優しく、残酷な世界


石 side

焦凍くんがエンデヴァーヒーロー事務所に職場体験に来てから二日が経った。数日前に起こった焦凍くんとのキスの件以来、私は彼の前で平常心を保てなくなっていた。だが、仕事となればそうは言ってられない。エンデヴァーさんからの指示で焦凍くんに同行することになっている為に、私はこの二日間は自分の頬を叩いてなんとか気持ちを切り替えていた。

事務所内での仕事やパトロールを終え、帰路へと着く。帰る場所が一緒なのだから当たり前に焦凍くんとは一緒に帰る事になる。
昨日はエンデヴァーさんもあがりの時間が一緒だったから助かったけど…、
今日は焦凍くんと二人きりだ。仕事抜き、となると焦凍くんとどんな距離感で居るべきか悩んでしまう。キスをされた事もだが、あの日自分の口からつい漏れてしまった本音の事もありで、少しだけ気まづい…。

車を走らせながら助手席に座る男の子をちらりと盗み見るが、彼はいつも通り何を考えてるか分からない表情で夜の世界を眺めている。車に乗ってから数分間続くこの沈黙を彼はどう思っているのだろうか。トクトクといつもよりも早まる鼓動が全身に伝うのを感じながらそんな事を考えていた。

「ヒーロースーツ…」

車の窓から入る夜風と同じくらい心地の良い低く落ち着いた声が耳に届いた。赤信号で止まった事もあり、隣に座る男の子に視線をやり続きの言葉を待つ。真っ直ぐと前を向いたまま見せる横顔は、いつ見ても整っているなぁと思う。

「相澤先生と似てるんだな。」

彼の口から出てきた名前にドキリと心臓が跳ねた。その名の人物からもまた、唇を重ねた事を思い出して、無意識に自らの唇に指先を当ててしまっていた。何も答えない私を妙に思ったのか、「石さん?」と左右で色の違う瞳を私へと向け首を傾げた。

タイミング良く前方の信号が青に変わると強めにアクセルを踏んでしまう。彼は相変わらずのポーカーフェイスなのか、天然の鈍さなのか、急発進など気にも留めてない様子だ。

私は、なんでも無いように装って唇に触れた指先をハンドルに戻して、あはは、と笑って口を開いた。

『まぁ戦闘スタイルは相澤“先生”直伝だしね?』

私はいつも通り話せていただろうか?早まる鼓動のせいで、口まで早く動きそうになるのを、なるべくゆっくり動かすよう努めた。

…焦凍くんが口にしたヒーロースーツの事だが、返事をした後になって“似てるか?”と疑問に思った。被っている所と言えば、捕縛布を身に纏っている事くらいだが、まぁそこが一番目立って見えるという事だろう。

服装は黒色をメインとしている事は同じだが、私のは蛇の皮のような模様をしたラインを入れている。
しかも戦闘中にゴーグルで目を隠す相澤先輩とは逆に、私は戦闘になればミラーレンズの入ったゴーグルを外す。私の個性は先輩のように“自らが視界に入れた者”を対象とするのではなく、“私と目が合った者”を対象としている。つまり戦闘中は相手に目を見せる必要がある。この個性が故に近接格闘という戦闘スタイルをとっている所もある。

そんな事を考えながらも、話の内容は自然と職場体験の事へと変わり、それからはあっという間に轟家へと到着した。…話題が見つかれば、余計な事など考えず、普通にいられたなとホッとした。彼もまたいつも通りの様子だったからそれがまた私に安心感を与えていた。
車はこの近くに停められそうな駐車場を借りている為、焦凍くんに『車停めてくるから、先に帰ってて。』と伝えた。それなのに彼は車から降りようとはせず、視線を落とした。そんな彼の顔を覗き込むようにして『焦凍くん?』と名前を呼ぶと、私の左手の上にひんやりとした彼の右手が乗せられた。
上に乗せられた手をどうしていいか、この状況で何と言えばいいのかも分からず、男の子…いや、ガッシリ骨ばった男の人の手をただ黙って見つめた。

「もう少し、二人きりで居てぇ。」

その言葉で落ち着きを取り戻していた筈の心臓は、また鼓動のリズムを速めていく。「ダメか?」と今度は焦凍くんが私の顔を覗き込んで見てくる。…これは反則だ。歳下のかっこいい男の子に、こんな捨てられた仔犬のような顔をされて動揺しない女性なんて居ないだろう。

私が重ねられた手を引こうとすれば、焦凍くんは離すもんかと言わんばかりに私の手を強く握った。

『…っ、焦凍くん…、手…。』
「“なんで簡単に触れてくるんだ”…って言ったよな?」

焦凍くんが口にした言葉は、まさしく数日前に私が彼に対して放った言葉だった。彼は私の手を更に強く握り言葉を続けた。

「俺は石さんの事を知りたいし、触れたいって思っちまう。…その個性が原因で俺と関わる事が怖いなら、俺にその個性を使って石化してみてくれ。俺が何も感じなければ怖くなくなるだろ。」

顔を上げ彼の表情を見れば、左右で色の違う瞳は真っ直ぐ私を見ていた。

…随分前に付き合っていた人に同じことを言われた事がある。初めてそう言われたあの頃は幸せだった。この人は私を受け入れてくれようとしてるって思えたのだ。
だが、そんなのは私の理想に過ぎなかった。髪の毛を蛇に変え、右の瞳を露わにさせれば、その人は得体の知れない恐怖に出会ったように顔を引き攣らせた。そして、すぐに私の涙で石化を解除するつもりで彼を石にすれば、目の前に出来上がった石像は、あまりの悍ましさに顔を歪めていた。…個性を解除すれば、勿論その男は「ごめん…」と謝罪をして私に背を向けて去って行った。

“自分に個性を使ってくれ”

初めて言われた時、これ以上にないくらい幸せに感じた言葉が今はとてつもなく残酷な言葉に聞こえる。たった一度のあの出来事は、数年経った今でも嫌に鮮明に思い出すことができる。トラウマ、というものだろう。

『焦凍くん、それだけは聞けないよ。』

そう静かにハッキリと伝え、握られていた手を振り解いた。

私は運転席から降りて、外から助手席のドアを開けた。『さっ…!話は終わり。先に帰っててくれるかな?』となるべくいつも通り笑って口にすれば、焦凍くんは首を傾げながらも何も言わず車から降りた。

「気に障ったならすまねぇ…でも俺は本気で…」
『気持ちだけで充分よ。ほら、早く帰らないと冬美ちゃんが心配するでしょう?』

私がそう言うと彼はあまり納得はしていない様子だったが、「分かった。」と言って家へと向かって歩き始めた。

焦凍くんを見送った私は運転席へと戻る。…一人きりになった車内はいつもよりも寂しく感じた。まるで世界から私だけ隔離されたみたいな孤独感でいっぱいだった。

車のバックミラーを動かして自らの顔を写し、カラーコンタクトに隠れた醜い瞳を見て溜め息をひとつ漏らした。

『呪いを受け入れてくれる人なんて、居ないよ。』

私は鏡の中に映る自分にそう言って、醜い姿を暗闇の中に隠すように瞼を伏せる。

優しく、残酷なこの世界から
目と心を背けた。

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