向日葵の優しい開花

爆豪 side

『か、つき……、』

静まり返った部屋のベッドの上で何をするでもなく身体を寄せ合っていた。耳に入ってくるのは、時計の針がカチカチと時を刻む音と、俺の胸で啜り泣く菜乃の声だけだった。

菜乃はグズグズと泣きながら何度も『勝己…、かつき…。』と俺の名前を口にしては俺の服をキュッと掴んでやがる。
コイツの枕になっていた片方の腕で頭を包み込んで、俺の服を握る白くて細い手を空いた手で包み込んでやった。

菜乃の手は

_震えていた。

「…ちゃんとここにいてやっから。」

手の震えを押さえるように、
少しでも安心できるように、

_もう二度と、この手を離さねぇように
強く握りしめた。

コイツが俺のことを思い出したっつー事は、幼い頃の記憶も思い出した可能性が高ェ。…蓋をしたかったであろう父親の死についての記憶もだ。

菜乃が記憶を失ってから何度も考えた。自分が何をしてやれるのか、どうすべきか。
…未だにその答えは出ちゃいねぇ。

コイツがまた笑えるように、
俺が好きな無邪気なあの笑顔を
夏の向日葵みてぇに眩しい笑顔をそのツラに咲かせられるように
ただそれだけを願って
こうして手を握ってやる事くらいしか思いつかなかった。

結局、ガキの頃から何も変わっちゃいねェ。

何も出来ねぇ自分に深いため息が出ようとしたのをゴクリと喉の音を立てて飲み込んだ。

『勝己……わたし…っ、』

ずっと俺の名前だけを呼び続けていた菜乃が何かを喋ろうと口を動かした。
小せェ声だったが確かに何かを伝えようとしていた。

「ん。」とだけ返して話の続きを待てば、菜乃はゆっくりと話を始めた。泣きながら、それでも必死に言葉を紡いでいた。

『勝己のこと、…っ、また傷つけた…っ。自分の都合の良いように忘れて、勝己にあんな悲しい顔をさせて、…っ。』
「…」
『貴方を知らない、なんて酷いこと……っ、うっ…ごめんなさい…っ、』

あぁ、まただ。
これじゃあ記憶を失くす前と一緒じゃねぇか。

_その言葉は、嫌ってほど聞いてンだよ。

“ごめんなさい”と謝り続ける数週間前の壊れかけた菜乃を思い出しちまう。違うのは、謝罪の相手が父親でなく俺であることと、此処が菜乃の部屋でなく俺の部屋だっつうことだけだ。


これ以上菜乃の口からその言葉を聞きたくなくて、ピタリとくっついていた身体を少しだけ離して菜乃の唇に自分のを重ねた。

菜乃の口から漏れる謝罪の言葉を俺の口の中に飲み込むとまた静寂な空気だけが流れ込んだ。
数秒で唇を離して再び二人身体を寄せ合って華奢な身体をキツく抱きしめた。

「…全部、思い出したンかよ。」
『……うん。』

その短い肯定の返事が、とてつもなく重たく感じた。抱きしめる腕の力を強めると、菜乃は『あのね、』と静かに話を始めた。

『わたし、勝己を忘れてるこの数週間が凄く寂しかったの。』
「…」
『いつもいつも、赤い色を見ては胸が締め付けられるみたいになって苦しくて切なくなった。でもどうしてそうなるのか分からなくて、心に大きな穴が空いてるみたいだった。』

菜乃が俺から少しだけ距離をとったかと思えば、白い手は俺の両頬を優しく包み込んだ。

『頭で忘れてしまっても、心が求めてた。勝己の赤を。勝己の存在を。』
「…っ、」
『何も思い出せない筈なのに、心が貴方を求めるの。…だからずっと虚しかった。貴方がどんな人なのかも思い出せなかったから。』

菜乃は涙を流しながらも優しく笑ってそう言った。
話の続きを待ってりゃ、今度は菜乃の方からツラを近づけて来て、唇を重ねた。
目を閉じると、自分の目から温かい何かが溢れちまった。

触れるだけの口付けの後、菜乃は更に言葉を続けた。

『大切な人をもう忘れたくないの。』

菜乃のその言葉から震えは止まっていた。

『貴方や、お父さんがどんな人だったか…なんてもう二度と思いたくない。…だから、過去とちゃんと向き合う。もう逃げない。わたしの大切な人と、その人との思い出を今度こそ守りたい。』

菜乃の瞳は、悲しみに揺れながらも強い瞳をしてやがった。
その瞳に吸い込まれるように見入っちまって
このどうしようもなく弱くて脆い確かな存在を

昔と変わらず“守ってやりたい”なんて思っちまった。

今にも涙が溢れ出しちまいそうな目元に唇を寄せると、じんわりとあったけェモンが伝ってくる。

またしても腕の中に細い身体を閉じ込めてやると、菜乃も俺の身体に腕を回した。

「俺ァ…、二度とてめェン中から消えてなんかやらねェわ…。」

たとえ忘れちまっても何度でも惚れさせてやらァ。
そう強く思った。

『…ねぇ、キスしたい。』

菜乃は少しの沈黙の後、そう口にした。要望通りに唇を合わせて見つめ合えば、交わる互いの視線に熱がこもっていく。

『もっと…』と言いながら菜乃自ら唇を寄せて来やがる。堪らずに角度を変えながら何度も何度も小さな唇を貪った。

『もう勝己の事、忘れちゃわないようにしてほしい……。心も、身体も…。』

クソ…この状況で何言ってやがんだこの女…。

そう思いながらも、恥じらいながらンなことをほざく目の前の女に己の欲望は従順だ。

こうなったら本気でシてやる。
二度と忘れらンねぇようにこの身体に俺の存在を刻み込んでやらァッ…!

「明日は腰が立つと思うンじゃねぇぞ。」
『え…そ、そんなに…?それなりに鍛えてるし大丈夫だとは思うけど…。それに明日も検査で学校休みにしてるから…。』
「ハッ、まともに検査が受けられりゃいいよなァ?身体にもしっかり俺を思い出させてやっから覚悟しろや。」
『え…っと…その…お、お手柔らかにお願いします…。』

今更引けるかよ馬鹿か。

惚れた女に二度も存在を消されちまって腹立ってンだから、せめて好きなだけその身体に刻み込ませろ。

「しっかり付き合えよ、菜乃。」

シングルベッドの上でピタリと身体を寄せて、俺たちは久しぶりに恋人同士の愛の時間を始める。

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