変わらないモノが確かにある

菜乃 side

『お母ーさん!』

ヒーロー仮免試験の全日程を終了したわたしは母に会う為に病院へと足を運んでいた。右掌には発行されたばかりのヒーロー仮免許を握りしめていた。
二次試験…。
あの後、瓦礫の下から救助した重症者を背負って救護所まで運び込んだところで二次試験終了のアナウンスが流れた。
この二次試験、難易度は高めに設定してあったように思う。内容は救助だけだと思われていたがそうではなかった。試験の後半に差し掛かると、敵に扮したプロヒーロー:ギャングオルカの登場で事態は一変したのだ。救護所の辺りに近づいて行くほどに騒然としていくようだった。

試験だったからこそ言える事だが…なかなか過酷な試験内容だった。

終了のアナウンスを耳にして全身の力が一気に抜けて口からは自然と息が漏れたほどだ。


母はわたしの姿を視界に入れるとベッドに腰掛けたまま優しく笑いかけてくれた。そして「嬉しそうね。何かいい事があったの?」と尋ねた。

右手に持っていた仮免許証を突き出して『合格!』と言えば、母はわたしの手からそれを受け取りまじまじと見つめていた。

「…そういえば今日だったのね。…良かったじゃない。おめでとう。」

そう言う母の表情は、とても祝福の言葉には似つかわしくない。ぼんやりと免許証を眺めて寂しそうに笑っていた。

…わたしは仮免試験の少し前にも母に会いにきていた。その時も母は今日と同じ表情をしていた。ただあの日は、母とは久しぶりに会ったし、わたしが敵に攫われた事や寮の階段から落ちた事を酷く心配していた。だからわたしが『仮免試験を受けてくる』と言った後の母の悲しげな表情は、「無理をしないで」という意味で受け取ったのだ。

だがどうやらそれはわたしにとって都合の良い解釈であって、実際の母の想いは違ったという事は今ハッキリと分かった。やはり母はまだわたしがヒーロー科に通う事を認めてないんだろう。
入学の時から反対はされていたが、通ってしまえば認めてくれると思っていた。だがそう思い通りにはいかなかったようだった。

母はわたしが“ヒーローになる”という夢を持つことを未だに受け入れていない。

『お母さんはヒーローが嫌いなの?お父さんだってヒーローだったのに…。』

ずっと疑問に思っていた。…けどちゃんと聞いてこなかった、聞けなかった。母はわたしがヒーロー科に行くと言ってからおかしくなって入院までするようになったからだ。…負い目があったのだ。

「お父さんがヒーローだったからよ。この世から居なくなって称えられる職業なんて気持ちが悪いのよ。」

母の声は聞いた事もないくらい冷酷だった。その声がなんだか怖くて、わたしはそれ以上深く聞く事ができなかった。

−−−−

翌日_
わたしは通院の為に学校を休んだ。朝から病院に行って検査や先生との話を終え昼前には寮に戻る事が出来た。

自室へ戻ろうと女子棟2階に上がれば、誰もいるはずのない廊下に一つの人影が見えた。
…爆豪くんだ。

廊下をほうきで掃いている彼の後ろ姿を見て思わず『へ!?』と素っ頓狂な声をあげてしまった。
振り向いた彼の顔には湿布が貼られていて至る所に細かい傷が見えた。

『えっと…なにしてるの?』
「…見りゃ分かんだろ。」
『掃除…は分かるけど……、あ……』
「……ケッ」

なんで?と問いかけようとして、朝、共有スペースでみんなが話していた事を思い出した。
彼と緑谷くんは昨晩無断で寮を抜けて取っ組み合いをしたらしかった。それが先生にバレて謹慎処分を出されたとか…。謹慎中は寮内の共有部分を清掃するよう罰を下されたのを上鳴くんや瀬呂くんがゲラゲラと笑っていたな…。

朝の出来事を思い出していると、爆豪くんの低い声が二人きりの静かな廊下に響いた。

「…病院、どーだったんだよ。」

驚いた。まさか爆豪くんがわたしの事を気にかけるなんて思っても見なかったからだ。そもそも病院の予定を知ってるなんて思いもしなかった。

『うん…なんともなかったよ。』
「……あっそ。」

自分から聞いてきたクセにその興味のない返事はなんなんだと問いたくなる。
しかも彼はそのままわたしの横を通り過ぎて階段の方へと向かって歩いて行ってしまう。

向き合わきゃ。自分とも、爆豪くんとも。

そんな思いから遠ざかって行く彼の後ろ姿に向かって『待って…』と声をかけた。彼は顔を振り向かせる事は無かったが、ピタリと足を止めてくれた。
わたしは彼の方に身体を向き直して言葉を紡いだ。

『爆豪くんの事、分かんないよ。』
「……」
『わたしの事避けてると思ったら優しくしてくれたり…、気にかけてくれると思ったら興味ないみたいな反応されたり…。なんでどっち付かずみたいな態度をとるの?…それに、わたしの個性の事も知ってるよね…?誰も知らない筈なのにどうして爆豪くんが知ってるのか不思議でならないの。』
「…」

爆豪くんは何も答えてくれなかった。その代わり「チッ…」と舌を鳴らした。人気の少ない寮内に、爆豪くんの舌打ちはよく響いた。
そして彼はくるりと向きを変えてわたしの方へとズカズカと歩み寄ってきた。彼の勢いに思わず後退りをしてしまうが、二、三歩下がったところで背中は壁に当たった。

爆豪くんの手はわたしの顔のすぐ横を通り過ぎて背後の壁に手をついた。壁に身体を縫い付けられたようなこの体勢では逃げる事など到底できない。

赤………。
彼の瞳にまたしても吸い込まれそうになった。寂しげに揺れるその赤にジッと見られるとわたしも視線を逸せなくなる。

「てめェの個性の秘密を誰から聞いたと思っとんだ。」

そんなのはわたしが聞きたい事だ。
でも彼がそう言ってくるという事はつまり…

『わたし…から聞いたの?』

そんな事あり得ない。だけど、彼が何も答えないのが答えだ。

他の誰にも教えてない、秘密している事を話すような仲だったの?どうしてそんな存在のこの人をわたしは忘れてしまったんだろう。

『わたし…爆豪くんの事思い出したいの。わたしと貴方はどんな関係だったの?』

彼の瞳から目を離す事なくそう尋ねた。彼は一瞬目を見開いた後、ゆっくりと口を開いた。彼の低い声は静かにこの空間に響いた。

「…俺がこうだって言やぁ“そうですか”って信じンのかよ。」
『それは…、』

わたしが視線を落として言い淀んでいると、爆豪くんは言葉を続けた。

「…なんでどっち付かずみてェな態度とんだ、だったか?」
『…?』

わたしが先ほど投げかけた質問を繰り返す彼を不思議に思って、顔を持ち上げ首を傾げて見せた。

「避けてやりてェのに…、関わンねェようにしてやりてェのに…、てめェがてめェのまんまだからだろーが。」
『爆豪、くん…?』
「俺の事を忘れちまってるだけで、咲良菜乃を構成する要素は何一つ変わっちゃいねェ…。ツラも声も、バカみてェに真っ直ぐなとこも笑ったツラも…全部俺が惚れたてめェだった。」
『…っ』
「…無関心を貫ける筈がねェだろーが。」
『ばくご、く…』
「二度もてめェの中から存在ごと無かった事にさせられるなんざ、腹が立ってしょうがなかった…。」

二度…という単語が引っかかったが、苦しそうに言葉を吐き出す彼を見ると胸が締め付けられて苦しくて、何も言葉を紡ぐ事が出来なかった。

「けどよ…、守ってやりてェ女が壊れてくのを見てるだけしか出来なかった自分にはもっと腹が立ってた。…守るっつう言葉の重さが痛ェほど分かった。」
「…っ」
『俺を思い出してまたてめェが壊れちまうんじゃねぇかって思うと、どうすりゃいいかわかんなくなっちまう…。けどてめェが俺を忘れたまま俺以外の野郎の隣で笑ってンのも死ぬほど嫌だった。…これがどっち付かずな態度の理由だわ。』

爆豪くんの言葉になんと返していいか分からなかった。
彼の想いを聞いても、彼との記憶がないわたしにとっては他人の話を聞いてるとしか思えなかったから。とても自分の事を話されていると思えなかったのだ。

彼の事を何も知らず、彼の言ってる事が理解できない事がただただ虚しくて悔しくて下唇を強く噛んだ。

「5秒だけくれてやる。」

そう言う彼の顔を見上げると赤い瞳は真っ直ぐとわたしを見ていた。そしてわたしから視線を逸らさず彼は言葉を続けた。

「5秒経っててめェがまだ俺の前に居ンなら何されても文句言うンじゃねぇ…。」
『…』
「何もされたくなきゃ…またあん時みてェに苦しみたくなきゃとっとと失せろや。」

爆豪くんはそう言うと、「5…4…、」とゆっくりとカウントダウンを始めた。
一体何をするというのだろう。自分がどうするのが正解なのかは分からない。だけど、わたしは強くて弱い彼の心にどうしようもなく触れたかった。


キミを思い出したい。
わたしにとってキミがどんな存在だったのか知りたい。

「1…0…、…時間切れだ。」

わたしもまた彼から視線を逸らさず、彼がこれから何をするつもりなのか固唾を呑んで待った。
彼は壁に付いていた掌をわたしの首に添えた。指先が耳に触れるとピクッと肩が跳ねてしまった。
だんだんと顔が近づいてくると心臓の音が爆豪くんに聞こえてしまうんじゃないかってくらいにドクドクとうるさく鳴り始める。
キスをされる、と思ってキュッと目を閉じた。だけど、何かが触れた感触がやってきたのは唇ではなく額だった。

『へ…?』

自然と出た間抜けな声に爆豪くんは「あ?」と怪訝な声を漏らした。

『ううん、なんでもなくって…そのビックリして…。』

唇が合わさる事を期待していたなんて恥ずかしくて言えない。
爆豪くんの顔を見る事が出来ずに視線を落とすと、彼はわたしの首に添えていた手を一度離して今度は顎を掴んで顔を上に向かせた。

いま絶対に顔赤い…。こんな顔見られたくない。

そう思って顔を逸そうとするも、彼は全然それを許してはくれなかった。

しかも顎に添えた手から親指を伸ばしてわたしの唇をなぞってくるものだから余計に顔に熱が溜まっていく。

「ここは…てめェがこれから好きになる奴の為にとっとけや。」

そう言う彼の赤い瞳は、悲しく揺れていた。

『え…、これから…?』
「言っとくが、てめェが好きになる奴はこれまでもこれからも俺以外は許さねぇ…。」

爆豪くんはそう吐き捨ててこの場から去って行ってしまった。

冗談ぽく笑うでも、悪戯っ子のようにニヤついてるわけでもなく、本気の目をしていた。

彼が言った言葉やわたしに見せた表情を思い出すたびに切なくて苦しくなった。それと同時に鼓動は速いテンポでリズムを刻むようになっていた。

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