「……。」

自宅からかなり遠くにある内科の前で、佇むこと20分。
身長190cmもあろう大男が眉間に皺が寄った状態で仁王立ちしている横を、
不審そうに或いは怯えながら、内科に用事のある患者さんたちが通りすぎていく。

「…………。」

分かってはいるのだ。踏み出さねばならない。いつまでもここで躊躇っている訳にはいかないのに。
何故だろう、足がどうしても動かない。

「――緑間じゃないか。何をやっている。」
「!!」

俯く背中に後ろから声を掛けられて、びくりと硬直した。この、声は。

「赤司……。」

一番見られたくない男に出会ってしまった、と内心思う。
そういえばこの辺りはこの男の家が近いのを思い出した。忘れていた自分に舌打ちしたくなる。
弱みを、この男には特に見せたくはないのに。

「内科……?なんだ、具合でも悪いのか。体調にも人事を尽くすお前にしては珍しいな」
「馬鹿を言うな、風邪など引かん。だからこそ人事を尽くしに来たのだよ。」

ヤケクソで、先程から睨み合いを続けていたポスターを指差してやる。ああ、とすぐに赤司は気付いたようだった。

「インフルエンザ予防注射か。接種に予防効果はないという医者も多いと言うが」
「だとしてもだ。対策が用意されているというのに乗らない訳にもいくまい。」
「一理あるな。……オレも打っていくか。」
「なっ……!?」
「副将が倒れずに主将が倒れるなど許されないだろう?――どうした、来ないのか。」

立ち竦む横を颯爽と通り過ぎ、医院の扉を開けながら不思議そうに振り返られ、やけくそ気味に声を振り絞った。

「行くに決まっているのだよ……!」







「――緑間。」
「何も言うな、頼む、忘れてくれ……。」

あの後。引くに引けず、赤司と共に注射を打たれ、そのままバタリと倒れてしまった。
何度も言うが190cmもある男なので、助け起こすことすらも大変だったようで。
そのまま内科の近くの赤司の家に搬送され、赤司の部屋のベッドに寝かされて今に至る、訳だが。

「先生から緑間の症状について説明を受けた。注射恐怖症といったか?」
「……昔から、その病名をつけられているがオレ自身はは未だに病気だとは信じていないのだよ。」

――注射恐怖症とは。
遺伝性のもので、注射をされると血管迷走神経反射が体内で起こり異常に震えたり、
ひどい場合は意識がなくなるという歴とした病。らしい。

「まあ……気持ちは分からなくもないが。病名だけ聞いた時にはオレも、注射が怖いだけの症状かと思ったしな。」
「当たり前だ、信じられる訳がない。オレはただ、体内に液体が注入される感覚が……苦手なだけだ。
さすがに成長すれば治るのだろうと思っていた。だから意を決して来たのに――結局この様か。笑いたければ笑え……!」

泣きそうになるのを堪えるために、仰向けに寝た体勢から横を向いて赤司から背を向ける。
部屋の壁と向かい合ってから、そういえばここは人の、赤司のベッドだったと思い出すが、
注射の後遺症からまだ体が言うことを聞かない。横を向いただけなのにぐったりする。
そんな自分が情けなくて、更に泣きたくなった。
と、不意に背中に触れた手に、びくりと固まる。

「……赤司?」

振り返ることはできないが、ベッドが軋んだので赤司が座ったらしいことにも気付いた。

「緑間。そう自分を卑下するものじゃない。先生も克服出来ない病じゃないと言っていただろう?」
「それはそうだが……しかし対処方が『注射に慣れる』など、どうすれば出来るのだよ?」
「確かに注射に慣れるのは難しいかもしれないが、お前は先程『体内に液体が注入される』のが苦手だと言っていた。
――それは他の手段で慣れることが出来るんじゃないか?要はその感覚に慣れればいいのであれば、ね。
良ければオレも克服に協力しよう。どうだい?」

滅多に聞かない優しげな声音 で、赤司は言った。
体内に液体を注入することを注射以外の『他の手段』でどうやってやるのか、
イメージがさっぱり沸いてこないが、赤司が自信ありげに言うのであれば何か良い策はあるのだろうと思う。
その辺りはチームメイトとして、また越えるべきライバルとして認めざるを得ない赤司の凄さなのだ。

「分かった。……協力、して欲しいのだよ。」

背中越しにそう告げれば「緑間は素直で良い子だね」と背を撫でられながら声が降ってくる。
先程よりも距離が近い。というよりもむしろもう口唇が耳元にくっついているような状態だ。
くすぐったいが、避けるために身を捩るのも怠く、ただその生暖かい体温を受け入れた。

直接吹き込まれる赤司の声。

「――溢れるくらい、注いでやろう。」







「後から思えば、そこで『オレの体内に何を入れる気だ?』と聞いてやれば良かったのだよ……。」
「過ぎたことを言われてもな。あの時お前が僕を受け入れて、こうやって『練習』を続けたからこそ、
今や注射を打っても倒れることはなくなったじゃないか。」
「だが、まさかそんな下ネタだとは思わなかったのだよ……
 というか、もうほぼ克服出来ているのだから『練習』はしなくてもいいのだよ!……っ、あ」
「下ネタを言ったつもりもない。僕はいつでも本気だ。それに完全に克服も出来ていない癖に、途中脱落など許すと思うか?」
「いやだ、止めろ!」
「お前の体内に『何が』入れられて。『何を』注入されているのか。お前の口から言えるものなら言ってごらん。
そうしたら、今日は止めてやろう」
「ふ、ざけ、るな……!あ、」

筆舌し難い屈辱に、唇を噛み締める。赤司が萎えるような口汚い単語で言ってやろうとするも、
沸騰しそうな体温と脳では意味のない呻きしか紡ぎ出せなくなっていた。

オレの体内に『何が』入れられて。『何を』注入されているのか。

言うことは適わないが、オレが童貞非処女なことで察して欲しい。
そういえばあの日のおは朝の占いは、蟹座が最下位だった。しかしラッキープレイスが病院であったため、
意を決して赴いたのだ。ラッキーアイテムで補正したので命は助かったということなのか。
 ――まったく良く当たる占いなのだよ。

「真太郎。最中に考え事か?余裕だな。ならば、まだいけるね。」
「な、ちが、ッ……赤司!」





【終】
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