そこに下心があるか

菜乃 side

休み明けの火曜日_

学校へと着いて自分の席に腰を落として鞄から荷物を出していると、「デクくん、飯田くんおはよー!」というお茶子ちゃんの明るい声が聞こえた。

その声で顔を上げ、教室の扉の方に視線をやると、緑谷くんと飯田くんが教室内に入ってきたところだった。わたしは、緑谷くんの元へと駆け寄り『おはよう。』と声をかけた。

「あ、菜乃ちゃ…いや咲良さんおはよう…!」
『…菜乃でいいよ?忘れちゃってるわたしが悪いし…。』

ハハ、と笑って言うと、緑谷くんは照れくさそうに「ごめんね、菜乃ちゃんは菜乃ちゃんだからつい…」と笑い返してくれた。その笑顔は勝己の家で見た、写真の中にいた小さな緑谷くんと同じだと思った。確かに存在する過去の筈なのに、彼の笑顔を見ても懐かしさを覚えないのだから妙な感じだ。

まだわたしは緑谷くんとの思い出を垣間見た事がない。勝己の家で、わたしの記憶にない"思い出"を見て、過去の自分も、緑谷くん達とのことも知りたくなった。

『あの、さ…今週末、予定空いてるかな?』
「週末?うん、何も予定はないよ。」
『それなら、緑谷くんのお家お邪魔しちゃだめかな?』
「ぼ、僕の家に!?」

あからさまに動揺する緑谷くんに『アルバムを見せて欲しいの。』と言えば、彼は目を丸くして「アルバム?」と首を傾げた。そして何か考える素振りをしてブツブツと言葉を発し始めた。

「確かに記憶がないなら写真を見たら何か思い出すかもしれない。あー、でも菜乃ちゃんがうちにくるなんて何年ぶりだろう。お母さんも菜乃ちゃんが来るって言ったら喜ぶだろうし…………」

長い独り言をひたすら呪文のように唱える彼に『緑谷くん?』と呼びかけると、彼はハッとして「あぁっ、ご、ごめん!…いや家は、うん!いいよ!是非!」と承諾してくれた。ありがとう、と言おうとすると「てめェら、」と低い声が強く耳に響いた。

その声にわたしは心臓を跳ねさせてしまった。
同時に恥ずかしくなって下を向いた

この声は勝己だ。
声を聞いただけで、一昨日の出来事を思い出して、心臓は脈を早めて収まることを知らない。
一昨日、自らもヒーローを目指しているというのに、痴漢に遭って彼に縋り付いてしまった事が情けなく感じたというのもあるが、あの夕焼けの帰り道での出来事もわたしの顔に熱を溜めていく原因の一つだった。勝己としては、わたしが何か思い出せるように過去の記憶を辿っただけだろう。…だけど、わたしは彼の行動に、馬鹿みたいにドキドキした。その後に差し出された掌を取るのが当たり前のように、自分へと伸びてきた掌に無意識に自分のを重ねた。わたしの手を包み込む彼の掌は紛れもなく男の人のもので、ガッシリとしていた。それなのにわたしの瞳には何故か小さな少年の掌の幻覚を映し出していた。
思えばUSJの時も勝己越しに小さな男の子の幻覚を見た気がする。…これはきっとわたしの眠っている記憶の一部なんだろう。

「てめぇがボサっとしてっから変態野郎のカモにされんだよ。」
乱暴な言葉の裏側にはいつも優しさがある。勝己は繋いだわたしの手を離す事なく、電車の中でも繋いでくれて、わたしの左手が自由になったのはアパートに着いた頃だった。爆豪勝己という人間を知っていく度に、わたしの心臓はドクリ、と大きく音を立てる。


「教室の出入り口でダラダラくっちゃべってンじゃねぇわカス共!!!」

そんな勝己の怒号でハッと我に返った。わたしと緑谷くんが道を開けると、勝己は通り過ぎ様に「オイ、クソ菜乃、」とわたしの名を呼んだ。彼の方を見れば、わたしに背を向けたまま、足を止めて低く言葉を発した。

「昼、いつもん所おれや。…来なけりゃ殺す。」

それだけ吐き捨てて彼は自分の席へと向かった。

約束の仕方が強引とか、むしろ脅迫だな、とかそんなのどうでも良くて、ただ、「菜乃」と名前を呼ばれた事に驚いていた。ボーッとしていると、お茶子ちゃんから「菜乃ちゃん?」と呼ばれた事で意識を現実に戻し、わたしは自分の席へと戻った。

席へと着くと、担任の相澤先生が入ってきてホームルームが始まる。すっかり包帯が取れて完治した様子だ。先生は教壇に立つと、徐ろに口を開き「君らには職場体験に行ってもらう。」と言った。そして黒板にヒーローからもらった指名数の順位を出した。そしてミッドナイト先生の指導の元、ヒーロー名を考案するよう課題を出したのだ。

ヒーロー名…。
ヒーローを目指すものなら誰だって一度は考えるだろう。わたしも勿論自分がヒーローになったら…と名前を考えてはいた。わたしの個性は【大地操作】だ。だが、【操作】、【対話】…そんな言葉よりも【支配】という言葉がしっくりきた。

わたしはボードに"グランロール"という名を書いてクラスメイトの前に出した。
"大地はわたしの支配下にある。だから地上では誰にも負けない"
このヒーロー名に、そんな意志を込めた。

−−−−

ヒーロー名考案の授業が終わると、先生からは自分を指名してくれたヒーロー達のリストをもらった。わたしにきた指名数はなんと50件もあった。休憩時間にリストを上から流し見る。

よくわからないヒーロー事務所が多いな、なんて思いながら眺めているとあるヒーロー事務所名で視線が止まった。

"エンデヴァーヒーロー事務所"

そういえば、体育祭の日にすれ違いざまに声をかけられたんだっけ…。あれはなんだったんだろうか。この指名も何かの手違いだろうか。そう考えていると、「咲良」と落ち着いた低い声で名前を呼ばれた。

顔を上げれば、わたしの机の前には轟くんが立っていた。

『轟くん、どうかした?』
「日曜日空いてたらお母さんのお見舞いの花を見てほしいんだが、空いてるか?」

一昨日、一緒にお花を選ぶと約束したんだった。わたしは今朝、緑谷くんと週末の約束をした事が気になって、轟くんに『予定調整するから、また返事するね。』と保留にさせてもらった。
緑谷くんとの予定を土曜日に出来たら、冷さんのお花選べるかな…。

後で緑谷くんに相談する事にして、脳内で土日の予定を立てていた。


-昼休み-

午前の授業を終えた後、わたしは約束とは言い難い勝己の言葉通り、いつもの校舎裏の木の下に来ていた。いつものように木と話をしていると勝己は遅れてやってきた。そして彼もまたいつも通り木に背を預けわたしの隣に腰を下ろした。

『わたしに話でもあるの?』
「…」
『かつk「デクんち」…へ?…緑谷くんがどうかしたの?』

首を傾げて勝己を見ると、眉間には皺を寄せてあまり機嫌は良くなさそうだ。クラスで様子を見ていると分かるが、勝己は緑谷くんの事を嫌っているようだ。緑谷くんは勝己を毛嫌いしているようには見えないから変な感じがしてしまう。…まぁ、幼馴染だからといって仲良しとも限らないという事だろうか?
勝己は少し間を置いて言葉を続けた。

「行ったら殺す。」

…はい?

朝の話を聞いていたのか、勝己はわたしにそう言った。
彼の言葉にさすがに『わかりました。』と返事は出来ない。何様のつもりだろうか。わたしの予定を決める権利が自分にあるとでも思ってるの?ムッとしながらも『どうしてそう言うの?』と問えば、勝己は今度は間を開けず答えた。

「デクだけは駄目だ、絶対ェにだ!」
『それでわたしが分かったって勝己に従うとでも?』

わたしも少しだけ声を荒げて言い返すと、勝己はズイッと顔を近づけてきた。

え…?

突然の事に驚いて声も出せなかった。互いの鼻先があと数センチで触れてしまうような距離の近さに心臓は大きく跳ね上がり、呼吸も一瞬止めてしまう。

『あ、の…!』
「こんなのもかわせねェンなら、男の家に行くンは辞めとけや。」
『…み、緑谷くんの家は、アルバム見せてもらうだけ…!こんなこと…!』
「あ?男ってのは女を家に連れ込む時点で下心しかねぇわ。…クソデクだって一緒だわ。」

連れ込むって……。それに、自分だって一昨日わたしを家にあげたクセに…。
そう言いたかったが、"一昨日"というキーワードであの夕焼けの中での光景がわたしの脳裏に蘇り、また顔に熱を溜めていく。こんな至近距離で顔を見られるのが恥ずかしくて距離を取ろうとすると、彼の親指から中指の三本の指で両頬を挟まれて、わたしは逃げ場をなくした。

「今、この間の俺はどうなんだって思ったろ。」

まるでわたしの心を見透かしたかのように嘲笑って言い当ててくるものだから、羞恥の情に駆られ勝己の指に触れられている頬から耳まで熱くなっていくのを感じた。
目を逸らしたいのに、意地悪く笑っている彼から目が離せなくて、心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかってくらいにうるさく鳴っていた。

身体中に響く心臓の音を静めたいのに、それを許さないと言わんばかりに、勝己は更に顔を近付いてきて、わたしは咄嗟に目を強く閉じた。

…唇を奪われるかと思った。

しかし唇が触れ合う感覚はやってこず、その代わりに一昨日と同じように額に柔らかい感触が降ってきた。
ゆっくりと目を開けると、今度は耳元に唇を寄せられ息がかかる。

「下心があっから、ンな事しとんだろーがアホ。」

ここにはわたし達しか居ないというのに、内緒話でもするみたいに小さく低い声で紡がれた言葉は、あまりにも擽ったくてわたしの鼓動の音を速めるばかりだった。

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