一波乱

菜乃 side

あれからわたしの身体はすっかり回復して、職場体験には最終日だけ復帰をさせてもらった。

アシュラさんが事務所内の方々には上手く言ってくれていて、"救出中に怪我をしてしまった"程度にしてくれていた。まぁその頃にはニュースでもあの一件はエンデヴァーの手柄となっていたから、深く聞いてくるものなど居なかった。

何はともあれ、一応無事に終わって良かった、というところだ。

職場体験が終わった後の休日には母のところへ行ってお兄ちゃんの事を話した。母は、「そう…。」といつもとあまり変わらぬ様子で答えた。自分の気持ちを話そうとすれば「それ以上は何も言うな、」というように首を横に振って抱きしめてくれた。

「大丈夫よ、大丈夫…。貴女は悪くないの。」

そうわたしに諭す母の言葉は、まるで自分に言い聞かせているように聞こえた。

そんな事もあり、週明けの今日、学校に行くのは少し憂鬱だった。あれだけ話題になっていた人物が捕まったのだから、学校で話題にならないはずがないのだ。わたしとヒーロー殺しが兄妹関係にある事を極秘情報として扱うと言ってくれた警察署長の言葉はありがたかった。だけど、わたしはお兄ちゃんの話題が出た時に知らないフリをしていていいの?沢山の人間を傷つけたのに…。飯田くんに対しても何でもないフリをするの?

今日は学校に行きたくない…。
そんなわたしの思いも虚しく、気付けば雄英の門の前に辿り着いてしまっていた。どこかでワープゲートでも踏んでしまったんじゃないかと思うほどに早く着いたように感じた。

思い足取りで下駄箱へと向かい、靴を履き替えた。そこでため息を一つ落とすと背後から「よぉ、菜乃」と低く落ち着いた声で自分の名前を呼ばれた。振り返ってその人物にわたしも朝の挨拶を交わした。

『おはよう…しょ、焦凍くん。』

名前を呼ぶ事を許してもらっていると言っても、本当にそう呼んでもよかったのか…と少し緊張してしまう。…暫くはヒーロー名を呼んでるとでも思う事にしよう。

「…朝からため息なんか吐いてどうかしたのか?」
『ううん。なんでもないの。』
「そうか。ため息吐いたら幸せが逃げるっていうけど、実はため息は精神安定させるのに良い事みてぇだな。」
『へ、へぇ…。』

な、なんか元気付けようとしてくれてる…?
そう思うと、鉛がついたように重かった足取りは少しだけ軽くなったように感じた。…“大丈夫、この人はわたしの味方だ”、心の中でそう呟いた。

焦凍くんと話しながら教室へと向かうと、A組前の廊下は何やらザワついていた。クラスメイトだけではなく、他クラスの生徒だろうか…?ワラワラと人で溢れかえっている場所へと近づけば、廊下にいた数人の視線がわたしへと向けられた。

「あ…来た来た。あの女だ。」

その中の一人がそう言うと、向けられた視線全てがキッと鋭いものへと変わった。…良いお話があるワケではない事は一目瞭然だった。“お前に文句を言いに来た”と、言葉にせずとも充分なほどの敵視。

わたしと焦凍くんが立ち止まっていると、教室の窓から飯田くんが顔を出して、わたしに向かって口を開いた。

「あっ、咲良くん!…キミは今はここにいない方がいい。」

わたし...?

飯田くんの言葉に首を傾げていると、人だかりの中から一人の男子生徒が出てきてわたしの前に立った。

「アンタだよな?ヒーロー殺しの妹って噂になってんのって。」

“ヒーロー殺しの妹”…その単語を耳にした瞬間に自分の心臓がドクンと脈打つのがわかった。…あぁ、やっぱり今日は学校に来るべきじゃなかった。
この人たちがここに集まる理由がわたしにあるのならば、それはきっと…学校からの追放が狙いなんだろう。

男子生徒の言葉に何も答えずにいると、その男は言葉を続けた。

「あの事件の日、わかんだろ?アンタらが職場体験に行ってた時に起こった事件のこと。クラスの中で逃げ遅れた奴がいたんだよ。そこでヒーロー殺しのことを兄貴だっていう声が聞こえたんだとよ。」

まさか、あれを聞いてる人がいたのか…。

「アレってアンタだよな?そいつが見聞きした情報なんかを調べ上げてたらアンタにたどり着いたわけ。」
『…』
「菜乃、ほっといて教室入ろう。」

焦凍くんが黙っているわたしの腕を引いて教室の中に入れようと足を進めるが、目の前にいる男子生徒が開いた口を閉じる事はなかった。

「怖いよねー、ヒーロー科にも敵の卵がいるなんてなぁ。散々ヒーローの活動生命奪っといて、その家族は負い目も感じずヒーロー科に通ってんだから。」

男子生徒が言うと、周りの生徒たちも冷たい眼差しでコチラをみる。

なんで、そんな風に見るのよ。
わたしが兄を、悪を見逃したとでも言いたいの??
数日前に交戦した時を思い出すと、胸が苦しくなるし吐きそうになる。だけど、わたしがここで何を言ったって炎上しちゃうだけだ。
今はとにかく耐えろ…。胸を自分の手で押さえてそう言い聞かせた。

「あーあ、あんな奴と同じ血が流れてる奴がヒーローになろうなんて、この国は終わったな。」

わたしが必死に言いたい事を我慢しているというのに、男子生徒はそんなのお構いなしにわたしに言葉の刃を向けてくる。

「早く死刑にでもなっちまえばいいのに。」

心無い男子生徒のその言葉にわたしの我慢は限界を迎えた。

『……さい。』
「は?」
『うるさいって言ってん「君たち!!!」…い、飯田くん?』

つい怒りに任せて声を張り上げてしまったが、わたしが言葉を言い切る前に、飯田くんが声を被せてきた。
わたしへと集中していた視線は飯田くんへと集まった。もちろんわたしや焦凍くんも飯田くんを見た。すると彼は教室の窓から廊下に群がる他クラスの生徒達に向かって叫んだ。

「他クラスの前で騒ぎすぎやしないかい!?、それにだ、根拠もないのに一人を寄って集って攻撃するなど、人間としてどうかと思うが?」

わたしに突っかかっていた男子生徒は飯田くんの言い分に一瞬目を丸くするも、すぐに目つきが変わって彼を嘲笑うかのよう言葉を発した。

「は?...優等生ぶりやがって!!ヒーロー科はヒーローに相応しくもない人間を擁護するんだな、ハハッ、仲良しなこって!」
「な…!キミはなんて事を…!」
『…ふふっ、』

この緊迫した状況には不釣り合いな笑いを響かせると、この場の空気は一気に凍りついた。男子生徒はわたしを鋭く睨みつけているし、近くにいた焦凍くんや飯田くんは心配するように「…菜乃?」「咲良くん…?」と名前を呼びわたしの顔を覗き込んできていた。クラスの中も外も静まり返ったのを感じて、顔を上げてゆっくりと口を開いた。

『あーごめんね。君の方が仲良しがいっぱいいるんじゃないかな?と思ってね?』
「はぁ?」
『たかが一人の女に皮肉を言うためにこんな大勢連れてきて。...そんなに“ヒーロー殺しの妹”が怖いの?いいねお仲間がたくさんいて。」
「菜乃、落ち着け。」

隣に立っている焦凍くんがわたしを制するのも御構い無しに話を続けた。

『たしかにステインはやり方を間違えてたと思うよ。けどわたしは、彼の思想は間違って無いと思う。正しいと思う社会を願っただけで、度が過ぎたのよ。』
「…ハッ、さすが兄妹で思考も一緒ときたか!ハハッ!兄貴が敵と組んでたならコイツも敵落ちすんじゃねぇか?」
『…っ!敵と組んでなんかない!わたしは、ステインがあの怪物から人を助ける所を見たんだから…。これ以上、わたしの友達や大切な人を侮辱するなら許さない。』

ちゃんと見た。ステインが怪物に連れ攫われた緑谷くんを助けたところ…。だから違う。お兄ちゃんは悪に染まってなんかない。それをコイツに分からせたいのに、わたしが何を言ったって無駄だ。コイツがお兄ちゃんを悪人としてしか見ていないからだ。それは当然か…罪人として捕まったのだから。
それでも、無意味な事かもしれないけど、少しでも兄の名誉を守りたかったのだ。それさえも出来ない自分の不甲斐なさに情けなくなるし、同時に悔しい。わたしは拳を強く握りしめた後、目の前の男子生徒に向かって言葉を発した。

『わたしがヒーロー科にいる事が気に入らないんでしょう?…それならわたしがここから出…ングッ…!!』

わたしがここから出ていく。
口から出かかっていたその言葉は、わたしの背後から回された唇を覆う掌によって口の中に押し戻された。

「そんくれぇにしとけや。」

振り向かずともこの掌が誰のものなのかなんて分かる。
この声、喋り方…勝己だ。
その顔を見て安心したくて顔を振り向かせれば、そこにいたのは本当にわたしの知る爆豪勝己か?と疑いたくなる風貌だった。…髪型が違うのだ。ツンツンの髪の毛はペタリと全て下向きに垂れ下がっているし、前髪なんか綺麗に8:2だ。

『え…っと、勝己…?その髪型はイメチェン?』
「あ゛ぁ!?この状況でソレ気にしてる場合かよてめェはァッ!癖付いちまって戻ンねぇんだよ!!」

そう叫び上げるとボンッといつも通りの髪型に戻った。坊ちゃん勝己の登場に、今の今まで自分が立たされている状況を忘れてしまっていた。だが、廊下にいた数名が「うわ、爆豪だ…。」「体育祭一位の…。」とヒソヒソと話すのが聞こえてきて、わたしは再び目の前に立つ男子生徒を睨みつけた。そして、勝己に制されてしまった言葉を次こそ言ってやろうと息を吸い込んだ。それなのに、勝己に強く腕を引かれ、わたしの体は彼の背中の後ろへと隠された。

『ちょっとかつっ「朝から人のクラスの前でウダウダとウゼェ…!向こうの廊下まで聞こえてンだよ…!」…。』

勝己はわたしの方など一切向かず、男子生徒の方向を向いて更に言葉を続けた。

「てめェらがこの女の何を知ってンだよ。事情も何も知らねぇ奴が突っかかってンじゃねぇよモブ共が。今すぐ失せろ。んでもって、二度とコイツの前に現れンじゃねぇ…!」
「いきなり話入って来てなんなんだよお前。俺はお前の後ろにいる女に用があんの。部外者は引っ込んでろよ。」
「俺のモンに俺の許可なく用事作ってンなや、殺すぞ。」
『ちょっと、勝己ってば…!』

滅茶苦茶な事を言う勝己を今度はわたしが止めようと、腕を掴んだ。
あぁもう、この状況どうしよう…。いつの間にか、男子生徒は勝己の事しか視界に入れてないし、早くこの騒ぎをどうにかしないとホームルームも始まってしまう。つい先程まで自分が我を忘れて喧嘩を買っていた事など棚に上げて、わたしは勝己を止めようと必死だった。

すると、わたしの横に立っていた焦凍くんが一歩前に出て、勝己と並んで立った。

「お前らに…」

この険悪な空気の中、そう切り出したのは焦凍くんで、怒りを噛み殺すように紡がれたその言葉に場は静まり返った。

「お前らに、分かんのかよ。」
『焦凍くん……?』
「分かんのかよ。涙を流しながら、ヒーロー殺し:ステインと戦ったコイツの気持ちが…。コイツは見逃してなんかいねぇだろ。…悲しみを押し殺して戦うなんて、お前らに出来んのかよ。」

焦凍くんが言ってくれた言葉に、気付けば自分の瞳から涙が溢れそうになった。わたしは、目の前に立つ二つの大きな背中に隠れて目に溜まった涙をそっと拭った。

視線を下へと落としていると、パシッと手首を掴まれて後ろ側へと強く引かれた。顔を上げると、勝己がわたしの手首を掴んで前を歩いていたのだ。涙が溢れないよう堪える事で精一杯だった為に、言葉を上手く発する事ができず、わたしは大人しく勝己の後ろを付いて歩いた。

「オイ、メガネ…ここ収めとけや。」
「え?あ、あぁ…爆豪くん、君はどこへ…?」
「…コイツの頭冷やしてくる。」



勝己に連れられ、着いた先は屋上だった。わたしはとりあえずあの場から連れ出してくれた事への御礼を言った。すると勝己は眉間に皺を寄せ、ジッとわたしの顔を睨むように見た。そして、わたしの身体を強く抱きしめてくれた。

「泣きてェなら泣けや。」
『…泣いてるわたし、面倒だって聞いた。』
「…メソメソすんの我慢してるよかマシだっつたろーが。」

なんでこんなに優しいんだろう。でも、勝己に甘えてばっかりじゃダメだ。強くならないと。…そう思っても、今はもう涙を堪えるなんて出来そうもなくて、勝己の体を押し返して『背中だけ貸してくれたらいいから。』と言った。この時、すでにわたしの声は震えていて目からは涙が溢れてしまっていたんだと思う。

勝己はわたしが押し返している手を下ろさせ、もう一度わたしの背に腕を回して強く抱きしめた。ピタリとくっついた状態で上から低い声が降ってくる。

「俺の背中で隠れて泣こうなんて許すわきゃねぇだろ。」
『…っ、』
「俺のモンだっつたろ…。てめェの“苦しい”も“悲しい”も全部だ。てめェの抱えるモン全部、俺のモンだ。」
『…っ、ジャイアンよりも、すごい事言ってる…。でも、今学校だし、こんないちゃついてるみたい現場を誰かに見られるの恥ずかしいから…やっぱり背中を貸して、欲しい。後ろ姿でわたしってバレそうだし…。』
「チッ…たくっ…、しゃーねぇな」

そう言って勝己はわたしを腕から解放した。背中を向けてもらえると思って待っていたのに、何やら布の擦れる音がした後、バサっと大きな音がして、わたしの頭に大きな布が掛けられた。顔を上げれば、雄英のブレザーを脱いだ白いワイシャツ姿の勝己が視界に入った。つまり、わたしの頭に掛けられた布は、彼のブレザーだということだろうか…?

『なに…わっ…!』

彼はわたしの背に再び腕を回し、わたしの体を強く引いた。そしてわたしの体は彼のその逞しい腕の中に再び閉じ込められた。

「オラ、これなら後ろ姿でてめェだって分かりゃしねぇだろ。隠してやってんだから、諦めてここで泣き喚いとけや。」

上から降ってくる言葉に距離をとって反論しようにも、わたしの体に回された腕は先程よりも力強くて、押し返すなんて出来なかった。
彼のこの優しさがずるいし惹かれてしまう。何も聞かずわたしを受け入れて、一緒に抱え込もうとしてくれるこの人の事が、わたしは堪らなく好きだ…。


またしてもわたしは彼の優しい温もりに縋り付いて涙を流した_

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