消えない呪いと恋心


石 side

あれから残りの職場体験を終え、エンデヴァーヒーロー事務所は、いつも通りの体制へと戻った。
パトロール、戦闘要請、事務処理……と、なかなか日中はてんてこ舞いで仕事以外のことを考える余裕もない程だった。家へと帰れば、引越しに向けての準備と、ゆっくりとした休息もなく日々を過ごしていた。
慌ただしく時が過ぎて、あっという間に次の休日がやってきた。

その休日である今日は引っ越し日だ。

引越し業者に依頼する程の荷物はなかった為に、車に積み込んで自分で運んだ。車に乗せる時は、毎日少しずつ積んでいったから大して量はないと思ったが…、纏めて降ろすとなると結構な量になってしまった。
助手席も、後部座席も、トランクまでいっぱいだ。

まぁ明日も休暇をもらっているしゆっくり運ぶか。

アパートの前に停めた車の前で一人『よし、』と気合を入れて積み上がった三つの段ボールを持ち上げた。そこから一歩踏み出そうとすると段ボールで塞がっていた視界が開かれた。

『へ?焦凍くん…?』

目の前には、今の今まで私の前に積み上がっていた三つの段ボールを持った焦凍くんが立っていたのだ。
新居の住所は冬美ちゃんにのみ伝えていた。きっと彼は冬美ちゃんからそれを聞いて此処にいるんだろう。
私が『冬美ちゃんから聞いたの?』と問い掛ければ、彼は案の定「あぁ、」と答えた。

「姉さんが予定あって引っ越し手伝えないからって俺が頼まれた。」
『あ……せっかくの休みなのに悪いよ!青春時代の休日ってのは貴重なんだから、友達と遊びに行ったり好きな事したりしなきゃ。ほらほら、私の事はいいから若い子は遊びにいこう!』
「…なんでそんなに必死なんだ?俺は、来て良かったって思ってる。」

焦凍くんの言葉の意味が理解できず首を傾げていると、彼は積み上がった三つの段ボールを持ち直してまじまじとそれを見て口を開いた。

「これ…結構、重かったから。女一人じゃ大変だろ。」

「二人でした方が早いだろ。手伝う。」と付け足して彼はアパートの方へ歩き出してしまった。
彼の言葉に私の心臓はトクトク_と脈を早めた。

『他の女の子より力はあるってば…。』

私から遠ざかっていくツートンカラーの髪の毛に向かって吐き出した言葉は、風に流されて彼の耳に届く前に消えてしまったようだった。



「これで全部か?」

二人でアパートの一室へと荷物を運び終え、時計を確認するとまだ正午を回ってなかった。

『うん、これで全部。手伝ってくれてありがとう。』

一息吐くべく、段ボールしかない部屋の真ん中に折り畳みのテーブルを置いた。

あらかじめコンビニで買っておいたペットボトルのお茶をテーブルに二本置いて『焦凍くんも座って。』とテーブルへと招いた。

テーブルを挟んで私の向かい側に腰を落とした焦凍くんを見て私は口を開いた。

『今日はありがとう。おかげで本当に助かった。』
「いや…。」
『でも、せっかくのお休み潰しちゃったからごめんね。』

私がそう言うと、焦凍くんは首を傾げた。そして私を真っ直ぐ見ていつも通り落ち着いた口調で話し始めた。

「潰れてねぇ…。休日は好きな事をするんだろ?」
『…うん、だからせっかくの休日にこんな労働みたいな事させて申し訳なかったなって。』
「俺は、石さんと過ごす時間が好きだ。ちゃんと好きな事して過ごしてる。」

彼の発言にまたしても私の心臓は脈を早めてしまう。
そんな私の事など構いもせず、彼は一度立ち上がると、私のすぐ隣に来て再び腰を落とした。
ピタリと隣同士に座っている所為で、心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思った程だ。

「ようやくゆっくり二人になれた。」

彼はそう言うと私の手に自分のを重ねてきた。少し前にも似たようなことを言われた気がする。…そうだ。職場体験中日の帰りの車内だ。二人きりでいたいと言った焦凍くんを無理やり車から降ろしたんだっけ。

私と同じことを思い出しているのか、焦凍くんは「今日は時間制限もないし、問題ねぇだろ?」と言ってくるのだ。返す言葉もなく俯いて黙っていると、彼は私の両肩に手を置いて顔を覗き込んでくる。

「キス、してもいいか?」

その言葉で自分の顔に熱が溜まっていくのを感じとった。何も答えない私を見て了承と取ったのか、彼は私の肩を掴む手に力を入れ、ゆっくりと顔を近づけてきた。

…拒絶できなかった。

勝手に早る心臓の音の所為にして目を閉じた。

ちゅ_と軽く触れた唇が離れると焦凍くんは、角度を変えて何度も何度も唇を合わせてきた。

「石さん…。」

彼が名前を呼ぶと熱い吐息がかかる。それがなんだか擽ったかった。

もう何度目かも分からない短い口づけをすると、突然背中のあたりに直接何かが触れてくる感覚がやってきた。

その感覚に私の身体はビクリと震えて全身に鳥肌が立った。

_コワイ

_タスケテ

_キモチガワルイ


そんな負の感情が脳内を占めた。

「…っ!?…ってぇ…。石さん…?」

気づいた時には私は焦凍くんを思い切り突き飛ばしていた。彼の声でハッと我に帰って顔を上げれば、焦凍くんは後ろに倒れ込んでいて、何が起こったのか分からないと言った顔をしていた。

『ご、ごめんね…!力の加減してなかった…!』

私は咄嗟に謝りながらも焦凍くんの顔を見る事が出来なかった。

…昔拐われた日のことを思い出してしまった。それは相澤先輩と初めて会った日だ。
服を引き裂かれる音、ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべる男の顔、
ヤラシい手付きで肌を触ってくるベタベタした男の手…。

あの日、それ以上をされたワケではない。…女を犯している現場を押さえようとカメラのレンズをコチラへ向けた男は、私が右目にしていた眼帯が気に入らずそれに手をかけた。私と視線が交わった瞬間に、その男は人の形をした石像となった。
_大嫌いだったこの個性に、私は助けられたのだ。

それからすぐに相澤先輩が助けに来てくれた為に、石化が解除される前に男は警察に捕まった。

それ以上をされなかったにしても怖かった。
両手両足を縛られて抵抗も出来ず、あの頃の力の無い私は、ただ誰かに助けを求めるしか出来なかった。あるのはこの身に宿る呪われた個性だけだった。

…いつもこうだ。
恋人という存在が出来ても、一線を越えようとするとあの日を思い出す。そして謝りながら震える体を抱きしめる私を見て、恋人という存在にまで「俺こそごめんね、」と謝らせてしまうのだ。

今日もまた私は震える体を抱きしめて“あの手とは違う”と自分に言い聞かせていた。

『…っ、』

突然身体を温もりに包み込まれる感覚がやってきて、ビクリと跳ねてしまう。…焦凍くんだ。
彼は私を優しく抱きしめて「悪ィ…。」と苦しげに言葉を漏らした。
私は彼の腕の中で首を横に振った。

『ごめんなさい…。私…っ、』
「石さんは悪くねぇ…。我慢できなかった俺が悪い。」
『我慢…?』
「ずっと石さんに触れたかったんだ。…ずっとそう思ってた分、いま部屋に二人きりだと思うとつい…。怖がらせたよな、すまねぇ。」

私の髪の毛を撫でながら抱きしめてくれる彼は、私を怖がらせないように何度も謝っていた。

変な感じだ。いつもは私が誰かに怖がられないように必死なのに、今日は逆だ。

石化の目のことも蛇の髪の毛のことも、焦凍くんは知っている。それなのにどうして彼は私の髪の毛にこんなに優しく触れる事が出来るのだろうか。…相澤先輩のように個性を打ち消せるワケでもないのに。

何も恐れられず触れられると
まるで“普通の女の子”になれたみたいじゃないか。
私の持つ忌まわしい右目や髪の毛は何も変わらないのに…。

焦凍くんの行動は私には不思議でならなくて、

暖かくて、

怖くて、

心地よかった_

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