それはキミのもの


轟 side

石さんにキーケースを返したあと、夕飯を食べてからは俺と石さんは訓練場にきていた。
息を切らす俺と、動き回っているにも関わらず全く息を切らしていない石さん。スタミナもスピードも圧倒的な差がある。

氷まみれの訓練部屋で石さんはニコリと笑って『キミは本当に勿体ないね。』と言った。そして俺に近づいて俺の左手を取り言葉を続けた。

『左の個性を使えば、その氷漬けになった体はまだ動けるのに』
「ハ…ァッ…戦闘において左は使わねェ…。」
『…お父さんと仲が良くない事は冬美ちゃんから少しだけ聞いてる。他人の私が家庭問題に口出したりはしないけど…』
「…」
『キミのライバル達は半分の力で勝たせてくれる程弱いの?』
「…っ、」
『臨時講師したけど…みんないい動きしてたと思う。…ま、これもキミの問題か。…とは言え、この前より動きは良くなってるね。明日の体育祭がんばってね。』

そう言って石さんは窓の方へと歩いた。そして窓際で足を止め、外を眺めた。『今日は月が綺麗だね。』と言う彼女に釣られて俺も窓に近づいた。

「…」

月明かりに照らされた彼女を見て足が止まっちまった。…白い肌は透き通るように綺麗で、見せられる横顔は整っていて、胸の長さまである漆黒の髪の毛は月の光に照らされて青く映った。

「綺麗だ…。」

無意識に口からそんな言葉が漏れた。俺の言葉を耳にした石さんは、不思議そうな顔で俺を見たが、すぐにニコリと笑いかけ『そうだね。』と言った。

開いた窓から風が入ってくると、長い髪の毛は後ろに靡く。その髪の毛を一纏めにしているのを見て気になったことを問う。

「髪の毛、戦闘中でも縛らないのか。戦闘スタイルは近接格闘がメインだろ。邪魔じゃないのか?」
『…ははっ、まぁ宣伝にもなるしね?』
「宣伝?」
『知らないかな?私ヒーローだけどシャンプーとかサロンのイメージモデルもしてるのよ?』
「…」
『ヒーローよりもそっちで名が知れてると思うんだけど…焦凍くん知らない?』
「いや、全然…。」
『そっか、まぁ男の子だもんね。』

彼女はそう言ったあと『あれ?』と首を傾げて俺との距離を詰めて、向かい合って立った。石さんの身長は俺よりも低い。その為至近距離に立って顔を見られると、見上げられる形になった。
腕を伸ばせばすっぽりと収まりそうなほどの体の小ささに、小動物が目の前にいるかのような感覚になっちまった。
俺の顔を穴が開きそうなほど真剣な顔で見つめてくる彼女に「…どうかしたのか?」と問えば、石さんは俺の頬に両手を添えた。

『キミの瞳は左右で色が違うんだね。…すごく綺麗。』
「…右がお母さんで左は…っ、」
『ううん、お母さんのものでもお父さんのものでもないよ。この瞳はキミのもの。誰から譲り受けたかなんて重要じゃないよ。個性もね、一緒だと思うの。』
「…」
『この左の火傷の痕のこと…聞いてもいい?』
「これは…」

俺は石さんに、親父から訓練ばかりさせられていた事や、母親が俺の左側が醜いと言って煮湯を浴びせたこと、そのあと母が病院に入れられたことを話した。だから親父が憎い事も話した。それを聞いた石さんは俺を憐れむワケでも、同情するワケでもなく、優しく微笑んで『話してくれてありがとう。』と言ってくれた。

心の内を他人に打ち明けたのは石さんが初めてだった。話をしただけなのにほんの少し心が軽くなった。

過去も、取り巻く環境が変わったわけでも、俺の持っているものも、何一つ変わったわけでもない。それなのに気づけばずっと抱えていた憎悪は消えちまっていた。

石さんは「大丈夫だよ」「辛かったね」なんて言葉をかけてくると思った。それなのに彼女はそんな気休めを一言も言わなかった。ただ優しく笑いかけてくれた。この目も個性も『キミのもの』と事実だけを述べた。その確かな事実を突きつけられた事で、母から言われた「なりたい俺になっていい」という言葉を思い出して、救われたような気がした。

昔からこの部屋が大嫌いだった。親父に特訓だと言って連れて来られ、辛かった記憶しかない。

_皮肉にもその部屋で一人の女性に恋心を抱いた。

「俺からも聞いていいか。」
『なぁに?』
「あのキーケースはそんなに大事なものなのか?」
『…父からのプレゼントだったの。あのキーケースも。』

俺の質問に石さんは表情を曇らせ、それだけ答えた。自分で聞いておいてすぐに後悔した。
もしかして形見とかだったか…?
そんな考えが後になって頭に過ぎった。

「いや、すまねぇ、…変なこと聞いたな。」と言えば、石さんは『ふふっ』と笑って言葉を続けた。

『なんか変な風に考えてない?…私の父は今も健在よ。』
「…そうか。」
『あのキーケースに散りばめられている宝石は本物で結構高いのよ。失くすわけには行かないでしょう?』
「…本当にそれだけか?」

キーケースを大事そうに握りしめていたのを思い出すと、それだけではない気がして思わずそう聞いちまった。彼女は少し寂しそうに笑って俺の質問に答えた。

『…私の右目を"宝石が埋め込まれたみたいだ"って言ったのはお母さんとお父さんなの。このキーケースはそんな素敵な言葉と共にくれたものだから大事にしたいだけだよ。』
「そうか。…左目は普通の目なのか?」
『うん、見た目がおかしくならないように両目にカラコン入ってるけどね。』

俺はニコリと笑う彼女に「両目が違う色をしてんのは、同じだな…?」と言った。『そうだね。』と返事をする彼女が、それを言う前に開かれた口から何を言おうとしたのかも、目に涙を溜める理由も…俺には分からなかった。

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