私を見ないで


石 side

「石ちゃーん、いいねぇ。じゃ、髪セットし直してもうワンカット撮っとこうか。」

レンズ越しに私を見ながらカメラマンの男性はそう言った。その声に『はーい!』と返事をしてヘアセットのスタッフの元へと向かった。

現在、私がイメージモデルをしてるサロンの撮影中だ。なんでも看板を新しくするようで今日は午後からビルの中に入ったスタジオに来ている。

「あのカメラマンさん、石ちゃんの大ファンらしいからすごく嬉しそうだわ。」

私の髪の毛を触りながら後ろからそう声をかけられた。彼女は私の髪をいつもセットしてくれる仲良しのヘアメイクの美耶さんだ。ふふ、と笑う彼女を鏡越しに見て私も笑いかけた。私と目が合った彼女は「あら?」と首を傾げて言葉を続けた。

「何か悩み事?」
『どうしてそう思うの?』
「うーん…いつもよりお肌と髪に元気がないし…あとは勘かな?」
『そっか。うん、ここ最近はあまりぐっすり眠れてないかな。』

メイクを直しながら美耶さんは「恋の悩みね?」と何故か嬉しそうに言った。

『なんか嬉しそうじゃない?』
「そりゃあね。石ちゃんって男の人に興味ないのかと思ってたの。…石ちゃと恋バナ出来るのが嬉しいの。」
『恋バナって程でもないよ。』

あはは、と笑っていると「話してみればスッキリするかもよ?」と優しく笑い返してくれた。
…私を悩ませている事。
それは間違いなく数日前にアパートに来ていた二人の言動にある。焦凍くんには触れたい触れられたいと思うのに、どこか線を引いてしまう自分がいる。忌まわしい自分の姿や個性を思うと、触れることも触れられる事も怖い。
相澤先輩への想いには区切りを付けた筈なのにあんな風に迫られてどうしようもなくドキドキしてしまった。昔片想いしていただけあって、心があの頃に連れ戻されそうになってしまうのだろうか。
だが、どちらも今以上の関係に踏み込むことを考えると臆病になってしまう。醜い姿の私を受け入れてくれた人達だからこそ、失いたくはないのだ。…二人だけじゃない。冬美ちゃんにも言える事だ。彼女が私を見て怯える顔を見たくはないのだ。
関係が親密になればなるほど、自身の個性で彼らを怖がらせてしまうというリスクが増える。

『私ね、個性がこんなだから、人と親しい関係になるのが怖いの。…友達以上みたいな関係がね。』
「個性って、石化の目だよね?」
『…うん、そう。』

公になってるのは石化の個性だけだ。蛇の髪の毛については公表をしていないから美耶さんは知らない。

『何度も失敗してきた。過去の恋人に頼まれて個性を使うんだけど、皆んな石にされる恐怖を実体験しては怯えて去っていくの。』
「…石になるのってどんな感じなのか聞いてもいい?」
『暗くて冷たい部屋に閉じ込められるみたいな感じよ。助けてって言いたいのに声も出せなくて手も足も動かない。怖いと思うのが当然なのかもね。』
「そっか…。でもさ、好きな人が石になっていくのを見てる石ちゃんも辛いよね。自分で解除できるとはいえ…。」

美耶さんは私の髪の毛にコテを当てながらそう言った。彼女の言葉に驚いたのが本音だ。…そんなことを言ってくれた人は冬美ちゃん以外に初めてだったから。…まぁ私自身がこんな話を他人にしないからなのかもしれないけど。
こんな話を打ち明ける事が出来る時点で、美耶さんもまた私にとって失いたくない大切な人なんだろう。

「どうかした?」と聞かれ、鏡越しに自分の顔を見れば、間抜けなほど驚いた顔をしている自分と目が合った。彼女の言葉が嬉しかったのと同時に、鏡に映る自分の顔がなんだか可笑しくて、『なんでもないよ。』と笑った。

「石ちゃんの事、本気で好きな人は自分が石になっていく恐怖よりも、石ちゃんの悲しむ顔を心配すると思うわよ。失敗って言ってたけど、そうじゃないと思う。石ちゃんはまだ本当の恋愛に出会ってないだけじゃないかな?」
『……』
「…よっし、…できた!うん!可愛く仕上がった!石ちゃんの笑ってる顔、すっごく可愛いんだから自信持って!」

美耶さんはそう言って私の肩を叩いてくれた。
内心、話した所で何も変わらないと思っていたけど、彼女に話をしてみて良かったなと思った。
…少しだけ心の中に溜まっていたモヤが晴れた気がしていた。

『ありがとう。…いってきます。』

そう言って椅子から腰を上げると彼女は私にニコリと笑いかけたあと、「石ちゃん準備OKです!」とスタジオ内に声を響かせた。

カメラの前に向かって歩いていると、突然勢いよくスタジオの出入口の扉が開いた。バンッ_と音を立てた扉の方に視線をやると、そこには二人の男が立っており、一人の男が左手を上に挙げた。

左手の先にあるものが何かを確認するよりも早く、鋭い銃声がスタジオ内に轟いた。

「全員手ぇ上げろ…!」

銃声に驚いて短く悲鳴をあげたのは美耶さんだった。後ろにいた男はそれが気に入らなかったのか、持っていた大きめの銃を構えて引き金を引いた。

「きゃあぁーーー!」

恐怖で叫ぶ彼女の元へと駆け寄り腕を引いた。彼女を自分の体で隠して撮影機材の後ろへと身を隠して座り込む。

威嚇射撃とかじゃない。本気で彼女を殺すつもりだったんだろう。しかもライフルで連射ときた。相当狂ってる奴らだ。

震える彼女を抱きしめていると、二人組の男のうちの一人は声を張り上げた。

「このビルは俺たちがジャックした。死にたくなかったら大人しくしてな。」

そう言って再び銃声をこの場に響かせた。

拳銃とライフル一丁ずつ…。ジャックしたと言ってるし、連絡をしてるところを見ると、仲間はまだまだいるだろう。一方此方はヒーローが私一人、人質として取られそうな人は多数…。下手に動いたら取り返しのつかない事になる。

「…っ、石ちゃん、エンデヴァーヒーロー事務所に連絡できない?ビルジャックとか言ってるし、石ちゃん一人じゃ…。」
『うん、緊急用のコールは鳴らした。すぐに来てくれると思う。…けど、それを待ってる余裕が私にないかも。』
「…どういうこと?…って、え?…この血、石ちゃんの?…もしかしてさっき私を庇った時…、ごめんなさい!」
『美耶さんは悪くないよ。悪いのはアイツらだもん。それに怪我自体は割と大丈夫。』
「で、でも血がこんなに出てたら…!」

彼女は私の血がついた自身の掌と負傷した腕と背中の辺りを落ち着かない様子で交互に見た。だが、言った通り負傷した箇所の痛みは今は耐えられる。動けない程じゃない。…ただ、問題はこの血の量だ。弾がかすめただけと言っても、背中の方の血は服に広がって来ているし、腕の方は指の先まで垂れてきている。これだけ血が出ていれば、髪の毛に扮している毒蛇は“待て”がきかない。興奮して、今にも血を吸わせろと姿を現そうとしていた。

まずいな…。早く止血しないとこの場で蛇頭を晒す事になる。

右目のコンタクトレンズを外していると震える手が私の手首を掴んだ。美耶さんの手だ。

「石ちゃん、まさか何かするつもり?」
『うん。ヒーローが隠れたままなんてありえないでしょう?』
「や、やめなよ…!石ちゃん怪我してるのよ!?いずれ助けが来るなら待ってた方が安全…」
『大丈夫。先にライフルの方の動きを止めるから。…ここから動かないで。』
「あ、ちょっと…!」

彼女が引き留めるのも今は構ってられなかった。頭上で疼く蛇達を落ち着けるのに必死だったのだ。

身を潜めていた撮影機材の反対側から飛び出して二人組の男達に向かっていけば、もちろん私に銃口を向けてくる。
パワーにはあまり自信はない。だけど足には自信があった。

だからこその捕縛布だ。

ライフルの男を捕らえて身動きを封じて、捕らえたソイツを使って拳銃の男の体勢も崩す。パワーがなくとも拘束してしまえばどうにかなるもんだ。

倒れ込んだ男達に近づいてライフルの男と視線を合わせれば声を出す事もなく石になっていった。
拳銃の男が立ちあがろうとするのを上に乗って押さえつけた。同じように石化しようとした。だが、この男は私の姿を視界に入れないよう顔を横に倒した。

「アンタ、石化の奴だろ…。俺が見なけりゃ石にはならねぇ筈だ。へへ、残念だったな。アンタの負けだ。」

男はそう言って、拳銃を私の胸に突きつけた。

「少しでも動いたら撃つ。」

負けだ、なんて思ってなかった。こんな状況でさえも頭の蛇達に“落ち着け”と司令を出すのに必死だったのだ。

「ハッ、声も出せない程怖ぇのかよ?」
『うるさい。黙ってて。あなたに構ってる余裕ないの。』
「はぁ?」

そんなやり取りをしているうちに髪の毛は一束纏って一匹の蛇へと姿を変えた。そして銃を持つ男の手に噛みついてしまった。「いてっ…!」と叫んだ瞬間に再び銃声が響く。
咄嗟に男の手首を掴んで銃口を天井へと向けた為に私に当たることはなかった。男の視界に入り込んでソイツを石に変えて一先ずこの場は落ち付いた。

静まり返ったこの場に美耶さんの細い声が響いた。

「石ちゃん、それ…その頭…」

振り返る事はできなかった。髪の毛は時間の経過に伴って一匹、また一匹と蛇へと変わっていく。振り向かない私の代わりに蛇達が彼女へと視線を向けた。血の匂いで興奮している蛇達は彼女を威嚇していた。

血が出ている箇所を押さえていると再び出入口の扉が開いた。目の前に現れたのはヒーローだった。この場は彼らに任せるつもりで、私は醜い姿見られまいと俯いて、皆の視線から逃げるようにこの場を後にした。

_私を見ないで。

同じフロアのトイレへと駆け込んで鍵をかけて座り込んだ。

『お願い落ち着いて。』

頭の蛇達にそう声をかけるが、依然と彼らは興奮している。血が止まらない限り姿を消してくれそうにない。だけど、彼らが隠れてくれないと私も外に出られない。…病院に行く気にもなれないのだ。
蛇達がねぐらとしている主人の身体に牙を向けることはない。だが、近づいたものに誰それ構わず噛みついてしまうのだ。

負傷した箇所を手で押さえるが、その掌を伝って赤黒い血液はポタポタと床へと落ちて行く。

『お願いだから…。』

蛇達は流れる血の量に比例して興奮を増していく。
私はスタジオにいた美耶さんの震える声を思い出しては、彼女が恐怖で纏った目で私を見ているのを想像してしまっていた。
蛇達にしていた“お願い”の言葉は、いつの間にか美耶さんに対する“お願い”へと変わっていた。

『そんな目で私を見ないで。』

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