「あるよ、わたしにも」

菜乃 side

日曜日_

朝起きて、朝食をとりながらテレビを付ける。ここ最近のニュースの見出しは【ヒーロー殺し、またも現る】みたいなのばかりだ。外は雲ひとつない良い天気だというのに、テレビから「ヒーロー殺し」という名を聞くだけで心の中はどんよりと黒い雲がかかったみたいになる。付けたばかりのテレビの電源を切って時計を確認すると、そろそろ出発しなければならない時間だった。

約束、遅れちゃうな。

わたしは急いで身支度を整えアパートを出た。



『お待たせ…!』
「咲良…息切らして、大丈夫か?」

今日は数日前に約束をした通り、轟くんとお花選びに来たのだ。約束していた時間ギリギリだったこともあり、お花屋さんの前まで全速力で走った。スカートにしなくて良かった。…この間の痴漢の件以来、スカートを履く事を躊躇してしまう。ここまで来るには電車に乗らなきゃだし…。パンツスタイルにしたおかげで電車はまぁクリアできたし、ここまで思いっきり走ることができた。うん、スカートでなくて良かった。

『入ろうか。』と声をかけてお花屋さんに轟くんと入り、店内に並べられた花を見て回った。そして、青いリンドウの前に立って『冷さん、このお花好きって言ってた。』とわたしが伝えると、轟くんは「じゃあそれにする。」と言った。あまりにも素直にわたしの言葉を聞き入れる轟くんをじぃっと凝視すれば、彼は優しくその花を見て表情を和らげていた。

『そっちの方が話しかけやすいよ。うん。』
「?そっち…?」
『うん、体育祭前の轟くんの顔は怖かったから、なんか話しかけ辛くて。』
「…そうか。ビビらせてたんだな。悪ィ…。」

本気で悪いと思っている表情に思わずふふ、と笑ってしまった。

状態の良さそうなお花を選び、それをお店の人にラッピングをしてもらっている間、わたしもお母さんへのお見舞いのお花を選んだ。



二人してラッピングされた花束を手に持って病院へと歩いていると、周りから視線を感じ始めた。不思議とコソコソと話している声ほどよく拾ってしまうもので、「あの男の子かっこいいねぇ。」や「カップルかなぁ?青春いいわねぇ」とかそんな内容だった。轟くんはやはり目立つ…。先ほどから聞こえるヒソヒソ声は女性のものばかりだし、すれ違う女性のほとんどが彼の容姿に視線を奪われている。

イケメンだし、髪色もだし…あと、……痛々しい火傷の跡も。

『轟くん、それ…』
「着いた。」

轟くんの声にハッとして前を見れば、わたし達は病院の前に立っていた。「何か言いかけたか?」と首を傾げる彼に、わたしは静かに首を横に振って『ううん、なんでもない。』と出かかっていた言葉を飲み込んだ。

…聞かれたくない事だったら悪いもんね。

わたし達は『それじゃあまた、』と言って、わたしはお母さんのところへ、轟くんは冷さんのところへと、それぞれ別の病室へと向かった。

わたしは母に学校でのことを話したり、明日からは職場体験に行くことを話した。母は、「そう、」と笑って聞いてくれてはいるが、その笑顔はどこか引き攣っているようにも見える。そしてある程度話を終えて、部屋を出ようとすると、今までずっと聞き役だった母が、本日初めて話し手へと転じた。

「菜乃、…ニュースは見てる?」

たったそれだけの質問でその質問の意図が分かるんだから親子だな、なんて思う。わたしはその質問に『ちゃんと見てる。心配しないで、何ともないから。』と返して病室を後にした。

ニュース、ねぇ……。

ヴヴッ_

病室をでた所でポケットに入れていたスマホが震えた。画面を見ると、メッセージアプリの通知だった。

-爆豪勝己-
'何してんだ'

彼の連絡先は先週家まで送り届けてもらった際に半ば強引に交換をさせられたのだ。「何か起こる前に連絡しろ。」と滅茶苦茶な事を言われながら…。
スマホに表示された名前を見ただけで、心臓が跳ね上がるんだからどうにかしたい。わたしがこの人にどれだけ惹かれようとも、この間の彼の発言を思い出すと胸が抉られる。
過去のわたしを求める勝己と今の勝己に惹かれているわたしとでは、見ている相手が違いすぎる。どうしたら勝己は今のわたしを見てくれるの?わたしが昔を思い出せばスタートするの?ダメだ、わかんない。

考え出したらキリがないし、辞めだ、と言い聞かせて今届いたメッセージに返信の文字を打ち込んだ。

'お母さんのお見舞いで病院に来てる。'

送信するとすぐに既読の文字がついて、瞬時に画面は着信を知らせる表示へと切り替わった。

スマホを耳に当て『もしもし、』と言ったとほぼ同時に、背後から「咲良…。」とわたしを呼ぶ声がした。その声に反応してか、スマホの向こう側からは「あ?」と訝しげな声が聞こえる。振り返ればわたしの背後には轟くんが居た。

『あ、轟くん……。勝己、ちょっと待ってね。』

そう言ってスマホを耳から下ろすが、スピーカーでもないのにスマホからは勝己の狂ったような怒鳴り声が漏れ出していた。それを聞いて轟くんは「俺は後でいいから、先に出てやってくれ。」とわたしのスマホを指差した。わたしはごめんね、とジェスチャーをして再びスマホを耳に当てた。

『勝己、落ち着いて。…なに?』
「…ンで半分野郎がてめェと居ンだよ!見舞いじゃねぇンかよ!」
『轟くんのお母さんも同じ病院に入院してるの。それで一緒になって。それより何か用事?』
「……どこの病院だ。」
『え?』
「どこの病院か言えっつってんだよ!」

えぇ…。本当になに。答えなきゃ絶対更に怒るだろうな…。
そう思って『△△病院』と答えた。勝己が「そこで待ってろ。」と言ったのを最後に通話は途切れた。

破天荒な人だ。なんでわたしこの人に惹かれたんだっけ?と自問自答したくなる程だ。

深くため息を落としていると、「大丈夫か?」と轟くんが声をかけてくれた。

『あ…うん。大丈夫。それよりわたしに何か用事があった?』
「いや、花選ぶの付き合わせたから、お前を送ろうとしたんだが、爆豪が来るのか?…電話の相手、爆豪だよな?」
『うん、爆豪勝己。…待ってろって言ってたからたぶんそう。』

わたしが困ったように笑うと、轟くんは「気をつけて帰れよ。」と和らげた表情で言って去ってしまった。

勝己にはその後何通かメッセージを送ったが、返事が返ってくる事もなく、わたしは大人しく勝己が来るのを待つことにした。病院の正面玄関横に設置してある長椅子に腰掛け自分の足元をぼんやりと眺める。

『スカート、履いてくれば良かった。』

パンツスタイルを目にして無意識にもそんな言葉がポロッと口から出てしまった。

−−−−

あれから30分もすれば勝己は本当に病院まで来てくれた。
自分から率先してここに来てくれた割に機嫌が悪そうな事に困っているというのもあるが、休日に好きな人に会えたドキドキと、モヤモヤの両方が心に湧いてきて戸惑っていた。
当たり前のように「帰ンぞ。」と言う彼に対して、それを拒否する事も、頷く事も出来ずわたしは視線を落として口を開いた。

『なんで来たの。』
「こっから帰るにゃ電車乗ンだろーが。あんな事あった後じゃ一人でなんか気色悪くて落ち着いて乗ってらんねェだろ。…半分野郎と一緒に居ンのもムカついた。」
『…それだけの為にわざわざ来てくれたの?』
「……悪ィかよ。」

あぁこれだ。わたしが彼に惹かれるのはこういうところだと思う。
…乱暴な言葉に隠れた不器用な優しさ。爆豪勝己という人間を知れば知るほど、自分の心が“この人の心が欲しい”と欲深くなっていく気がする。

『過去のわたしにしか興味ないクセに、今のわたしに優しくしないでよ…。』

思ったことは口から出ていた。耳に届いた自分の声や言葉に驚いて掌で口を覆った時にはもう遅かった。わたしの言葉は勝己の耳にも届いてて、彼は「あ?」と低く声を出して、鋭い赤い瞳でわたしを見た。

そして唇を覆うわたしの掌をパシッと払いのけて、代わりに勝己の右掌が両頬を強く掴んだ。おかげで唇は鳥のクチバシのように突き出してしまう形になった。目の前の彼は意地悪く笑うでもなく、変な顔になってるわたしを見て揶揄うでもなく、真っ直ぐわたしをその瞳に映して口を開いた。

「面倒臭ェ事考えるよな、てめェは。…逆に聞くけどよォ、興味がねぇ奴の為に俺がここまで来るとでも思っとんのか。」
『それは…、』
「体育祭の時の強ェてめェも、俺に縋り付く弱ェ部分も、ちゃんと見て言ってンだよクソ…。」
『…』
「それに下心なんか、ガキん頃のてめェに湧いてっかよ…!俺は間違いなく今の咲良菜乃に伝えてんだろ。…いちいち説明させんなやウゼェ…!」

勝己はそう吐き捨てるとわたしの腕を強く引いて歩き出してしまう。



帰路は無言だった。ちゃんと話したいのにどう切り出すべきかに悩んでなかなか話しかけられずにいたのだ。気づけば電車を降りて、アパートの前に着いてしまっていた。「じゃあな、」と言って勝己がわたしに背を向けた時、咄嗟に『待って…!』と彼を引き留めた。だが、考えなしの行動だった為に続きの言葉が出てこない。
もう少し一緒にいたいし、話もしたい…。
そんな思いから『家、上がって行かない?』と提案をした。

わたしの提案に勝己は俯いて頭を掻きながら「チッ、」と舌を鳴らした。

『お、送ってくれた御礼にお茶で、も…?』

そう言うと、彼は詰め寄ってきて、わたしの体をアパートの外壁へと縫い付けた。そしてわたしを見下ろして口を開いた。

「バカなてめェに忠告しといてやらァ。」
『忠告?…ところで勝己、この体勢は一体なに?』
「男ってのは、好きな女の家になんてあげられりゃ、そんだけでバカみてぇに浮かれた妄想して、期待しちまう生きモンなんだよ。」
『…それって、』
「下心あるっつっとんだろーが…。喰われたくなきゃとっとと一人で部屋帰れや。」

勝己は「ケッ…」と吐いてわたしから距離をとった。

“好き”の二文字が堪らなく嬉しくて、恥ずかしくて、顔に熱が溜まって耳まで熱くなっていってしまう。

わたしもちゃんと伝えたい。

そう思って、わたしは咄嗟に勝己の腕を強く掴んでもう一度引き留め、唖然とする彼をしっかりと視界に入れた。そして勢い任せに言葉を発した。

『わたしにもあるよ、下心、ってやつ…。だから喰われても大丈、夫…デス…。』

自分の口から出たあまりにも大胆なセリフにだんだんと羞恥が勝ってきて、語尾の方の声はほとんど消えてしまっていた。彼もまたわたしの発言に驚いているのか、瞳孔を開いたまま言葉を失っているようだった。

恥ずかしくて下を向くと、突然体は優しい温もりに包まれる。そして上から言葉を落とされた。

「“今のなし”は聞かねェからな。」

わたしは勝己の胸に顔を埋めたまま、首を縦に振った。

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