オモイ
NO side
「なぁ、今日で何日目なんだろーな。」
寮生活が始まって数日が経った頃、共有スペースに居たクラスメイト達は、そうボソリと口にした切島に注目した。そして、「何のことか、」等聞かずとも、皆が切島の言いたい事を察していた為に視線を落とした。
八百万が何かを考えるように指を口元に当てて「菜乃さん、一体どうしてしまったのでしょうか…」と皆の疑問を口にすると、いつもは調子良さげにふざける上鳴でさえも「敵に攫われた日以来、学校来てねーもんなぁ…。」と視線を床に落としていた。
…あの日から学校へどころか、自室からも出てこない菜乃をクラスメイト全員が気にしていた。学校といっても、強化訓練の実習だ。各々、必殺技を編み出す為、エクトプラズムの分身を相手に鍛錬を積んでいたのだ。
切島はソファに座ったまま、上鳴にちらりと視線を向けた。そして目の前で両手を組んで口元を隠しながら口を開いた。
「咲良もだけどよ…、バクゴーも心ここに在らずって感じしててさ…。」
切島の弱々しく吐いた言葉に瀬呂もまた「あ、それ俺も思ってた。」と頷いた。切島は深く息を吐きながら目を閉じた。そして、苦しげに言葉を紡いだ。
「ダチなのになんて声掛けていいか分かんねぇ…。咲良の事が気になってんのはなんとなく分かんだけど、その咲良が部屋に引きこもっちまってる理由も分からねぇし…。俺らが踏み込んでいいのかさえも分かんねぇ。」
この言葉で麗日がグッと拳を握りしめて唇を強く噛んだのを、切島は気づかなかった。
「仲間が辛い時に、俺ら何も出来ねぇのかな…。」
切島が項垂れる頭を手で支えて視線を落とすと、麗日はそれまで硬く閉ざしていた口を開いた。
「あのさ…、私…菜乃ちゃんの部屋の前何回か行ったんよ。」
麗日が声を絞り出してそう言うと、皆の視線が麗日へと集まった。そして女子全員が「うん、あたしも…」と頷いて、再び視線を落とした。女子達の反応に男子達は近くにいた者と顔を見合わせて首を傾げた。顔を俯かせた麗日に、上鳴は「菜乃ちゃんがどんな様子だったか聞いてもいい?」と困ったような顔つきをして言った。上鳴のその言葉に麗日は顔を両手で覆い隠してその場にしゃがみ込んでしまった。
「う、麗日ー!?」と慌てる上鳴と、麗日に寄り添って背中をさする蛙吹。女子達が麗日の周りに集まると、その光景に男子全員が目を丸くした。
麗日は搾り出すように声を発した。
「菜乃ちゃんの様子、何もわからんかった。…声掛けるのもできんよ。」
麗日の発言に男子達は頭の上に疑問符を浮かべた。「どういうことだ?」と切島が尋ねると、麗日は言葉を続けた。
「菜乃ちゃんの部屋の前、いっつも爆豪くんがおるんよ。ずっと菜乃ちゃんの部屋のドア見つめて、名前呼んどる。菜乃ちゃん全然部屋から出てこんけど、何度も何度も名前呼んで、部屋の前で待っとるんよ。…私が声、掛けられんよ。」
崩れる麗日にさえもどう声をかけていいか分からなかった。
壊れていく二人のクラスメイトに何があったのか何も分からない歯痒さ、そして自分たちに何がしてやれるのかも分からないもどかしさ…、それらだけが皆の中に渦巻いていた。
そんな中、切島はソファからゆっくりと立ち上がった。緑谷が「切島くん?」と声を掛けると切島は口を開いた。浮かなげな顔をしていたが、その目にはハッキリと友を助けたいという強い意思を持っているようだった。
「俺…バクゴーのとこ、行ってくる。咲良に何があったのかは分かんねぇ。けど、咲良とバクゴーも互いに顔見れてねぇんならさ、今のバクゴーを咲良が見たら驚いちまうだろーから…。」
女子棟へのエレベーターへと向かう切島の後を「俺も…」と付いていこうとする上鳴を緑谷が止めた。静かに首を横に振って「切島くんに任せよう。」と言った。
皆が切島の背中を静かに見送った。
…
爆豪 side
あれから数日、菜乃は一向に部屋の扉を閉ざしたままだった。中にいるのか、飯を食ってンのかさえも分からねぇ。時折聞こえる陶器のようなものが割れる音だけを部屋の主が中にいるという便りにするしかなかった。
「菜乃…。」
この名を口にするのはもう今日は何度目だろうか。学校での演習を終えてからここへ来てどのくらい時間が経ったか…それさえも考えなくなっちまった。ただ、菜乃の部屋の扉と向かい合って廊下の端に座り込んで、その扉が開くのを…中からアイツが出てくるのを待ち続けた。
菜乃、と名前呼ぶ以外になんて声を掛けていいのかも分かんなくなっちまってた。
この二階の住民は菜乃だけ。そのおかげで自分の姿が誰の目に晒される事もなかった。だが、生活音も何も聞こえねぇ静かな時間は、外で待つ時間を余計に長く感じさせた。
そんな静かな中に今日は珍しく、足音が近づいて来る音がした。
俺のすぐ横で止まった足先に視線だけを向けてその人物のツラを見れば、そこに居たのは、苦しげに顔を歪ませた切島だった。なんてツラァしとんだ、そう言ってやりたい程だった。だが、俺よりも先に切島が口を開いた。
「バクゴー、部屋帰ろうぜ。」
…は?勝手な事言ってンじゃねぇ…。
そんな思いからまた開かずの扉へと視線を戻して、切島の言葉に拒絶の意を示した。だが、切島は腰を落として、俺の両肩を強く掴んで俺の目を見た。もちろん俺の視界にも切島が入り込む。…切島の目からは涙が溢れていた。
「お前、なんつー顔してんだよ…!クマだってスゲェし、顔も疲れてる。咲良が今のお前の顔見たら心配する。だから、な?今日は部屋帰ろうぜ…。」
なんて顔してんだ…ってそりゃこっちのセリフだわクソが…。
そう思うのに、言葉は口から出てこなかった。何日もまともに寝てねぇのと、日中の疲れも出てンのか、声を張り上げる気力もなくなっちまってたんだと思う。たくっ、こっちが言ってやりたかったセリフ言われてりゃ世話ねぇな…。
切島は涙を拭いながら言葉を続けた。
「皆んな心配してる。お前のことも咲良の事も。…俺らが心配すんだから咲良だってお前見たら心配すんだろ…。だからまず休もうぜ。そのあと咲良の事考えよ…。」
その言葉に、俺は俺の肩を掴んでいた切島の腕を強く払った。
眠れだと?落ち着いて眠れるワケがねぇだろーが。アイツをこんな事にしたのは、俺が原因かもしれねぇってのに。
「…っ、帰るンなら、てめェ一人で帰れや…!」
絞り出した言葉は震えちまっていた。
俯いて拳を握りしめる俺を前にしてこの場から去ろうともしねぇ切島に、ここからさっさと去って欲しいが為に、心の内をぶち撒けた。
「俺が、アイツの記憶蒸し返そうとしなきゃ、アイツは…菜乃はクソヴィランに何言われようが昔の事を思い出さなかったかもしれねぇ…!俺の所為でアイツが苦しんでンのに、眠れるわきゃねぇだろーが…!」
手を身体中に付けたヴィランが菜乃に何を言ったかは詳しく知らねぇ。だが、菜乃が忘れていた記憶を戻したのはほぼほぼ間違いねぇと思った。
俺が自分勝手に、忘れられてる事に腹ァ立てて躍起になっちまって、菜乃の頭の中に記憶のパーツが揃っていたからこそ簡単に思い出したンじゃねぇかって…そればかりを考えちまっていた。
もっと考えられた筈だ。
忘れている理由、忘れさせられている理由を。
だが、それを考えようともせず、俺は自己本位に思い出させようとした。
ガキの頃惚れた奴に突然姿を消された事、
「守ってやる」と自分からした約束を果たせなかった事、
俺がまたソイツに再会して止まっていたあの時間が動いた事、
ソイツが俺との事を何一つ覚えてなかった事…
その哀しみの全てが怒りへと姿を変えて、菜乃の都合なんざ考える事が出来なくなっちまっていた。
新しい時を刻めば良かったじゃねぇか、と今だからこそ思える。
アイツの父親の死について9つの時一度だけ聞いた。だが、俺は泣きじゃくりながら言葉を紡ぐ菜乃の声をまともに聞き取る事が出来なかった。そん時はただ菜乃が泣いてる事が嫌で、また落ち着いた時に聞いてやろうと、慰めて終わった。
そして次の日には菜乃は俺の前から姿を消した。
…まさか、その父親の死に菜乃自身が関わってるなんざ考えもしてなかった。
そんな嫌な記憶を思い出させたのはあのクソヴィランだ。
だが、そのきっかけを作ったのは、記憶のピースをアイツの中に集めさせたのは間違いなく、俺だ。
涙に濡れたツラを見られまいと、座り込んだまま体を丸めて膝に額を当てた。切島の声が返ってくる事はなかった。
だが、この静かな空間には確かにカチャリ_と音が響いた。その瞬間に自分の顔を隠していた事など忘れて、勢いよく顔を上げて菜乃の部屋の扉を見た。
ドアノブが一人でに回り始めた。そしてミチミチ_と何かが引きちぎられるような音と共にゆっくりと扉が開いた。扉の内側には無数の植物の根や枝が千切れた跡があるのが見える。千切れるような音はきっと扉を内から封印するように張り巡らせていた根が切れているんだろう。
扉が開き切るのを待てず、立ち上がってその扉の隙間から見えた白い手首を掴んで強く引き寄せた。
前に抱きしめた時よりもかなり細くなったその身体。
だが、俺の胸の辺りに顔が埋まる背丈や、栗色の髪色、ほのかに香る金木犀のような甘い花の匂いが紛れもなくこの腕の中にいる存在は咲良菜乃だと俺に言っているようだった。
『かつきくんの声、聞こえて…わたし…。』
声を震わせながら懐かしい呼び名をする菜乃に、やっぱり記憶が戻ったんだと心臓が抉られそうな思いだった。あんだけ、昔みてぇにそう呼ばれる事を待ってたってのに、なんだってんだよ…。クソ…。
この腕を離しちまえば、この場に崩れちまうんじゃねぇかってほどに弱りきったその身体を
_強く、強く
_抱きしめた
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