「お疲れさん。キッド、今日は飲み行くぞ!」
「あーいや、俺は」
「ダメダメ、そいつ彼女と同棲始めたばっかだから早く帰りたくてしょうがねェのよ」
「ちょっ」
「お前いつの間に!?じゃあしょうがねーな。彼女と仲良くやれよー」

 飲み屋街に向かうべく事務所を後にする先輩の背中を見送る。
 同棲については隠していたつもりではない。言って回るほどの事でもないし、それについていじられるのも面倒だから言わないでいただけだが、バレた。まあ、コンビニ弁当か社食だった昼飯が手作り弁当に変われば言わずもがな、か。

 会社最寄りの駅から電車に乗り込めば、同じように帰宅の途につく人でごった返している。家族や恋人が家で待っている人も少なくないだろうと、不意になまえを思い浮かべて思う。

――恥ずッ

 先輩が妙なことを言ったせいだ。ニヤけてしまわぬように唇を噛みしめ、意識を逸らすべく携帯アプリでもやるかと、背広の胸ポケットに突っ込んでいた折り畳み式携帯を開いた。

――俺は馬鹿か

 瞬時に携帯を閉じてスボンの右ポケットに突っ込んだ。
 事務所では休憩中でも携帯を開かないようにしていたのは何故か、どうしてこのタイミングで忘れていたのか。脳裏に鮮明に映し出されている画像を見ながら、同棲すると決めた時に浮かれていた自分を殴り倒してやりたい気持ちになった。そうは思いながらも、待ち受け画面を変えようという考えは一片たりとも浮かんでは来ない。
 ひとまず、降車駅に着くまでは無心を心掛けたいと思った。

 駅から徒歩15分弱の場所に建つオートロック式マンションの一室が数日前からの我が家だ。お互いの職場に遠くなく近隣の施設も充実している。「ペット可」という点がなまえは気に入ったらしいが、当分の間許可を出すつもりはない。

「おかえりー」

 鍵を抜きドアを開けると、夕飯のにおいとなまえの声がする。「ただいま」の一言はむず痒く、「おう」と返すだけだ。キッチンにいるであろうなまえには聞こえていないかもしれない。




「電気消すぞ」
「いいよ」

 二組つけて敷いたふとんの上で、明日着る服を確認し終えたなまえがふとんをかぶる。
 パジャマ好きななまえはTシャツに短パンを寝間着にする俺と違い、毎日違うパジャマを着ている。見ていて楽しいと思う反面、ワンピースタイプを着た次の日に幼児向けアニメの着ぐるみパジャマを着られると、無言の牽制を受けているとしか思えない。

「そうだ、明日会社の人と飲みに行く約束しちゃった」
「…………」
「女だけ」
「……あんま遅くなんなよ」
「ありがと。キッドもさ、わたしに遠慮しないで飲んできていいんだからね。約束したでしょ?」

 同棲する時に、いくつか約束事というのを作った。忘れないようにとなまえが紙に書いて冷蔵庫の扉に貼っている。そのうちに「付き合いを大事に」というのがある。
 ふたりで生活するのだから互いを気遣い、ふたりの時間を大切にするのは当然のこととして、けれどもそれを理由に付き合いを断つのは社会人としてよくない。というなまえの持論からだ。
 同棲前は……とは言っても数日前までの話ではあるが、先輩には頻繁に連れ回されていて、同棲をした日からは今日のように断り続けている。現状を見れば、付き合いは悪いだろう。それを気にするような人達ではないし、今ぐらいは良いではないかと思うが、なまえはそうではないらしい。

「あ、もしかしてわたしと居たくてしょうがない?」

 まだ暗闇に慣れていない目では確認できないが、こちらを向いて猫のように目を細めて笑っているのはほぼ間違いない。

「ガキっぽい着ぐるみ着てる奴に、んなこと思うわけねェだろ」
「そんなこと言っちゃってー」

 よいしょよいしょ、とわざとらしく声を出して俺のふとんに侵入してきたなまえは、がばっ、とこれまたわざとらしく声を出して抱きついてきた。

「ひっつくな」
「むりー。なまえちゃん抱き枕ないと眠れないのー」

 引き剥がす気は微塵もなく形だけの抵抗をしてみせる。それに気づいているであろうなまえはさらに擦り寄ろうとする。乗りあげた足は少し重いが、肌に触れる着ぐるみは思っていたよりも触りが良かった。



「そう言えば、わたしの寝顔なんていつの間に撮ったの?」

 心臓が大きく跳ねた。ねぇねぇと嬉々としたなまえの声と、強い光とカシャという音。寝返りを打った俺は、その全てに気づかないことにした。



ふたり暮らし






20110628
from 真生さん






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