心に空いた穴をキミで埋める

菜乃 side

爆豪くんと廊下で別れて部屋に戻るも、何もする気になれなかった。爆豪くんが吐き出した言葉と苦しげな表情が頭から離れずにいた。

なんでこんなに胸が痛くなるんだろう。彼との思い出なんて何一つ覚えてないのに。爆豪くんのあんな表情を見るのは心が苦しい。だけど、さっき別れたばかりの彼に無性に会いたくて声が聞きたくて堪らなかった。

ベッドに横になり痛む胸を押さえて体を丸める。

…そういえば、顔も腕も沢山怪我してたな。よく効く塗り薬があった筈だ。持って行って…いや、爆豪くんは心配されるの嫌がるかな…。わたしと関わらないようにしたいとか言ってたし…。

ううん、ちゃんと向き合うって決めたんだった。そうしなきゃ、想いを打ち明けてくれた切島くんにも悪いもの。それにわたしだって爆豪くんとのことを思い出したいのは本心だ。

ベッドから起き上がって机の前に立った。

塗り薬をたしかこの辺にしまったはずだ、と思って引き出しを開けようとするも半分開けたところでガコッ_と何かが引っ掛かる音がしてそれ以上開かなくなってしまった。不思議に思いつつも、お目当ての塗り薬が視界に入れば特に気にも留めなくなった。
わたしはそれを手にして爆豪くんのところへと向かった。



_コンコン

男子棟四階の爆豪くんの部屋の前に来てドアをノックした。中からの返事は返ってこなかった。
…まだどこかを掃除中なのだろうか…?

会うことを諦めて部屋に戻ろうとした時、目の前の扉はガチャリと音を立てて開いた。扉の前に立っていた爆豪くんはわたしの顔を見ると一瞬だけ驚いたように目を見開いた。だがすぐに視線を落として目を隠されてしまう。

「…あんだよ…。」

爆豪くんの低い声だけが誰もいない廊下に静かに響くようだった。
彼の姿を見ると、心臓が締め付けられそうになって言葉が出なくなる。

「用がねんなら…」と言って扉を閉めようとする爆豪くんに向かって、わたしは慌てて口を開いた。

『待って…!…その、怪我してるみたいだったから薬を…。』
「…」
『よ、余計なお世話だったよね。…緑谷くんも怪我してるみたいだったから緑谷くんに渡してくるね…。』

緑谷くんに渡しに行くつもりなんて全然なかったのに、急に自分のしてる事が恥ずかしくなってこの状況を誤魔化した。くるりと身体の向きを変えてこの場から立ち去ろうとすると、腕を掴まれてしまった。そして後ろへ強く引かれた。

突然の事に足がもつれて身体は後ろへと倒れそうになった。だが、わたしの体が床に倒れる事はなくて、背中は優しい温もりに覆われて、腰や肩にはガッシリとした腕が回されていた。

「行かせるわきゃねェだろーが。」

耳元にかかる吐息が擽ったいし、心臓は馬鹿みたいにうるさく鳴り始めた。心臓が飛び出そうなくらいドクドクと大きく音を立てているのはわたしのだけじゃなかった。自分の鼓動とは違うリズムが背中側から伝ってくる。…これはきっと爆豪くんの心臓の音だ。

_不思議だ。
なんでこんなに安心するんだろう。

わたしの頭は彼の事を知らないのに、心や体は彼を知っていて求めているようだった。

わたしが何も言えずにいると、爆豪くんはわたしの体を腕から解放してくれて、ベッドに腰掛けた。…そして服を脱ぎ始めた。

『へ!?…ちょ、爆豪くん…!?』

両掌を前に突き出して顔を横に背けた。

「あ?…薬塗ンだろーが。」
『へ…?』

自分の前に出していた腕をゆっくりと降ろして恐る恐る爆豪くんの方へと視線を向けると、彼はコチラに背を向けていて、肩甲骨辺りまで服を捲り上げていた。

あ…そういう事か。背中は自分じゃ手当しにくいから、しろって事なんだ。
途端に、変な事を考えてしまった自分を恥ずかしく思った。…爆豪くんが背を向けてくれてたおかげで顔を見られずに済んだ。

ベッドの上に胡座をかいて座る爆豪くんへと近づいて薬を指先に取った。
ゴツゴツとした逞しい背中にそっと指を伸ばす。

『失礼します…。』

擦り傷や打ち身が至る所にある。湿布も持ってきてあげたら良かったな、なんて思いながら傷に薬を塗りつけた。

『お、終わった。』

そう言うと彼は「ん。」とだけ返事をして捲り上げていた服を降ろした。

『それじゃあわたしはこれで帰るね。…おだい…きゃっ!?』

“お大事に。”そう言って部屋を出て行こうとしたのに、またしても腕を掴まれて強く引かれた。視界がグルンと回り体は横に倒れてしまう。だけど、体は痛みを感じなかった。ギュッと閉じていた目を開けると視界には真っ黒い布だけが映った。見上げればすぐ近くに爆豪くんの顔がある。

彼の赤い瞳はしっかりとわたしを捕らえていた。強く悲しく揺れるその赤から視線を逸らせず、心臓はドクリと大きな音を立てた。

「下心があるっつっとんだろ。…俺ァ、同じ奴に二度も同じ忠告はしねェからな。」

彼の言葉の意味は、またしてもわたしには理解できなかった。だけど、この状況がまずい事だけは瞬時に理解できた。男女が一つのベッドで横になっていてする事なんて一つだ。
…記憶を失くす前のわたしと爆豪くんがそういう事をする関係だったんだろう。だけど、今のわたしにはその記憶がない。

…この先のことは出来ない。

そんな想いから彼の身体を押し返そうとするも、わたしの身体に回された腕は離すまいと強く抱きしめてくるのだ。

「デクのとこなんか行かせて堪るかよ。」
『…行かない、から…。離して。』
「言っただろーが。避けてやりてェのにそれが出来ねぇって。…それを知った上で自分から部屋までノコノコ来やがったてめェが悪ィわ。」
『…』
「添い寝でもなんでも嫌って程したるっつったのは俺だからな。約束は守ってやらァッ…。」

そんな約束いつしたんだろうか。そもそも本当にそんな約束を交わしたのだろうか?彼が適当な事を言っていたとしてもわたしにはそれが真実なのかどうかさえも分からないのだ。だけど苦しげに言葉を吐き出す彼が嘘を言ってるなんて到底思えなかった。
…それに、抱きしめてくれる彼の温もりも、近くで感じる匂いも、どこか懐かしく感じる。心にぽっかりと空いた穴を埋めてくれるようで安心感を覚えた。

彼は言葉通り、それ以上手を出してくる事はなかった。ただ優しくわたしの身体を抱きしめてくれていた。
今の今まで持っていた警戒心など、優しい温もりを前にして次第に薄れていき、わたしはいつの間にか彼の腕の中で夢の世界へと堕ちていた。



どれくらい眠っていたんだろうか。目が覚めた時には部屋には夕陽が差し込んでいた。スヤスヤと規則正しい寝息を立てている爆豪くんを起こさぬように、自分に掛かっていた彼の腕をそっと外してベッドから抜け出した。

『…っ、』

どうしてだろう。何故だかサヨウナラという言葉が口から出かかった。前にもこんな事があったような気がする…。いつ?どうして…?

記憶を手繰り寄せようとするも、頭が痛くなるばかりで何も思い出せない。深く息を一つ吐いて、首を横に振った。

ダメだ、何も思い出せない。とにかく部屋に戻ろう。

わたしはそっと扉を開けて爆豪くんの部屋を後にした。


自室に戻り、持っていた塗り薬を元あった引き出しに戻そうと開けるが、またしてもガコッ_と何かが引っ掛かったような鈍い音を立てて半分開いた所で止まった。

引っ掛かった何かを確認しようと覗き込んでいるとコンコン_と扉をノックする音を耳にした。
引き出しは後にして先に来訪者を迎えるべく扉を開けた。廊下に立っていたのはお茶子ちゃんだった。制服を着ているところからして授業が全部終わって寮へ戻ったばかりなのだろう。

「菜乃ちゃん、検査大丈夫やった?」
『うん、ありがとう。変わりなしだったよ。』
「そか!良かった!あっ、これ菜乃ちゃん宛に荷物届いたから持ってきた。はい!」
『荷物…?あ…スマホか…。ありがとう。壊れて電源つかなかったから修理に出してたんだった。』
「おおー!無事に返ってきて良かった良かった!」

お茶子ちゃんは「着替えてくる!」と言って階段の方へと行ってしまった。扉を閉めて受け取ったばかりの段ボールの箱を開ける。中に入っていたスマホはすっかり綺麗になって戻ってきた。ほんと、何があったらあんなに画面が割れるのか未だに疑問だった。
充電器にさして電源が付くまでの間に引き出しの引っ掛かりをどうにかするか…。

えぇっと……あれだな。引っ掛かってるのは…。よいっしょっ…と。

引き出しの上側に引っ掛かっているのは茶色い封筒に入った何かだった。
封筒の中身を取り出してみれば、中から出てきたのは赤いとんぼ玉のついたかんざしだった。

これ、なんだっけ…。えっと…。もらった…?誰から…?

それにこの赤い色…。さっき爆豪くんの目の色を見たばかりだからだろうか?何故だか彼の悲しく揺れる瞳ばかりを思い出す。

ーー♪

スマホの起動音がして手に取れば、今まで音のする事がなかったスマホはこれまで知らせず溜め込んでいた着信やメッセージの通知を次々と知らせた。

着信件数もメッセージ件数も見た事ない数字を記した。一つ一つ確認する気も失せてしまいそうになる。

『え………なに、コレ…』

着信履歴を見て思わずそんな声が漏れた。
わたしのスマホに残った不在着信の数は20件を超えていた。そのほとんどの相手が【爆豪勝己】だったのだ。

戸惑いながら届いたメッセージも確認すれば、わたしの想像通りそのメッセージの半分以上は不在着信の相手と同じだった。

爆豪くんからのメッセージはわたしが階段から落ちて怪我をする数日前が最後だった。“部屋おるんか。”、“メシ食ってンのか”とか爆豪くんからの一方通行のメッセージばかり。

なんでこんなメッセージ…。返信がない相手にどうしてこんなに送り続けたの?何を一体こんなに心配して……。

“少しでいい。ツラ見せろや。”
数件のメッセージの中からそんな内容を見つけた。

わたし、爆豪くんに顔も見せてなかった…?

…そうだ、思い出した。わたしずっと部屋に籠ってて…。
そうだ、手を身体に沢山つけた敵に父の死についての事を言われて、忘れていた幼い頃の記憶を思い出したんだ。それでわたしは……。

爆豪くんはずっと心配してくれてたんだ。
何件も届いていたわたしを心配するメッセージを見て胸が苦しくなる。

メッセージをどんどん過去に遡って見ていくと、少しずつ爆豪くんとの関わりを思い出せた。
過去に自分が送った“明日のお祭り楽しみにしてる!”という文面を見て手にしていたかんざしをキュッと握りしめた。

爆豪くん…ううん、勝己はずっとわたしの事心配して、大事にしてくれてたんだ。それなのにわたしは…また彼を忘れた。

病室で勝己を見て、わたしが全く誰だか分からない顔をした時、勝己はどんな気持ちだったんだろう。
わたしは忘れちゃいけない大切な存在を…二度も忘れた。

居ても立ってもいられず、かんざしを握りしめたまま部屋を飛び出した。

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