魔法よ、解けないで


石 side

職場体験三日目の夜_

『いったたたた…。』

私は病院で治療を受けていた。怪我の原因…それは今晩町に現れた奇怪なモンスターと交戦した所為だ。
モンスターが現れるや否や、焦凍くんはスマホを眺めてエンデヴァーさんの元から走り去ってしまった。私はエンデヴァーさんとモンスターの相手を代わり、ソイツと交戦した。
これがまた厄介な相手だったのだ。何せ、私の個性との相性は最悪だったのだから。石化の目を使おうにも、なかなか焦点が合わず石に出来ずかなり手こずってしまった。しかもだ、一体と交戦している間にもう一体湧いてくるしで、その交戦の最中には肋が折れた。

結局髪の毛に仕込んでいた蛇にモンスターの体を噛ませ、その牙の毒で始末した。久しぶりの食事に蛇達は大興奮で、そのモンスターの体が干からびるまで血を吸った。あの光景を思い出すだけで吐き気を催す。

人間の血が少量入るならまだしも…あんな気味の悪い生き物の汚い血をこの髪の毛が取り込んだのだと思うと…。帰ったらすぐシャワーだ。洗い流したところでどうにもならない。だが、このまま放置していると体の中にまで汚いモノが流れてくるような気がして心底嫌だった。

…ただでさえ醜い姿だというのに、どこまでこの個性は私を、キタナく…汚すのだろうか。

「おわりましたよ。」

私の体に治癒の個性を施した女性の声が聞こえて我に返った。気づけばお腹の痛みはなくなっていて、体も軽い。
御礼を言って治療室を出ると、用意された病室へと向かって歩いた。念の為一晩だけ入院となったのだ。…入院を提案された時、初めは断固拒否した。だって一刻も早くシャワーを浴びたかったし、病院の共有浴場はこんな深夜では使えないだろうし…。だが、私が入院を了承したのはシャワールーム付きの個室が空いていると言われたからだ。

病室へと向かっていると「目瞳、」と聞き慣れた声が耳に届いた。振り返った先に居たのは思った通りの人物…相澤先輩だ。
先輩は私のすぐ側へと駆け寄って来て、「お前も怪我したのか。」と私を瞳の中に閉じ込めた。この人を見ると一週間ほど前のキスの件を思い出してしまう。私は、熱った顔を見られぬよう、顔を背けて『…大したことないですよ。』と笑った。

『ところで、先輩はどうして病院なんかに?』
「自分の生徒が不祥事を起こしたからな…。」
『担任の先生って大変ですね。…焦凍くん達の病室ならたしか三階ですよ。』
「アイツらの所ならもう行ってきたよ。」

その言葉に私は首を傾げて見せた。
それなら尚更、何故いまだにこの病院に留まっているのかが疑問だ。それに先輩は出入り口ではなく、私と共に病棟の方へと歩いている。

エレベーターに乗り込めば、先輩もまた一緒に乗り込んでいるし、不思議に思いながらも階数を尋ねれば彼は盛大なため息を落とした。

「あのなぁ、俺はお前の体が心配で来てるんだ。」
『あ……そうでしたか、職場体験先のヒーローにもお詫びに行かなきゃですもんね…。』
「そう言うことだ。まったく…手のかかる生徒達だよ。…ところでお前、怪我は。」

やれやれと頭を掻きながら気怠そうに先輩はそんなことを口にした。 そう腐りながらもこんな夜中にも生徒の元へ駆けつけてるのだから生徒思いだなぁなんて思う。まぁおそらくお叱りの内容が大半な気がするが…。クスッと笑うと先輩は「聞いてるか?」と私の頭を軽く叩いてきた。

『…あぁ、肋をやりましが、さっき治癒の個性で治してもらってこの通りばっちりですよ。』

そう言って先程まで痛みのあった部位を得意げに叩いて見せた。すると、先輩はまたしても深くため息を落として口を開いた。

「肋を治して貰った時になんで足を見てもらわないんだ。」
『え?』

その言葉にギクッとして先輩から一歩距離を取ってしまった。静まり返ったエレベーターの中にチーン_と到着音が鳴り響く。エレベーターのドアが開いたのにそこから動こうとしない私を見て、先輩はまたしてもやれやれと口を開いた。

「まったく…俺の生徒を卒業したっていうなら手のかかる事はさせるな。」

そんな声が聞こえた後、背と膝裏に腕をかけられ、足先は床から離れた。
顔を上げれば、すぐ近くに先輩の顔があった。「お前の病室はどこだ?」という先輩の落ち着いた声なんか本当にすぐ傍で聞こえる。
…お姫様抱っこ、というやつだ。
私を抱え上げたままエレベーターを降りて歩き出す先輩に向かって大きく声を上げた。

『い、言いませんし降ろして下さい!』
「静かにしろー。今何時だと思ってるんだ。…お、病室はここか。手が塞がってるから開けてくれ。」

病室の前に掲げられた自分の名前が入ったネームプレートを憎らしく思った。これは私を座らせるまで降ろしてくれないだろうな、と諦めて病室の扉を引いて開けると、先輩は中に入って私をベッドの端へと座らせた。そしてベッドの頭側にあった照明のスイッチを入れると病室内は煌々と照らされた。

先輩は私の前に片膝を立てて座り込み、黙々と左足の靴を脱がせ始めた。

『ちょ!?、な、なな何をしてるんですか!』
「…ホラ見ろ腫れてる。ナースコールしてやるから今からでも見てもらえ。」

私の左足を持ち上げて腫れた足首を見てそう言った。
…私は足が痛いなんて一言も先輩に言わなかったし、庇いながら歩いてもないはずだ。我慢できる痛みだからこそ、医師には伝えなかった。…最低限の治療で終わらせてでも、一刻も早くシャワーを浴びたかったのだ。今この瞬間にも髪の毛から体内へとあの怪人の血が流れ込んでいるような気がして気持ちが悪かった。
私の足をゆっくり降ろしてナースコールを押そうと立ち上がった先輩に、咄嗟に『止めてください!』と叫ぶと、当たり前に先輩は不思議そうな顔をして私を見た。

『…先にシャワーを浴びたいので、今は呼ばないでください。』
「お前な…、シャワーどころじゃないだろ。お前が何と言おうと『出てって下さい!今すぐ!!』…目瞳?」
『…私の頭の蛇があの怪物の血を吸いました。早く頭を洗わなきゃ体にアイツらの血が流れてくるようで気持ちが悪いんです。ただでさえ私は気持ち悪い見た目なのに、体の中に流れるものまで気持ちが悪いなんてそんなの嫌ですし、こんな姿を触れられたくも見られたくもありません。だからもう帰って下さい…!』

ベッドのシーツをギュッと掴み、半ばヤケになって言葉を吐き出した。頭の中には“早く洗い流さなきゃ”という事しかなかった。私がほぼ息継ぎ無しに言葉を吐き出すと、先輩は身体から小さめのナイフを取り出した。そのナイフは私自身も身につけているから分かる。捕縛布を切るためのものだ。…捕縛布は特殊な素材で作られている為、ハサミなんかで切ることが出来ないのだ。戦闘中に敵に布を掴まれたりした時なんか用にこのナイフを常備しているのだ。
だが、そんなものを一体どうして今取り出す必要があるのだろうか。何をするのかと思って見ていると、自分の首に巻きつけた捕縛布を手に取り、適当な長さの所にその刃を当てがった。

「明日にはちゃんと診てもらえよ。」

それだけ言うと、先輩は捕縛布の切れ端を私の足へと巻き始めたのだ。

「応急処置だからな。明日ちゃんと包帯に取り替えてもらえ。…これは一見ただの布だが、…って、お前も使ってるんだから知ってるか。」
『……』
「まぁ、こんなもんだろ。包帯よりも硬いだろうから、寝る時痛けりゃ勝手に外せ。」

足に巻き付けられた布は、確かに包帯ほどの柔らかさはない。だが、足首を足裏と共に固定されると痛みは和らいだ。私が自分の足に視線を落としていると、体はふわりと温もりに包まれた。…気づけば、私の体は先輩に抱きしめられていた。驚いて目を見開いた瞬間に右目のコンタクトは外れて、床へと落ちてしまった。その瞳を見られぬように瞼で隠して口を開いた。

『…言いましたよね。今触れられたくも見られたくもないって。足はありがとうございます。…でも、早く出てって下さい。コンタクトも外れてしまったので一緒にいると危ないですよ。』
「俺はお前を気持ち悪いなんて思わんよ。見た目も中身もな。…目瞳、俺を見ろ。」
『嫌ですよ。コンタクト取れてるって…』
「いいから俺を見ろ。」

私の両肩を掴んだまま離そうとしない先輩に観念して、ゆっくりと目を開き先輩の顔を見た。…先輩の目は赤く光っていた。つまり、個性を使って私を見ていたのだ。そのおかげで先輩は私と視線を合わせても石になることはなかった。

『…普通の女の子で居たかった。』

つい、思ったことが口から流れるように出てしまっていた。
怖がらず、私を醜いものとして見ないこの人の前で、これまでに一体何度本音を漏らしてきたのだろう。その度に彼は私の傍に居てくれて、慰めてくれた。先輩は私を真っ直ぐ見つめ、ゴツゴツとした両手で顔を優しく包んだ。

「心配するな。…自信を持っていい。俺の視界に居る限り、お前がどんなに屁理屈を並べようが、誰が見たって“目瞳石”は、“普通の女の子”だよ。」

先輩は、私が今日のようにヤケを起こすと決まってこの言葉をかけてくれるのだ。昔からそうだ。この魔法みたいな言葉が、私はずっと大好きだった。この言葉を貰うと、おとぎ話に出てくる魔法をかけられたお姫様になったみたいな気分になる。だけど、先輩が目の前から居なくなると12時の鐘が鳴り魔法が解けたみたいに悲しくなってしまうのだ。
だからいつもこの言葉を貰うと、私の前から居なくならないでと…12時の鐘よ鳴らないでと、切に願うのだ。

先輩は真っ直ぐと私を見て、何も答えない私に更に口を開いた。

「まぁ、俺の目に映るお前は、“普通の女の子”には程遠いがな。」
『それは…その…』

続きの言葉を言わせまいとするも、なんと返事をすればいいかに戸惑っているうちに、先輩は私の声を遮った。

「夜で、室内ならいいんだったよな?」
『!、あれは…そういう意味では…っ、』

視線を泳がせ距離を取ろうとする私に、先輩はズイっと顔を近づけてきて私の唇に自分のを重ねた。唇が触れ合った時に髭がチクチクと当たるのが少しだけ擽ったい。一度触れ合うだけでは終わらず、先輩は何度も角度を変えて唇を合わせ、文字通り“キスの雨”を降らせた。唇を逃がそうにも、両手で顔を包まれた状態では、顔の向きを好きに変える事さえも許されない。私が許されているのは瞳を閉じるか開くかくらいだった。
そんな私に先輩は、唇と唇が触れ合う数センチ手前で動きを止め、言葉を発した。

「お前は、俺にとって“特別な女の子”だ。……石。」

彼の言葉に私が返事をする事は許されず、開きかけた唇は少しだけガサついた唇に塞がれてしまう。

今宵もまた“この魔法の時間が消えませんように”と願いながら、私はそっと瞼を閉じた。

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