頬を紅く染めるのは夕焼け

爆豪 side

体育祭の翌日の休校日。昼過ぎに目が覚めて昨日オールマイトから無理やりかけられた優勝メダルを見ると、納得のいかねぇ優勝に苛立ちが込み上げてきて家の中で叫び上げていた。クソババァから「家でうるさくしないで!気晴らしにでも外に出てなさい!」とガミガミと説教をされた。その説教を聞くのも面倒で、気持ちが晴れないのも事実で、結局言われるがままに適当に出歩く事にした。

モールに入っているスポーツ用品店に行き、趣味の一つでもある登山のグッズなんかを物色する。家を出てから1-2時間ほど経てば、ある程度頭はスッキリしてきて、帰路に着いた。

帰りの満員電車に揺られ、家の最寄駅で降りようとすれば、『降ります…!』と聞き慣れた声がして、辺りを見渡せば自分のすぐ近くに想像通りの女の顔が見えた。俺は、考えるまでもなくソイツに近づいて腕を掴んで電車の外へと連れ出した。

菜乃…まさか休日にこの女と会うなんざ思ってなかった。声を聞いてほぼ反射的に腕を引っ掴んで電車の外に出したものの、なんと声をかけるべきか分からねぇ…。

顔を顰めていると、ふと、掴んだ掌から震えが伝ってくるのを感じ取った。菜乃を見れば顔を俯かせたまま小さく肩を震わせていた。

「なにガタガタ震えとんだ。」

俺がそう声をかけると菜乃は、顔を上げて俺と視線をぶつからせた。その瞳には薄らと涙を浮かべているようにも見えた。…聞けば、電車内で痴漢に遭っていたと言いやがる。俺に話し終えた菜乃は未だに小刻みに震えている体を強制的に止めるように自分を強く抱きしめた。

…昨日ステージ上で戦った女とは別人だった。だが、今目の前にいるこの女は幼い頃の菜乃の姿と重なる。…間違いなく俺の知る咲良菜乃だった。

俺は、またしても頭で考えるよりも先に体が動いちまって、さもそうするのが当たり前かのように菜乃の頭を自分の体へと引き寄せた。

ガキの頃から…コイツが俺の前から消えたあの日から、止まっていた時間が動き出したかのように自身の心臓はトク、トク_と音を立て始めた。
あぁ、そうか俺はこの女に…

「勝己…?」
「!」

背後から聞こえた声に不覚にも肩を跳ねさせちまった。
自分の名を呼ぶ声を耳にしただけで俺の頭の中には一人の人物の顔が浮かび上がった。この状況は死んでも見られるワケにはいかねぇ…咄嗟にそう思って、菜乃の体を自分の背に隠し声の主の方へと体を回した。
…視界に入ったのは想像通りの人物だった。…クソババァ(母親)だ。

買い物に行った後だと言わんばかりにスーパーの袋を下げ、俺に近づいてくれば、俺の後ろへと視線をやり「後ろの子は?」と首を傾げる。俺の母親の声に菜乃が俺から体をずらして『こ、こんにちは。』と頭を下げればババァは「あれ…もしかして菜乃、ちゃん…?」と菜乃の反応を伺うように問いかけた。

『…?え、と…はい。咲良菜乃です。』
「やっぱりー!久しぶりねぇ!いきなり引っ越しちゃったからおばさんびっくりしてたの!あ、それより勝己と一緒なんて、いつの間に二人はそういう仲なの!?」

ババァは俺を押し退け菜乃にずいっと近寄り興奮気味に捲し立てた。菜乃はといえば、『あ…えっ、と…?』と完全に圧倒されてやがる。

死んでも見られたくなかった理由…それは、ババァの反応が死ぬほど面倒だからだ。

−−−−

「あ、菜乃ちゃんこれ見てー!」
『これ、は…?』

場所を移動して、現在菜乃とババァはうちのリビングのテーブルの前に座り込んで話をしていた。テーブルの上に"ALBUM"と書かれた数冊の分厚い冊子を広げて…。

こんな事になったのは、ガキの頃の記憶がねぇ菜乃の事など知る由もなく、駅のホームで勝手に盛り上がるクソババァに現状を話せば、「あ、じゃあうちに来てアルバム見ようよ!そしたら何か思い出すかもよ!」と、菜乃の返事など聞きもせず家へと連れて来たってワケだ。

初めて写真を見た時、菜乃は当たり前に驚いてやがった。自分の記憶にねぇ"過去"が目の前に飛び込んできて『わたし、本当に勝己と幼馴染だったんだ…』と複雑そうな顔をして言うコイツを、俺はソファの上から眺めていた。

次々とページを捲り、俺と菜乃、時にはデクの野郎も一緒に写っている写真が出てくる度にババァからの説明が入る。その作業はアルバム一冊を終え、ニ冊目に入っていた。
テーブルに置かれた数冊のアルバムを見てまさか全部見せる気じゃねぇだろーな…なんて事を思いながら「チッ…」と舌を鳴らした。すると、それとほぼ同時に菜乃は『へ…!?』と短く声を上げた。

その声で菜乃の視線の先にある写真を見れば、そこには幼き頃の俺と菜乃が写っていた。しかも俺が菜乃の額にキスをしていた。

「な…!?」

咄嗟に菜乃が見ていたアルバムを奪ってやろうとソファの背もたれから体を剥がして身を乗り出すが、ババァの腕によって阻まれた。

「今まで黙ってた人は黙ってて!!」
「るせぇクソババァ!!何そんな写真まで残してンだ!!」
「ババァ言うなっつってんでしょ!それに写真撮ったのはアタシ。煮るも焼くも大事にするもアタシの自由なの。」
「クッソがァアッ…!」

その言葉に言い返す事も出来ず俺は諦めてリビングから退散して自分の部屋へと行き、閉めたばかりの扉に背を預けた。そしてその場に座り込み頭を掻きながらフローリングの木目を見つめた。

あークソ、今頃クソ菜乃はババァから有る事無い事吹こまれてンな。

…あの写真の日の出来事は今でも覚えている。
幼稚園で運動会があった日だ。"かけっこ"の最中にすっ転んだ菜乃はゴールを目指す事を諦めその場に蹲って泣き始めた。情けねぇにも程がある。そう思った筈なのに、既にゴール後の列に並んでいた俺は菜乃の元に駆け寄っていて、シクシクと泣くアイツの額にキスをしその砂まみれの掌を取ってゴールまで走った。なんでそんな事をしたか…なんてのは、言うまでもなくガキの頃の俺がアイツに惚れていたからだ。自分が助けたい、菜乃にとってのヒーローでありたい…っつう、今思えばくだらねぇ自己満足からの行動だ。

「しっかり惚れさせといて、忘れてンなやクソが…」

思った事は口から出ちまっていた。
自分らしくもないこの呟きは間違いなく本音で、弱々しい自分の声が一人のこの空間に虚しく響いた。

しばらく座り込んでいると、ババァが「勝己ー!」と俺を呼ぶ声が聞こえた。盛大に息を吐いて、部屋から出てリビングへと戻れば、アルバムを見終わったであろう菜乃は帰り支度を終えて立っていた。

「勝己、アンタ菜乃ちゃんの事送ってあげなさいよ。外が暗くなる前にね。」
「……」
『あ、いえ…いいんです一人で帰れるので。』
「…早よ靴履けや。」
『え…勝己、いいよ一人で帰「ウダウダ言ってねぇでさっさと靴履けやァッ…!」…ど、怒鳴らないで…分かったから…。』

痴漢に遭った後っつうのに一人で帰らせられっかよ…。

−−−−

菜乃を送り届ける帰路は夕焼け色に染まっていた。うちに来る時の道が日の光に照らされていた事を思うと、だいぶ長ぇこと引き止めちまっていたな、なんて思う。俺の隣を歩くこの女はさっきから無言だ。ちらりと顔を盗み見れば、浮かねぇ顔をしてやがった。
俺の隣でそんな顔をする事が気に入らない。ガキの頃みてぇにうるさく『勝己くん!』と馬鹿みてぇに笑っとれや…。

「なんか、思い出したかよ。」

俺がそう言葉を投げつけると、菜乃は首を横に振ってゆっくり口を開いた。

『残念ながら何にも。』
「ケッ……」
『…ずっとね、考えてた。わたしにとって貴方は忘れてもいい存在だったのかなって。』
「…」
『今日、思い出の一片を見ただけだけどね、わたしにとって貴方は忘れていい思い出じゃないと思うの。…写真の中のわたしはすごく楽しそうに笑ってたから。…それにわたし自身が忘れたままになんてしたくないって思った。でもどうしたらいいのか分からないの。わたしのお母さんは何か知ってそうだけど、何も話したがらないし…。』

視線を落としてあからさまに気を落とす菜乃。

昔から嫌いだった。
コイツの気を落としたツラも、泣いたツラも、俺の子分みてぇな奴等と仲良さげにすんのも、鈍臭くてすぐにすっ転んでメソメソする癖して、流れる涙を堪えようとする無駄な行動も、周りから「勝己くんと菜乃ちゃんはラブラブねぇ、」と茶化されんのも、鬱陶しくてしょうがなかった。

でも同時に好きでたまらなかった。
『勝己くん。』と俺を呼ぶ耳触りの良い声も、大きな瞳から溢れる涙を拭いてやるのも、手を繋いでやるとニコニコと笑うそのツラも。
俺に『勝己くんは菜乃のヒーローだね。』と言ってきて、初めて自分が"ヒーローになれた日"の事を忘れたことなんか一度だってねぇ。

それをコイツは忘れた。だから腹が立つ。
記憶に縋り付くなんざアホらしい?そんなのは自分が一番分かってるつもりだ。それでも、俺が覚えてる事を忘れて、俺の存在まで忘れてやがるのがどうしても許せなかった。

俺は奥歯を強く噛んで、足を止めた。すると菜乃もまた『勝己?』と不思議そうなツラをして俺をその瞳に映して足を止める。俺を呼び捨てにするコイツは_俺を知らない。そう思うと酷く心が抉られるような感覚に陥る。

俺よりも一歩先で足を止めるコイツの後頭部に手を回して顔を近づけ、額にそっと唇を落とした。

先程の思い出の一枚を再現するかのように、ちゅ、と音がなりそうな程に短くてガキっぽいキスをしてあの日を追憶した。

頭に回していた手を下ろし、あの日の記憶を辿るように菜乃の前に掌を差し出した。戸惑いながら俺の上に乗せられた菜乃の掌は、俺と同じ大きさだったあの頃と違って、今は俺よりも小さかった。

俺の目に映るコイツの頬が紅く染まって見えるのは、この夕焼けの所為だろうか。それとも、俺の脳内が都合よく、あの頃の少女と目の前にいる女を重ね合わせてそう見えるだけなんだろうか。

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