その温もりに縋り付いて

菜乃 side

体育祭の翌日から二日間は休日となった。
わたしはいつしかのようにお花屋さんに寄って母の病院へと来ていた。体育祭三位のメダルを見せにきたのだ。あのオールマイトから貰ったんだと自慢をしたのだが、母の反応は「…そう、よかったわね。」と釈然としない様子だった。
「おめでとう。」という言葉は表面上だけのものだった。その言葉に心はない。…母に"ヒーローになる夢"を理解して欲しいというのは、なかなか難しそうだ。

『何故そこまでヒーローになろうとする事を嫌がるの?』と問えば、母は「貴女がヒーローにならなくたって、母さんは幸せだからよ。辛い事する必要なんてない。」と返答された。

母と話し終わり病室を出れば、ため息が漏れるのはいつもの事だ。
前来た時はここで轟くんのお母さんに会ったんだっけ?

わたしはリンドウの花を手にしたまま"轟様"と書かれたプレートの部屋へと向かった。

ノックをして扉を開ければ、驚いた事にそこには轟くんもいたのだ。

「あら?菜乃ちゃんじゃない。来てくれて嬉しいわ。」
「咲良…?」

扉の外側で立ち尽くすわたしに冷さんは手招きをして「入って?」のジェスチャーをした。轟くんはというと、なんでお前がここに?とでも言いたげな顔をしていた。当たり前だけど…。
それにしても…以前話を聞いた際には随分長いこと会っていないと言っていたけど、今日は久しぶりに顔を合わせたのだろうか?だったらわたしはココにいちゃ駄目だ。せっかくの久しぶりの親子の再会を邪魔しちゃ悪いもの。
お花だけ渡したら帰ろうとしたのに、冷さんはわたしが病室内に入り扉を閉めると「菜乃ちゃんとはこの前仲良くなったのよ?」と轟くんにわたしとの事を話し始めた。「そうか、」と返事をしつつ、轟くんは興味ないだろうなと思って彼の表情を盗み見れば、…なんと彼は笑っていた。そこにいつもの冷酷さを放つ轟焦凍は居なかった。冷さんの話を、優しくそれでいて穏やかに「うん、」と聞いていた。初めて轟焦凍という人間を近くに感じた瞬間だった。

盗み見る筈だったのに、わたしはいつの間にか轟くんを凝視していたらしく、彼はわたしに視線を向けて「…咲良?」と首を傾げた。彼の視界に初めて入ったような感覚で、その端正な顔つきの綺麗なオッドアイに見られているのが何故だか恥ずかしくて、思わず視線を逸らしてしまった。
…改めて思うけど、普通にイケメンなんだもんな…。

『あ…ごめん、なんでもない。…それより冷さん、お花持ってきたので花瓶お借りしますね。』
「あら、それこの前わたしが好きって言ったお花ね。わざわざありがとう。嬉しいわ。」
『いえいえ、これ飾ったら今日は帰りますね。お二人でごゆっくり。』
「菜乃ちゃん、私これから先生と話があるから焦凍も帰るところなの。焦凍、菜乃ちゃんのこと送ってあげてくれる?」
『えぇっ!?』
「わかった。」
『えぇっ!?』

何故だか轟くんと一緒に帰る流れになり、わたしは花瓶にお花を生けたあと轟くんと病室を出た。



うぅ、イケメンの隣歩いてる…!それだけで緊張する…!
平常心、平常心……

わたしは心の中でそんな事を唱えながら轟くんと並んで歩いていた。
沈黙が続く中、何の話題を出そうか、なんて考えていた。そして『体育祭二位、すごいね』と昨日の体育祭のことを話題に挙げれば、「咲良だって三位、すごいだろ」と返されてしまう。わたしも彼も爆豪勝己という同じ人間に敗北している事を思い出すと、ここから話を掘り下げると盛り上がるどころか、反省会が始まりそうだ。

…だめだ、何話していいか分かんない…。

わたしは再び訪れるぎこちない空気に焦りを感じ始めていた。

「あの花…」

意外にもこの沈黙を破ったのは轟くんの方だった。歩きながら轟くんをチラッと見れば彼はゆっくり口を開いて言葉を続けた。

「お母さんに渡してた花は自分で作ったのか?…爆豪とのバトルの時、自分で花咲かせてただろ。」
『…自分で咲かせる事はできるけど、お母さんにあげたお花はお花屋さんで買ったものだよ。』
「自分で作れるのに買うんだな。」
『わたしが数秒で作り上げたお花はね、愛情を知らないの。』
「…」
『人間もさ、何も持って生まれないでしょう?愛情も優しさも人から与えられて自分に身につけていく。お花もそうなの。水を上げて声をかけて人から愛情をもらいながら生長する。…プレゼントのお花に愛情がないなんて悲しいでしょう?』

わたしがそう言うと、彼はわたしを見て「それも、そうか…」と少しだけ笑ってくれた気がした。そして少し考えたそぶりを見せた後、再び口を開いた。

「今度お母さんのお見舞い行く時、一緒に花を見てくれないか?…俺にはどの花を選んでいいか分からねぇし、咲良ならどの花が良い状態とか分かるんだろ?」

いつもよりも和らいだ轟くんの表情に戸惑いながらも、わたしは自然と頬を緩めた。

−−−−

あれから駅まで轟くんと歩いて、ココまでで大丈夫と言ってお別れをして駅のホームへと向かった。

来た電車に乗り込むと、休日の割には混んでるなと思った。病院から3駅程度だが、満員は結構しんどいものがある。
ガタンゴトン_と揺れるが、体がフラつく心配もない程に人が詰まっている箱。そんな中でわたしはある違和感を感じた。

何かがわたしのお尻に当たっている…。いや、これはどう考えても人の掌でお尻の形に沿って這わされている。つまり痴漢だ。

こういう時、声が出なくなるというのは本当らしい。『助けて』と叫びたいのに、喉と喉が張り付いたみたいに声が出せなくなってしまった。怖くて、気持ちが悪くて、わたしはただ、早く次の駅に着いてくれと願うことしか出来なかった。

プシューーッ_

次の駅に電車が止まって、ドアが開く。わたしはその瞬間に扉の方を向いた。早く出たいのに人の壁に阻まれてなかなか身動きが取れずにいた。その間もお尻に置かれた手はゆっくりと撫で回してくるのだから本当に気持ちが悪いし吐き気さえしてきた。

『降ります…!』と目の前の人壁に向かって声を上げると少しだけ道が開いてその隙間から抜け出ようとした。すると誰かに腕を引かれ、わたしはすんなり電車の外へと出ることができた。

この手を掴んでるのはさっきの人…?だったらどうしたらいいの?

わたしは怖くて顔を上げることができなかった。腕を振り払って再び電車に乗り込もうにも、既に電車のドアは閉まっている。

「なにガタガタ震えとんだ。」

聞き覚えのあるドスの効いた低い声が降ってきて、まさか、と顔を上げた。
わたしの目の前に居たのは想像通りの人物、爆豪くんだった。知り合いだったことにホッとしてわたしは盛大に息を吐き、肩に入っていた力を抜いた。

「あ?」
『ごめん、変なのにお尻触られてたから、腕掴んでるのその人かと思って…。知ってる人で良かったぁ…。』
「…変態野郎に大人しく尻触らせてたンかよ。」
『怖くて声出せなかったの…!だから降りるつもりもない駅で降りたんじゃない…!』

そうだった、全然違うところで降りちゃった…。駅名標を見れば、そこには【折寺】と書かれていた。…折寺って前に勝己がわたしに「居たことあるか」と聞いてきた場所だ。…とりあえず今はこの体の震えをどうにかしなきゃ。

俯いて自分の体を抱きしめるが一向に落ち着く気配はない。なんとか立ってはいるが、今にも膝から崩れ落ちそうな程に足に力が入らなかった。

_突然、頭の後ろ側へ右手を回され強く掴まれた。

そして前へと引き寄せられ、わたしの視界一面に黒色が広がる。それは勝己の着ている服の色だった。人の体温や匂いに包まれることで恐怖心は安心感へと塗り替えられていく気がした。思えばUSJの時といい今日といい…助けられてばかりだ。ヒーローを目指す者が情けない、と思いながらも、今はこの温もりに縋りつきたかった。
わたしは勝己の肩に顔を埋め、支えを求めるかのように寄りかかった。

「…大丈夫だ。」

わたしの手を引いてくれて、耳元でそう呟いて安心をくれる彼は、この時誰よりもわたしの"ヒーロー"だった。

_気づけば、体の震えは止まっていた。

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