解けない呪い


石 side

熱いシャワーを頭からかけると自分についた汚いもの全てが洗い流されていくようで気持ちが良かった。粗方流した所でキュッとシャワーの湯を止めてタオルに体の水気を吸わせた。
早く汚いものを流したい一心で病院の空き部屋を一晩借りたが、今になって失敗したなと思っていた。いくら個室と言ってもこんな夜更けにドライヤーを使うなんて迷惑極まりないと思ったからだ。

まぁ一日くらいいいだろう、と妥協せざるを得なかった。

タオルを頭に乗せてユニットバスを出れば、ベッドの端には真っ黒の服を着た人物が座っていた。…相澤先輩だ。先程の話の後なのもありで、先輩の姿を見ると私の心臓はドクリと音を立てた。

先輩はシャワーから上がったばかりの私を視界に入れるなりベッドから腰を上げて歩み寄ってきた。そして私の頭をタオルごと包み込んでガシガシと揺らし始めた。

『わっ…な、にするんです!?』
「髪、乾かせよ。風邪引くだろ。」
『こんな時間にドライヤーなんて迷惑でしょう!?』

私がそう言うと、先輩はスマホを取り出して時間を確認し「…それもそうか。」と納得してくれたようだった。先輩の手が離れた事でうるさく鳴り続けていた心臓は少しだけ落ち着いた。しかし先輩は、またしても私の後頭部に掌を当ててもう一方の腕は背に回して来た。

互いの身体がピタリとくっつくと、先輩の心臓の音まで早く鳴っているのを感じ取る。さっきの先輩の言葉は本音なんだろう。じゃなきゃこの心臓の高鳴りをどう説明していいか分からない。
いつからこの人は私を女性として見てくれていたんだろうか。私が男性として先輩を見ていた時期は?両片想いだった時期があったんだろうか…。

考え事をしている私に先輩は「何を考えてるんだ?」と問いかけた。

『…私が貴方の事をずっと好きだった頃を思い出してました。人としても男性としても。』
「…好き“だった”か…。今は違うって前に海で言ってたな。俺への恋愛的好意にはケリを付けてるんだったな。」
『…私があの時、先輩の事話してるの気づいてたんですね。あの日は知らないフリをしたのに、何故今になって…と不思議でしかありません。』
「…そりゃあお前、振り向かせようとしてる女が他の男にキスされたなんて聞いたら悠長にしてられんだろう。」
『…なんか先輩らしくないんで、そういうこと言うの辞めてください。』

私がそう言うと、先輩は私を抱きしめる腕の力を強めた。そして静かに私の上から言葉を降らせた。

「俺にだって、形振り構ってられんほど必死になる事はあるんだ。」

その言葉になんと返事をして良いか分からなかった。先輩に恋愛的好意を抱いてたあの頃の私が、いま先輩が口にした言葉を聞いていたなら、きっと舞い上がっていただろう。…だけど、今はこの言葉が嬉しくも、少しだけ苦しくもあった。

…なんでこんな気持ちになるんだろう。

「顔を上げてくれないか?」

先輩は抱きしめていた私の体を離してそう言った。私が俯いたまま首を横に振り『コンタクト、外れたままなので出来ません。』と返せば、先輩は私の顔を両手で包み込んで顔を上に上げさせた。
私の視界に入った先輩の目は赤く光っていて、いつもはだらしなく揺れている髪の毛は逆立っていた。つまり個性を発動している。
呪いの瞳と救いの瞳が交差した。

『…見ないでくださいよ。』

突き放すような言い方をしてしまったのは、怖くなったからだ。先輩が個性を発動せず私を見れば、この人はたちまち石になる。そうなれば今の言葉は取り消されるんだろうか…。
考えないようにしてきた。この人が私の呪いにかかるという事実を。
“効かない人”だと思いたかった。初めて私の目を見て「綺麗だ」と言ってくれた人だったから。

だけど、どうして今こんなにもこの人の瞳に自分が映る事が怖いんだろう。

“来るもの拒まず去るもの追わず”
なんて言葉があるが、私はその逆だ。
来るものを拒んで去るものを追う。
…心の内に入られる事が怖いのだ。どうやら私には他人と一定の距離が必要らしい。

呪われた醜いものを見られまいと、私は瞼を落として瞳を隠した。
先輩はそんな私の瞼に静かに口付けを落として言葉をかけた。

「お前がその個性の所為で自分を汚い、醜いと蔑むなら…俺がお前に綺麗だと言ってやる。誰かにその目が怖いと言われたなら、怖くないと言ってやる。だから怯えなくていい。」
『…っ、』
「いつも言ってる事だが…自分の目を呪いだとお前は言うが、俺はそんな風に思った事なんか本当に一度もないんだ。初めてお前の目を見た時「綺麗だ」と言ったのは本心だし、お前を“特別”と思ってるってのも勿論本心だ。…さ、こっちは全部晒け出したぞ。お前も思ってる事を教えてくれないか?」
『私は…』

聞いてもないのに自分から話し始めて私にも本心を吐き出せだなんて勝手だな、なんて思いながらも私は思ってる事を声に出した。

『今の私は貴方を尊敬する師として見ています。隣に居て安心する人ですが…そこに恋愛的感情は…ありません。私はやっぱり誰かと一歩踏み込んだ関係になるのが怖いんです。貴方がどれだけ私を醜くないと言ってくれても、いつかは貴方を石にしてしまって貴方に拒絶されてしまうのかと思うと…。だから先程の先輩のお気持ちには応えられません。』
「…石、俺はお前の個性には…」
『いいえ。親しい間柄になって一緒にいる時間が増えれば、何が起こるか分かりませんよ。貴方に目を酷使させてしまうだろうし、私の個性にかかって貴方が私を恐れないという保証はどこにもありません。』

目を閉じたままそう言うと、先輩はまたしても私の瞼に口づけを落とした。

そうだ、血の繋がった両親にさえも受け入れてもらえなかったんだ。赤の他人が受け入れてくれるなんて、夢のまた夢だ。
…ありえない。

「目を開けてくれないか。…ちゃんと個性は消してやるから。」

先輩の声に、私はそっと目を開けた。先輩はその言葉通り、個性を使ったままだった。そして私の顔を両手で包んだまま私の目を見て口を開いた。

「…お前はずっと人が自分から離れていく事ばかりを恐れてるな。」
『…』
「約束する。俺はお前に嘘は吐かんし、お前の個性で石にはならない。だから俺の事も、自分の個性も恐れるな。お前はお前だ。」

“個性にはかからない”

安心できる言葉であっても、心に掛かった呪いが解けるには至らない。
傍に居てくれる人に私が求めているのは一体なんなのだろう。_私はきっと欲深い人間なんだ。

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