救える人間


轟 side

午前の授業を全て終えてこれから昼休みって時だった。「轟くんも食堂行こうよ。」と緑谷から誘われて教室を出ようとすると、ある会話が耳に届いた。
それは芦戸と耳郎の会話だった。

「わ…!ねぇねぇ見て!◯◯ビル、ヴィランにジャックされてるって!」
「ビルジャック?ヒーロー助けに行ったの?」
「んーーと、…うん、今はエンデヴァーヒーロー事務所のヒーロー達が駆けつけて収集が付いてるっぽい!」
「うへー…ビルジャックなんて大胆だねぇ…」

スマホのニュースでも見ながら話してるんだろう。…それにしても…

一つの疑問が俺の中に湧いていた。

ジャックされたビルがある場所はエンデヴァーヒーロー事務所の管轄区域ではない筈だ。要請があればどこへでも行くだろうが、…なんで一番に駆けつけるなんて…。

そんな事を考えていると、隣にいた緑谷がスマホを手にしながら口を開いた。

「あのニュースなら僕もさっきニュース速報で読んだよ。なんでもそのビルの中にヒーローのアイサがいて彼女が応援要請したって…轟くん?」

ヒーロー:アイサ
その名を耳にして何故だか嫌な予感がして、自分のスマホの石さんの連絡先を開いて、耳に当てた。

【只今電話に出る事が……】

長く虚しいコール音の後、そんな音声アナウンスが聞こえて通話を切った。

心配する必要があるのか…?石さんは実力がある。それは何度もこの目で見てきた。

そう自分に言い聞かせても、数日前アパートで見せた何かに怯えて体を震わせる彼女の姿を思い出しすと焦燥感に駆られる。

「緑谷、悪い。食堂には行けねぇ…。」

俺がそう言うと、緑谷は不思議そうな顔をしていた。

「ちょっと行ってくる。」
「へ!?行くってどこへ…!」
「すぐ戻る。」

簡潔にそれだけを伝えて下駄箱まで急いだ。

−−−−

問題となっていたビルの前へと着けば、その辺りは救急隊、警察、救助者…と色んな人で溢れていた。
辺りを見渡すも石さんの姿は見当たらない。誰かに聞こうにもとてもそんな状況ではない事は明白だった。

「あの…石ちゃん…いやアイサは救助されましたか…?」

ふと、女性のそんな声が俺の耳に入ってきた。視線を移せば、そこには背中に毛布をかけ、顔に小さな擦り傷のある女性がいた。

女性に話しかけられた救助隊は、この状況で誰を助けたかなんてのは把握していないし考える余裕もないだろう。女性をその場に座らせ軽く宥めてその場を離れた。

俺は、不安げにその場に蹲る女性に近寄り「あの…」と声をかけた。

「石さん、どうかされたんですか。」

“石さん”という名前を出すと、その女性は目を見開いて俺を見た。そして口を開くや否や言葉を捲し立てた。

「石ちゃん私たちを助けてくれたの…!でもその後すぐどこかへ消えちゃって、この辺の救助者の中には居ないし心配で…。」
「心配…?」
「石ちゃん、私を庇って腕に銃弾当たって…それで…、結構血が出て……!」
「…っ、あの、彼女を最後に見たのってどこですか。」
「ビル三階の、…っ、スタジオ。」

女性は最後の方は涙を流しながら必死に言葉を紡いでいた。そこまでの話を聞いて、女性にお礼を言うと、考えるまでもなく俺の足はビルの方へと向かっていた。

以前、家の訓練場で石さんが俺に話してくれた彼女自身の個性が頭によぎった。
月明かりに照らされて青く光る彼女の髪の毛は、鋭い目と牙を持った蛇だった。
あの日、石さんは“蛇達は血の匂いで興奮する”と言っていた。
石さん自身が血を流してるならどうなる?それでも頭の蛇達は“血をくれ”とその姿を現すのだろうか。主人である物の血さえも喰らうのだろうか。そうなれば、彼女自身にも蛇の牙についているという毒が回って危険だ。それとも毒蛇を体に飼う彼女には毒耐性が備わっているのだろうか。

…俺は石さんについて知らない事ばかりだった。

奥歯がギリッと音を立てる程に強く噛み締め、ただひたすら石さんの姿を探しながら走っていた。

ビルの中へは、救助隊や警察の出入りが激しかった為か、意外にもあっさりと入れた。警備が追いついてないんだろう。

先程の女性が言っていた三階のスタジオを覗いてみたが、中には数名の警察しかいない。やみくも走り回って探すしかないか…と思っていた時、ふと下を見ると一滴の血が落ちていた。廊下を見れば、踏まれて伸びているものもあるが途切れ途切れの痕跡がある。怪我人が歩いた痕跡が。

石さんが怪我をしてると先程の女性は話していた。…いや、もしかしたらヴィランの残党の可能性もある。

これが石さんの血かもしれないと思うと、慎重に行こうとする心を、焦りが追い越してしまう。

途切れ途切れの血痕を辿って着いた先は女子トイレだった。鍵のかかった個室に向かって「石さん…」と名前を呼べば、中からは『…誰?』と怯えたような細い声が聞こえた。思った通りの人物の声で安心したと同時に、トイレの入り口に落ちている血を見れば不安が募る一方だった。

「俺だ。焦凍だ。ドア、開けてくれ。傷の手当しねぇと…。」
『……ごめん。今は開けられない。』
「メデューサの個性か?」

俺の質問への返答が聞こえたのは少しの沈黙の後だった。

『…そう、血が出てるから頭の蛇達が興奮してる。私の体を噛む事はないけど、近くにいる人を噛んでしまいそうなのよ。』
「制御出来ないのか?」
『うん。…今はコントロールが出来ない。止血したいから救助隊の人に頼んで何か縛れるもの持ってきてもらえないかな?』
「……後ろ下がっててくれねぇか。」

今、溢れかえる救助者に救急隊は慌ただしく動いている。まともに俺の話を取り持ってくれる人間がいるだろうか。
ただ、一刻も早く助けたくて顔が見たかった。

『え、と…焦凍くん…?』

戸惑っている様子の石さんに対して「悪い。」と呟いて、閉ざされた扉を体当たりでこじ開けた。

『わ…!な、何して…!』

トイレの隅に立つ石さんは血の滲む腕を押さえていた。その指の先からはポタポタと血が垂れている。
そして、彼女の綺麗な髪の毛は全て無数の蛇と化していた。鋭い眼光でこちらを睨みつけ威嚇する姿は飢えた獣も同然だった。

『来ないで!』

彼女が血の滲む腕を強く押さえながらそう叫ぶと、蛇達は更に俺を威嚇する。
なるべく俺から距離を取ろうと四隅に逃げようとする彼女の腕を引いて自分の腕の中に収めた。

蛇の持つ毒が怖いとかそんな感情は一切なくて、…ただ、怯える彼女を少しでも落ち着けたい一心だった。

石さんは、俺から離れようと力一杯に押し返してきていた。だが、腕の傷が痛むのかまともに力も入ってない今日ばかりは俺でも押さえ込む事ができた。

『お願い、離れて!焦凍くんの体、この子達が噛んじゃ…「大丈夫だ。…大丈夫だから。」…』
『辞めて…、焦凍くんに怖がられたくないの。』
「石さんの事、怖いとなんか思わねぇ…。どんな姿でも個性でも、石さんは石さんだ。」

蛇達が長い体を伸ばして俺の体の至るところに噛みついてその毒牙を立ててくる度にチクチクと痛む。だんだんと体が痺れてくる感覚がやってきて、毒の強さを生まれて初めて思い知った。

それでも彼女を手放したくなくて、彼女の背に回す腕には力を込めた。

『…焦凍くん、ごめんね。』

彼女は今にも泣いてしまいそうな声で俺にそう告げた。
言葉の意味を問おうとすれば、彼女は俺が口を開くよりも先に両手で俺の顔を包み込んで唇を合わせてきた。

互いの唇が触れ合うだけの短い口づけ。
初めて彼女からされた口づけは涙の味がした。

幻想かと思える程の短い時間。その一瞬の出来事に驚いて目を見開いた。彼女の宝石のように綺麗な右目と視線がぶつかると、そこから目が離せなくなって、身体は石にでもなったみたいに動かなくなった。

_“『ゾッとするほど気味が悪いのよ。…まぁ綺麗に言わせてもらうと目の中にサファイアとエメラルドとルビーを粉々にして瞳の形にはめ込んだ感じかな?』”

以前、彼女は自分の石化の瞳をそう言っていた。だが、気味が悪いだなんてこれっぽっちも思えなくて、

偽りでも、彼女を慰めるでもなく

ただの本心で

「_綺麗だ。」

まだ動く自分の唇からはそんな声が漏れた。

そこから全身が石になるのは3秒とかかってない。

だが不思議に思ったのは、石になっても意識はあった。
暫く彼女は俺の石化した体を震える腕で抱きしめていた。
俺の体に牙を立てていた蛇達は、石には噛みつけないのか俺の体から身を引いた。

そうか、俺の事を噛ませない為に石化を…。

彼女の背に回したまま固まってしまった腕に力を込めたいのに石化した体ではそれも敵わないのが歯痒くてもどかしかった。

俺の石化を解いてしまわぬよう
自身の涙がつかぬように
何度も『ごめんね、』と謝りながら涙を拭う彼女が

とてつもなく悲しく見えた。


大丈夫だからその涙で石化を解いてくれ

口を開いてそう言いたいのに、それさえも出来やしない。自分自身の個性を怯えて彼女が自分自身を軽蔑していく姿を目の当たりにしているようでただただ苦しい感情だけが渦巻いていた。

そんな状況を打開したのは「石…!」と呼ぶよく聞き慣れた声だった。

自分の背後から聞こえる声に、体を振り向かせる事は出来ない。だけど、そんなことせずとも脳裏にその声の主の顔が思い浮かぶ。

相澤先生だ。

彼女を見れば、無数の蛇と化していた髪の毛は綺麗な漆黒に戻ってサラリと肩に落ちていた。

そうか、相澤先生の個性で石さんの蛇を抑えこめたのか。

彼女はヘタリとその場に膝から崩れ落ちてしまって嗚咽を漏らしながら懸命に言葉を紡いでいた。

『せんぱ…、助けて…っ、』

助けを求める石さんの声を聞いて初めて自分の無力さを痛感した。

この人が助けを求めるのは
この人を助けられるのは

“自分ではない”

そう言われているようだった。

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