ダ・カーポ@

菜乃 side

「菜乃…。」

時計の音だけがカチ_カチ_と時を刻む室内で愛しい人がわたしの名前を呼ぶ声がする。2人並んで寝るには狭いシングルサイズのベッドで身を寄せ合っていた。

勝己は数日前にわたしの部屋に来てからというもの、毎日のように夏休みの補講訓練が終われば此処へ来てわたしを抱きしめてくれていた。何をするでもなく、涙ばかりを零すわたしを抱きしめて、何度も名前を呼んで、「ちゃんと居てやっから大丈夫だ。」と声をかけてくれていた。
幼い頃、助けてくれた日のように額に口付けを落として。

目を閉じると父の死の光景や母の言葉や視線を思い出しては怖くなって、勝己の胸に顔を埋めた。呼吸の仕方が分からなくなる事もあった。その度に彼は「ゆっくり息吸え…」と呼吸の仕方を教えてくれた。

_そんな日が何日も続いた。

勝己は何も聞かずただただわたしの傍にいてくれた。手を沢山付けたヴィランに言われた事、思い出した昔の事を話すと、何故か勝己が「悪かった…」と謝った。苦しげに謝罪の言葉を吐き出す彼にわたしは疑問を抱いて問いかけた事もある。

『ど、して…?勝己が謝るの?』
「俺のくだらねぇ意地で…てめェが何もかもを忘れちまってンのに腹ァ立てて、記憶を掘り返そうとした。忘れてる理由なんざ、考えもしねぇで自分勝手にだ…!だからてめェが苦しんでンだろーが。」
『…っ、ちがう…!そうじゃない…!わたしが、全部…壊し、た…からっ…!家族を、壊した、から…!』

そう口にするとまた涙が出てきてしまう。そうしてまた勝己がわたしを抱きしめる。何日も何日も、それを繰り返していた。



『ん……』

目を開けるといつも勝己がわたしを抱きしめてくれている。それが暖かくて、起きたばかりの一瞬は全てを忘れている。何もかもを忘れて過ごしていた数日前のように幸せな気持ちになる。
だがすぐに恐怖心や罪悪感が押し寄せてきて、彼の身体を突き放して自分の身体を自分で抱きしめる。

わたしにとっての勝己のような存在を、わたしは母から奪ったんだ。
わたしだけ全部忘れて幸せに笑ってるなんて許される筈がない。

カーテンを少しだけ開けて外を見るとほんのりと明るくなっていた。その少しだけ覗いた朝日に照らされた室内を見渡した。部屋の中の様子を見るのはいつぶりだろうか。荷解きもほとんどされてない段ボールが数個積み上がり、その段ボールの一つから土が溢れ根や枝が伸びている。その根は室内の壁中に張り巡らされていて、まるでジャングルの中に作られた小屋のようだ。

ベッドに横になる勝己の顔も久しぶりに見た気がする。
以前にはなかった目の下の隈を見て酷く胸が痛くなる。こんなにも傍にいてくれたのに、わたしは今まで気が付かなかった。…一体いつからまともに寝てないのだろう。訓練で体は疲れている筈なのに、毎日の様にここへ来てわたしを慰めてくれる。「悪かった、」とわたしに謝罪する彼は一体どんな顔をしていたの?自分の気持ちを落ち着けながら、わたしの心を救おうとする彼の心を、わたしは見ようとしてなかった。

目の下にくっきりと出来た隈に手を伸ばして、あと少しで触れそうな所で動きを止めた。

…いや、そもそも彼を最初から苦しめてるのはわたしだ。

わたしが彼を忘れていた事でも、
思い出してからも、
わたしは彼をずっと苦しめている。

わたしは、彼のことも、母のことも苦しめている。

ダメだ…傍にいちゃダメだ。大切な人が壊れていく姿なんかもう見たくない。

『苦しめてごめんなさい。…さようなら。』

わたしはそっとベッドから抜け出して部屋を後にした。


−−−−

爆豪 side

「…ゴー、…んだろ!?」

夢の中にそんな声が舞い込んできて閉じていた目を薄らと開けた。
ぼうっとした視界に映るのは真っ白の天井。…此処は菜乃の部屋だ。そうか、あのまま寝ちまってたんか。まだぼんやりとする頭でそんな事を考えているとドンドンッと部屋の扉を叩くけたたましい音が脳みそを起こしてきやがる。

うるせぇな、なんて思いながら隣を見るが、横に眠っていた筈の菜乃の姿がねぇのを見て一気に目が覚めてガバッと体を起こした。

うるさく外から叩かれる扉の外に誰かが居るとか考える余裕もなく、無我夢中で扉を開いた。ドゴッ_と何かにぶつかる鈍い音に人の声が混ざってやがった気がするが構うこともなく廊下へ飛び出した。

数歩駆けたところで後ろから強く手首を掴まれた。

「待てってバクゴー!!」

俺にそう言ったのは切島だった。その後ろにはクソデクまでいやがる。俺は掴まれた手を勢いよく振り解いて声を荒げた。

「離せやァッ!てめェらに構ってる暇ねンだよ!!」
「落ち着けってバクゴー!!」
「かっちゃん!落ち着いて!!」
「あ゛ぁ!?落ち着いてられっかよ!アイツ…菜乃が居ねェンだよ!」

振り切って走り出そうとする俺を切島とデクは両サイドから腕を捕らえて行手を阻んできやがる。

「待ってって!かっちゃんってば!話聞いて!」
「クソデクの分際で邪魔すんじゃねぇわ…!」
「かっちゃん!!その菜乃ちゃんの事で僕達は来たんだ!!」
「あ゛?」

クソデクの言葉でも、菜乃の名前を出されりゃ体は勝手に話を聞こうとデクの方に向いた。

動きの止まった俺の腕を二人は解放した。そして一呼吸置いて、デクは口を開いた。

「落ち着いて聞いて。実は菜乃ちゃん…」

デクの口から発せられた言葉に俺は目を見開いた。
…言葉は出てこなかった。

−−−−

デクと切島に連れられて来たのは病院だった。【咲良菜乃様】と書かれたプレートのかかった部屋の前に立つと、中から数人の楽しげな声が聞こえてくる。

『ふふ、みんなごめんね。心配かけて。』
「も、もー菜乃ちゃんてば心配したよー!」
「体、本当にどこも痛くありませんの?」
『うん!全然痛くないよ。』

中から菜乃の声が聞こえて、居てもたってもいられず、デクの言った言葉なんか忘れちまって勢いよく病室の扉を引いた。

クラスの奴らに囲まれたベッドの上に座っていたのは顔や腕に傷の処置の跡があるものの間違いなく菜乃で、張り詰めていたものが切れた様に安心しちまってその場に座り込んだ。

『えっ…と、大丈夫ですか…?』

そんな菜乃の声にハッとさせられて立ち上がってベッドに座って首を傾げるコイツにズカズカと近寄って胸ぐらを掴んだ。

「大丈夫かはこっちのセリフだろーが!!勝手に居なくなんなやクソが!!」

声を荒げる俺に菜乃は目を見開いた。そして視線を泳がせたあと、俺の後ろにいるであろう切島達に声をかけた。

『あ…緑谷くん、切島くん…えっと、この人は…?』

菜乃の言葉にまたしても俺は言葉を失った。胸ぐらを掴んでいた手から力が抜けて下へと落ちる。近くにいたアホ面は声を詰まらせながら菜乃に言葉をかけた。

「菜乃ちゃん何、言ってんの…?爆豪だって。そういう冗談はなしにしよ…?」
『上鳴くん…?冗談って何のこと…?』

菜乃は何が何だか分かってねぇ様子だ。冗談なんて微塵も口にしてねぇ…。

菜乃の言葉を耳にして、ようやくクソデクの野郎が寮の廊下で俺に言った事を理解できた気がした。
それがあまりにも腹立たしくて、やるせなくて…、誰に向けていいかもわかんなくなっちまったこの感情を吐き出す事も出来ず、奥歯がギリッ_と音を立てる程に強く噛んだ。

「クッ、ソが…勝手に振り出しに戻ってンじゃねぇわ…!」

少しの沈黙の後、やっとの事でそんなセリフだけを吐き出して、病室から出た。

…クソデクがここへ来る前に俺に言った事はこうだ。

「落ち着いて聞いて。実は菜乃ちゃん、今朝階段から落ちて意識を失ってたみたいで、麗日さんが音で気づいてすぐ病院に運ばれたし今は意識も戻ってる。だけど、僕が「かっちゃんを呼んでくるからね。」って声かけたら、菜乃ちゃん…『…“かっちゃん”って、だれ?』って…。他のクラスの人達との会話をしてるのを聞いた感じだと、たぶんかっちゃんの事だけ菜乃ちゃんの頭から抜け落ちてる気がするんだ。」

俺の事だけが抜け落ちてるだ、なんて話を信じられる筈がねぇ。だが、俺を見る菜乃の目はデクの言葉を肯定しているようだった。
ベッドに座って俺を見る菜乃の目は、雄英で再会をした時にも見た目だ。…知らない人間を見る目だった。

また、繰り返しじゃねぇかよ…。

記憶を戻した菜乃がこれ以上壊れていくのを見ているのも、
また俺に初めましてのツラを向ける菜乃を見るのも、
そのどちらも死ぬほど嫌だった。

自分がどうすべきか分かっているからこそ、悔しくて壁に拳を突き立てた。

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