となり

爆豪 side

菜乃が退院してから、何事なかったみてぇに時が流れた。

退院してからというもの、アイツはここ数日間の事なんざまるで忘れてやがった。…数日の出来事だけならまだしも、菜乃は俺の存在ごと記憶から消しちまってるみてぇだった。
アイツは、俺と関わった記憶を消す事で、また過去の記憶全てにも蓋をした。

病室でも、寮の共有スペースでも、学校でも
何もなかったみたいに笑っていた。

父親の死も、母親から言われた残酷な言葉も、
俺に縋り付いて泣いたことも、

…全部アイツの記憶から消えて、楽しげに笑ってやがった。

デクや切島から言われた言葉を思い出すたびに心臓が抉られそうな想いだった。

今菜乃に俺を思い出させたら、アイツはまた苦しむんじゃねぇかって、俺は怖かったんだ。
菜乃が苦しんでいたあの日々を思い出すと、自分が何もしてやれなかったのが悔しくて腹が立ってしょうがなかった。どうしてやるのが良かったかは今でもよく分からねぇ。
ただ、後悔はしていた。

ずっともう一度会いたかったあの女に雄英で再会したあの日、俺の事を全く覚えてねぇ菜乃に対して怒りの情が湧いた。…分かってた。その怒りってのが、惚れた女に忘れられてンのが悔しくて寂しくて、俺はコイツにとって簡単に忘れられちまうほどちっぽけな存在だと言われたみてぇで…それがどうにも納得出来なかったんだ。
チンケな意地を張ってコイツの記憶を蒸し返そうとした。

知りたかった。
コイツにとって、ガキの頃の俺がどんな存在だったのか。
俺の中でずっと一番だったこの女の一番に俺もなりたかったんだ。

最初はただのガキの張り合いだった。
俺よりも下に居るはずのデクが菜乃の事を好いているのを知って、欲しかっただけ。奪いたかっただけだ。

そこから落ちるのは簡単だった。
遊んでた時に怪我をした俺に、菜乃は個性を使った。するとみるみるうちに怪我は癒やされて傷が塞がった。

『このこせいは、かつきくんと菜乃だけの秘密ね。』

そう言いながら人差し指を唇の前に立てて笑った。
その笑顔がどうしようもなく可愛いと思えちまって、幼い小さな心臓はドクリと大きく音を立てた。その個性がなんで秘密なのかなんてのは気にも留めず、熱ったツラを見られまいと必死で「わかった…」と答えた。

…ちっぽけだったガキの頃のくだらねぇ話だ。それでも今も尚俺は菜乃の事が好きで、アイツの為に何が出来ンのか、そればかりを考えちまう。

アイツを救う術はある。
何度も考えた。再会してすぐは間違えちまったから、今度は間違えねぇようにって何度も、何度も考えた。そしていつも同じ結論が出る。

アイツが苦しまずに済むンなら、このまま笑ってられンなら、
昔の記憶なんて、俺の存在と共に忘れてろや…。

思い出すな。
昔を_俺を_。
もう、謝るな。泣くな。

昔の事を忘れてようが、俺との事を何一つ覚えてなかろうが、
クソ腹立ってしょうがねぇけど、目ェ瞑っといてやらァッ…。

見てるこっちにまで馬鹿が移りそうになるくれぇ
てめェが幸せそうに笑ってやがるツラが

_俺は昔も、今も

__好きだ。

菜乃が退院してからはアイツには関わらねぇように努めてきた。だがどうにも気になって自然と目で追っちまう自分がいた。

体育館での自主練中に背中から花の羽を生やしていたのも、
女子共と楽しげに話す姿も、
羽を収めるとコスチュームの背中の部分が破けてやがったのも

……半分野郎と話してやがったのも、

俺の視界には全部入っていた。

他の…気に入らねぇ野郎の隣で菜乃が笑ってるのを見るのは我慢ならなかった。

俺の事は思い出させねぇ、関わンねぇ、
そう決めた筈なのに、

_菜乃の隣は…俺の居場所だ。

そう心が叫んじまってた。

菜乃が絡んでくると、どうにも自分を制御できなくなる。

俺の中では決心した後も尚、
菜乃に何も思い出させたくねぇ自分と、もう一度『勝己』と柔らかな声で呼んでほしい自分とが、葛藤していた。

ジャージを投げつけて、人一人分の距離を空けて隣に腰掛けた。

『キミはわたしを知ってるの?』

菜乃が俺を“キミ”と呼ぶのを聞くと、頭を鈍器で殴られたような感覚に陥った。
コイツは、本当に俺を_
そう思わざるを得なかった。

「ふざけた事抜かしやがって…!こちとらガキん頃からてめェを知ってンだよ…!」

絞り出すように発した声は、菜乃には届いちゃいないんだろう。聞き返そうとしてやがる菜乃に、俺は言葉を続けた。

「…っ、俺の事、何も知らねェンかよ…!」

冗談だと、全部ウソだと言って欲しかった。
長ェ夢だったと言われてもいい。

その声で…そのツラで…
咲良菜乃を構成する要素で
“キミ”だなんて気色悪ィ呼び方してンじゃねぇわクソが…!


菜乃と久々に話した事をまたしても後悔した。
俺を思い出させない、と決心した筈の心が強く揺らいだからだ。


もう一度その耳触りの良い柔らかな声で

『勝己、』と呼ばせてやりたくなった。

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