはないし今直ぐ緑間をどうにかしたいという気はさらさらなかった。
本当にそんな気があるのならとっくに喰ってしまっている。こうして付き合う前にでも恐らく、方法など選ばずに。
中学の入学式、この美しい緑色を見初めたときから、いつだって手に入れたいと願って来た。
緑間が綺麗なままでいられるのは、赤司がそうであってほしいと願っているからだ。
ある意味神聖化しているといっても過言ではないかもしれない。
誰の色にも染まらない彼の孤高を赤司は愛していた。努力に関しては病的なまでにストイックな所も、才能を認めた者であれば簡単に懐に入れてしまう様な甘い部分もとても気に入っている。
緑間は誰にも汚す事など出来ない、特別な存在だということを赤司は理解していた。
ここ数週間で仲を進展させたのはその為だった。他の誰かに持っていかれる事など考えられない。しかし隙も大いにある緑間に自覚をさせないことには始まりもしない。ある程度の布石は打っておかなければ、赤司や緑間を理解しようとしない有象無象に害を加えられる恐れもある。
周りに、緑間に自覚させるという今回の赤司の目論見は成功した。実の所誰よりも警戒している、キセキのメンバー達にも滞りなく牽制は出来ており、すべて目的は完遂していたのである。
すうすうと規則正しい寝息に耳を傾けながら赤司は明日の事を考えていた。
こんなに早く床に着くのも久しぶりだからどうにも眠気がこないのだと、しばらくはフォーメーションのことやスタメンの事について雑多に考えていた。だがそれでも眠気はいつまでたってもやってこない。
激しい練習をこなしていることもあり、普段ならとっくに眠っているはずだった。可笑しいと思うが、こないものはまあ仕方ないのだとトレーニングメニューを事細かに考え始めた。
が。

「…どうしてだ。」
余計に目が冴えて来た様で、赤司は小さく忌々しげにつぶやく。すうすうと真横からの寝息は耐えないというのに、一体どういう事だ。
こうなったら意地でも寝てやると散々、名勝負の棋譜を頭の内で繰り返した結果、ようやくうとうととし始めた。この頃にはかなりの時間が経ってしまっているようで無意味な時間を過ごした事にいら立ちを覚えながらも、心地よく響く緑間の寝息を子守唄に赤司の意識は闇の中に漸く沈んでいった。


※※※


当然のように先に目覚めたのは赤司だった。

「…存外、コントロール出来ないものだな。」
あまり見慣れない客間の天井を見上げながら、誰にも聞こえない様なちいさな声で赤司はつぶやく。その目の下にはうっすらと隈ができているのが確認出来る。
まだ目覚ましが鳴っていないことを考えれば緑間がセットした時間の5時半にもなっていないということだ。
それどころか寝付いてから数分後には目覚め、必死に眠ろうとし、なんとか眠りに付いたまたその数分後に目覚めを繰り返してしまっていた。
その度に隣で眠っている男の寝息を確かめ、その鼓動を大きくも薄い胸に手で触れ、確かめた後にまた赤司は眠ろうとした。余計に緊張を高める行為だという事も知らずに。
…単純な事じゃないか。
恋心、など。愚者のように振り回されることなど一生あり得ないと思っていたが、どうも勝手が違うようだ。意識などしていないなどと強がりにしても良く思えたものだと赤司は大きく息をつく。
自らを律する事が出来ない人間など唾棄すべき存在だと考えていたが、赤司自身もその一員らしいと認めない訳にはいかないようだ。
横からはすうすうと変わらず規則正しい寝息が聞こえてくる。赤司の苦労などまるで知らないとでも言うように、緑間は良く眠っている。
しかも睡眠の導入の当たりからの姿勢と殆ど変わらない、直立の姿勢のままだった。赤司のように眠る事が出来ず、何度も寝返りを打つ事もなかったのだ。
「…まったくおまえは、本当に面白いな。一生飽きそうにないよ。」
少しの憎たらしさも込めて、意識したままの少しの距離を縮める。ぴたりと腕に密着すると眠っている人間の高めの体温が心地良い。
触れてしまえば流されてしまうのではないかと無意識下で考えていた結果の距離だったようだが、存外そうでもないようだ。高ぶるというよりもむしろ安心するようだと赤司は目を閉じる。
緑間の意識があるのであればまた話は別かもしれないが、眠り姫は起きる様子もない。
思春期の男子が好きな子の隣で眠って良く我慢出来たものだと周りは言うだろうが、赤司は大抵その規格に当てはまる事がない。当てはまる事はないはずだったのだが、確かに意識はしている。良く眠れなかったのが紛れもない証拠だった。
余裕があるのは自分の方だとばかり思っていたが決して赤司の思っている通りではないようだ。
身体をずらし、覆い被さるようにして緑間の身体の上に伸し掛ると、端正な眉が少し歪むのが見えた。だが覚醒までは至らなかったようで、意外と寝汚い緑間の性分に赤司は感謝する。
だがこのままではどうにも収まらない。
赤司にもそれ相応の欲があるのだと、緑間が相手であるからこその欲があるのだと、気付かされてしまったからには責任を取ってもらわねばなるまい。
起こさないようにと、緑間の陶磁器の様な滑らかな頬にそうっと口付ける。見た目や想像に以上に柔らかい。唇に跳ね返る弾力も思いのほか心地よく、気分が良くなり赤司はもう一度口付ける。
ああ、まだ足りない。こんなことくらいで気が晴れたりなんかしない。
何度も何度も繰り返すうちに、頬が赤く染まってくる。徐々に赤く色づいていく頬がまるで自分の色に染まっていっているようでつい夢中になって赤司は啄む。

「…あか…しっ!」

とうとう耐えきれないとばかりに緑間が名を呼んだ。顔を覗き込めば翡翠の目が水滴を含んで潤んでいる。目の下に薄くついた影とその表情を見た途端、愛しさと嗜虐心がこみ上げるのだからどうしようもない。
「…ああ、起きたか真太郎。」
「お前は!な、にをしている…のだよっ!!」
赤司の手ががっちりと肩を掴んでいる為に緑間はその場から動く事も体勢を変える事も出来ない。
緑間の耳まで真っ赤に染まった顔を見て、赤司は笑いながら逃さないというように頬にさらに口付ける。

おまえの可愛いを、知らない振りで居るのもそれなりに大変なんだよ。

実の所かなり前から緑間が目覚めていた事に赤司は気付いてた。
しかも殆ど同時に起きていたなんて、運命の様で笑えてしまう。必死の寝たふりは余計に発汗量を増やすというのに、この眼が誤摩化せるとでも思っていたのだろうか。それならば緑間もまだまだ赤司の余裕のなさに気付けていない。
恋や愛に勝ちや負けもあるまいに、自分の想いの方がきっと強いのだと思うなど馬鹿らしい。そう思うのに、赤司の心はこれまでになく高ぶり踊っていた。
「やめろ、赤司!約束しただろう!」
緑間の震える声も今は赤司を煽るだけだ。
「ああ、申し訳ないがあの宣言は、撤回させてもらおうと思ってな。まあ約束は破る為にあるんだと亮太もいっていたし。今日は昨日と違って、まだまだあるしな。」
そう耳もとでつぶやいて、首元に鼻を埋めながら抱きしめると本当に頼むから勘弁してくれと、蚊の鳴くような声で緑間がつぶやいた。
だが望みを聞いてやるつもりなどまるでないのだと、昨日の寝たふりも可愛かったぞと付け加えると、観念したように投げやりにもう…どうとでもしろと赤司が望んだ言葉が緑間の唇から溢れた。


おしまい。



−−−−−−−−−−



恭也さんびりっけつどころか締め切り破り、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした!
拙作なれど少しでも楽しんでいただければ幸いです。
皆様の素晴らしすぎる作品で赤緑が増える事を切に願っております!
本当に素敵な企画をありがとうございました!存分に楽しませていただきまーーーす!!
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -