夢の中のあの人は泣いていた

菜乃 side

_「人殺し。」

これは誰の声だっけ。目を閉じると、優しい笑顔の大好きなお母さんの顔が浮かんでくる。…あぁそうだ、これはお母さんの声だ。

でも、どうしてだろう。…お母さんの声は冷たくて泣いてる。
それに、なんでそんな事を言うんだろう。

あの言葉は誰に言ったの?お兄ちゃん?それとも__




目を開けると自分の部屋の天井が視界をいっぱいにした。嫌な夢を見ていたようで、身体を起こすと全身に汗をかいていた。
なんの夢を見ていたんだっけ…。お母さんが出てきたような…?

夢というのは不思議なもので思い出そうとすればする程、記憶が薄れていくような気がする。頭の中で薄れていく夢の中の出来事を思い出す事に意味があるのかは分からない。
…夢と現実の境があやふやになってるなんてよくある話だ。悪夢にも思えたあの夢はきっとただの空想だと、そう思ってしまいたかった。

だけど何か大事な事を忘れていくような気がして、わたしは必死に夢の断片を手繰り寄せた。


のそりとベッドから起き上がり、制服に着替えた。

夏休みに入ったのに制服を着るのかって?
ヒーローを目指すものに休息はやってこない…つまり今日からヒーロー科の林間合宿なのだ。昨日のうちに纏めておいた荷物の入ったショルダーバッグを肩にかけて学校へと向かった。



クラスメイト全員が揃い、先生の話の後にバスへと乗り込んだ。順番に並ぶよう学級委員長の飯田くんに言われたが、私は彼に『体調があまり良くないから、』と言って一番後ろの席に座らせてもらうことにした。
少しだけ嘘をついた。体調は言うほど悪くなんてない。ただ、今朝見た夢の所為なのか少しだけ寝不足気味だった。合宿前のテンションが上がりきっているクラスメイト達についていけそうになかったのだ。

一番後ろの端の席に腰掛け、不足している睡眠を取り返しておこうと目を閉じるが、また変な夢を見てしまいそうで全く眠れなかった。ぼんやりと窓の外を眺めながら、どのくらいバスが走るのか、どこまで行くのか…そればかりを考えていた。…なんだって良かった。断片的にしか思い出せない夢の事など忘れてしまおうと懸命に“何か”を考えていたかったのだ。

バスが赤信号で停車すると、私の隣にドカッ_と誰かが腰掛けた。

窓の外に向けていた視線を隣の席に移した。
隣に座ったのは勝己だった。彼はおもむろにわたしの額に手を伸ばしてきて、自分の額にも当てた掌から伝う体温を比べて「熱はねンだな。」と口にした。

ただの寝不足で心配をかけてしまっている事を少しだけ申し訳なく思った。私は彼の手を掴んで降ろさせた。

『体調は大丈夫。少し寝不足で…。』
「あ?ンだよ…。ンじゃ、外ばっか見てねぇでとっとと寝てろや。たくっ…遠足前に眠れねぇガキかよてめぇは。」
『うん…、なんか落ち着いて眠れなくて…。目的地に着いたのに起こされなくてバスに放置されたらどうしようね?』

あはは、と笑うと勝己はくだらないとでも言うように「ケッ…」と吐いたかと思えば、座席の上に置いていたわたしの手に自分のを重ねてきた。

『勝己…?』

顔を覗き込んで呼びかけるが、彼はわたしの隣で目を伏せていて、呼びかけの返事などなかった。

彼のこういう所が好きだ。勝己は言葉足らずだけど、ちゃんと「隣にいてやる」って安心感をくれる人だ。

わたしが隣を歩けば歩幅を緩めてくれる
眠れないと言えばこうして指を繋げてくれる
不安で押し潰されそうな時は一緒に背負おうとしてくれる

口は悪いが、実際の彼の行動からは、わたしと同じ温度帯で居ようとしてくれるのをひしひしと感じている。

重ねられた掌から伝ってくる彼の温もりが優しくて心地が良くて、ついとろりとしてしまっていた。

−−−−

どのくらい寝ていたのだろう。バスが停車すると同時に目が覚めた。一度静まり返った車内はまた騒がしくなり、皆の遠のいていく足音だけが耳に残った。

「降りんぞ。」

起きたばかりのぼんやりとする頭に勝己の声が鮮明に響いた。ハッとして先を行く勝己について、わたしもバスを降りた。

バスから降りると二名のプロヒーローが現れた。彼女達は「ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ」という4人1組で事務所をしているヒーローだと緑谷くんが教えてくれた。彼女達から施設の場所を示され、この山一帯が所有地だと説明を受けると、クラスメイト全員が何故こんな所でバスから降ろされているのかと、現状に疑問を抱いた。嫌な予感がして「バスに戻ろう」と全員がバスに向かって駆けるが、わたし達の前に二人のうちの一人が降り立ち行手を阻んだ。彼女がニタリと笑った後、突然足場の土が盛り上がり、わたし達は崖下へと落とされた。

「私有地につき個性の使用は自由よ。今から三時間、自分の足で施設でおいでませ。」

上からそんな声を掛けられ、森の先に視線を送ると土塊で作られたような馬鹿でかい怪物を目にする。口田くんが“生き物ボイス”の個性を使って怪物を鎮めようとするが、まるで個性が効いていない様子だった。狼狽るクラスメイト達の中で四人だけは瞬時に動いてその怪物に向かっていった。
緑谷・爆豪・轟・飯田の四人だ。

四人が一体を倒している間にわたしも個性を使ってみたが、どうやらわたしの支配下にない土の塊との対話は無理なようだった。
なんとなくそうだろうとは思っていたけど、いつも味方の筈の大地が敵になるなんて少し複雑だ。

そんな複雑な気持ちを抱えつつも、次々と現れてくる土塊モンスターの足や腕を根で拘束し仲間のサポート役に徹した。

それにしても…、土ってこんなに精密に操れるものなんだ。わたしももっと上手く大地に指示が出来れば細かい動きが出来るのかも…。
と、こんな状況下で土塊モンスターの動きを観察していると背後で爆発音が響いた。

「ボサッとしてんじゃねぇ!」

振り向けば、ドゴッ_と鈍い音を立てて土塊モンスターが倒れ、それを倒したであろう勝己はまた別のモンスターの居る方へと飛んでいってしまった。

…いけない。今は目の前の敵を倒す事に集中しなきゃ。

−−−−

『つ、疲れた………』

あれからなんとか日没前までに施設に辿り着く事ができた。今日の合宿の訓練メニューは“魔獣の森”の突破で終了のようで、わたし達は夕食と入浴を済ませた所だった。入浴中には“変態の権化:峰田実”によるハプニングもあったが、施設にいた洸汰くんと呼ばれていた男の子のおかげで最悪は免れた。

「お風呂気持ち良かったね」なんて女の子達と話しながら女湯の暖簾をくぐって、部屋に戻ろうとしているとポケットに入れていたスマホの振動が身体に伝ってきた。届いたメッセージを確認して足を止めると、隣にいた梅雨ちゃんが「どうかしたの?」と首を傾げて見せた。

『あ、えっと…ちょっと夕飯食べたところに忘れ物を…。』
「……菜乃ちゃん、嘘が下手ね。」
『へ!?』

梅雨ちゃんは驚くわたしに「菜乃ちゃんのそういう所、可愛くて魅力的よ。」と言いながら近づいて来て、今度は耳元でこっそりと話をしてくれた。

「爆豪ちゃんでしょう?」
『………はい。』
「ケロ…。女の子達には私が誤魔化しておくから行ってきて。その代わり、あまり長い時間は誤魔化せないと思うわ。」

頬をほんのりと赤く染めてケロ、と笑う梅雨ちゃんには感謝しかない。わたしは梅雨ちゃんに御礼を言って、女子部屋とは反対方向に向かって歩いた。



“飯食ったとこのすぐ横、自販機。”

勝己から届いたメッセージはたったそれだけだった。来れるか来れないかの確認メールでない所が勝己らしい…。

歩いていると、遠くの角から相澤先生が曲がってきた。それを見て、わたしもあの角を曲がれば目的地だなぁと呑気な事を考えていた。

『わっ…!!!?』

突然横から伸びてきた腕に掴まれ、強く引かれたと思ったら、近くの部屋に押し込まれた。一瞬だけ声が出たが、すぐに唇を掌で覆われてそれ以上声を出す事も出来なかった。

突然と出来事に頭の中は軽くパニックで身体を暴れさせていると「暴れンじゃねぇ!」と、聞き慣れた荒い口調を耳にしてピタリと動きを止めた。
どうやらわたしを背後から羽交い締めにして口を塞いでいるのは勝己のようだ。見知った人物であることに安心して辺りを見渡すと、布団やシーツ、タオル類が沢山置いてあるのが見える。わたしが連れ込まれたのはリネン室だった。
閉ざされた扉の向こうから微かに聞こえる足音が近づいて、また遠くなるのを聞き届けると、ようやく勝己はわたしの身体の拘束を解いてくれた。そして目を吊り上げたかと思うと、こめかみの辺りを両手の拳で挟まれ力を込められた。

「てめぇの目は飾りかゴルァ…!先生に出くわして何て言い訳するつもりだったんだ?あ゛ぁッ!?」
『い、痛い痛いー!だって内緒で来いなんてどこにも…!』
「あ?分かンだろーが!…此処で待ち伏せといて良かったわクソッ…。」

言いたい事が言い終わったのか、勝己はこめかみから拳を離してくれた。そして扉を背にして腰を落とし口を開いた。

「…眠れねぇ理由、なんかあんのかよ。」

眠れ…?あぁ、バスでそんな話をしたからか。
…心配してくれて呼んだのかな…?

自惚れなのかもしれないけど、そう思うとなんだか嬉しくて自然と口の端が上がってしまった。
わたしも勝己の隣に腰を落として彼の問いかけに答えた。

『夢を見るの…。起きたらあまり覚えてなかったんだけど、怖い夢。』
「…夢が怖くて眠れねぇなんざガキかよ。」
『ふふ、言うと思った。…でもバスで勝己が手握ってくれた時は安心して眠れた。』

冗談ぽく笑って言ったが、これは本当だ。誰かが傍に居てくれる安心感なのか、また怖い夢を見てしまうという恐怖など忘れて、いつの間にかスッと堕ちていた。バスでの事を思い出すと表情は自然と緩んでしまう。それを見られまいと、身体を三角に折り曲げて顔を埋めた。

すると、またしてもわたしの掌はバスの時と同じように大きな温もりに包み込まれた。顔を上げて横に向けると、赤い瞳に捕らえられてしまう。

その瞳に吸い込まれるように身体を寄せ、どちらともなく唇を合わせた。

わたしは勝己とするどんなキスも好きだった。

しっかり味わうみたいな深いキスも
飢えた獣が食事を前にしたような荒々しいキスも…

特に、今みたいな安心感をくれる優しいキスは格段に好きだ。

このままここで眠れたら、夢の中でも貴方に会える気がするのに。
…こんな馬鹿な事を考え始める始末だ。

離して欲しくなくて、離れたくなくて、握られた掌を強く握り返した。
すると勝己はわたしの背に腕を回して抱きしめてくれた。

「…今はこれで我慢しろや。帰ったら、添い寝でもなんでも嫌という程してやらァッ…。」

心を見透かされているようでなんだか恥ずかしい気持ちよりも、全身で彼の温もりを感じる心地よさが勝っていた。

『ありがとう。』

夢の中でもこの人に会えますように_
そう願いながら勝己の胸に顔を埋めた。

この時わたしは、「あまり長い時間は誤魔化せないから…」と言っていた梅雨ちゃんの言葉などすっかり忘れていた。この後女子部屋に帰ってから女の子達からの尋問にあい、穏やかな夜を過ごせない事など想像もしてなかった。


−−−−
(一方の男子部屋)

爆豪が菜乃と分かれて男子部屋に戻ると、瀬呂は「待ってました」と言わんばかりの顔をして「爆豪と咲良ってどこまで進んでんの?」と口にした。
この発言に近くにいた上鳴もまた顔をニヤつかせながら近付いてきて「俺も聞きたーい!“かっちゃん”のあれこれ♪」とノリ気だった。二人以外の男子達もこれには興味ありげで密かに聞き耳を立てるもの、言葉は発さずとも視線だけを爆豪に向けるものと、既に就寝している飯田と轟、あと不在だった緑谷以外のクラスメイト達全員が意識を爆豪に向けた。

爆豪は眉をピクピクと動かしながら、誰が言うか、とでも言いたげに「ケッ…」と口から音を出して自分の布団へと向かった。

「いーじゃん、爆豪のかっちゃーん!ダチだろ教えろよー!減るもんじゃねぇ。」
「バスでも手ェ繋いでたのは知ってんだぞー?もしかして、お前…手しか繋いでねぇとかか?」

瀬呂の挑発とも取れる発言に「ぶち殺したろか…!」とワナワナと身体を震わせる爆豪を見て、上鳴・瀬呂の二人は更に面白がって冷やかし始める。

「瀬呂ー、そりゃねぇだろ。菜乃ちゃん可愛いし他の科の男子からも人気だしさ、爆豪が手を出さねぇワケねぇだろ?」
「だよなー、爆豪は絶対ェ好きな子の事独占したいタイプだもん。」
「上鳴も瀬呂もそんくれぇにしてやれって!バクゴーにだって内緒にしてぇ事あんだろ!」

二人の冷やかしに止めに入ったのは切島だった。
切島の発言に二人は「意外に乙女か!?」「そんなタマじゃねぇだろ!!」と笑い転げていた。

二人に背を向けて耐えていた爆豪もここまで言われて黙っているなど癪で、文句の一つでも言ってやろうと身体を振り向かせた。
丁度その時、部屋の扉が開いて、緑谷が戻ってきたのが爆豪の視界に入った。緑谷は風呂で気を失った洸汰をマンダレイの元へ連れて行き、今まで彼女と話をしていたのだ。

緑谷を視界に入れると爆豪はいつも不服そうな顔つきをする。元々気に入らない人種…というのもあったが、今は期末テスト後に緑谷が菜乃と教室内に二人きりでいた事も相まって、いつもの疎ましさにどうしようもない嫌悪感や嫉妬心が合わさっていた。

「てめェらが想像してやがる事は全部済んどるわ。」

上鳴・瀬呂の質問に対する返答の筈だった。だが、爆豪はその瞳に緑谷だけを捕らえていた。爆豪の視線の先など気にも留めない二人と違って、切島だけは爆豪の鋭い視線の先を追いかけていた。

「んえー!やっぱし!?」
「えっどんな感じなん、女とするのってやっぱ自分ですんのと違ぇの?」

皆まだ15.16の少年だ。経験のあるものの方が少ない歳なのだから経験者のそっちの話を気になって当然だ。
爆豪は不覚にも口を滑らせてしまった事を後悔していた。
言いたくなかった理由は、乙女とか云々ではなく、ただクラスの連中が自分の彼女のあれやこれやを想像し始める事が心底嫌だったのだ。

食い気味に詰め寄ってくる二人に、爆豪は突き立てた親指を下に向けて見せた。

「童貞共は寝て死ね。」

爆豪は意味不明な捨て台詞を吐くと枕に頭を落として目を閉じた。

だが、そんな事を言われて二人が黙ってられる筈もなく、顔を引き攣らせながら顔を見合わせ枕を手にして勢いよく投げつけた。

二人の手から離れた枕はボスッ_ボスッ_と鈍くそれでいて軽やかな音を立てて爆豪の頭に命中した。

「んな事言われて黙ってられねぇよなぁ?なぁ、上鳴?」
「おうよ!」

投げつけられた枕を手にして立ち上がった爆豪は、怒りで震えていた。

「てめェら…、死ぬ覚悟は出来てンだろーなァッ…!」

こうして、三人から始まった枕投げ大会は色んな所へ飛び火をし、部屋で起きていたもの全員を巻き込む事となった。

前へ 次へ

- ナノ -