強くて弱いヒーロー


轟 side

体育祭後の振替休日2日目の夜。
いつもより少し遅めに帰ってきた石さんは、帰ってくるなり姉さんと俺に『おうち決まったかもー!』と嬉し気に告げた。
あまりの急展開に俺も姉さんも「え?」と聞き返してしまう。

『だから、良い物件に会えたの!』
「わ…おめでとうー!けど、そんなに焦らなくてもいつまでも居てくれて良いいのに…。」
『ありがとう冬美ちゃん。けど、事務所のトップの家にいつまでもってワケには、ね…?』
「そっか…あ、それならさ!お祝いしよ♪」

姉さんは両掌を合わせてそんな提案をした。俺の方を見て「焦凍の体育祭準優勝のお祝いもまだ出来てないし!」とも付け足した。
…どうやら俺も強制的に参加者に入れられちまったようだ。



「それでは、焦凍の準優勝と石ちゃんの新居決定を祝って、かんぱーーい!」

姉さんの乾杯の音頭が家の縁側から静かな夜に響いた。3人の手にしていたグラスがぶつかりカチンと音を鳴らす。

『はぁーっ、お仕事の後のお酒は最高だぁ。』
「分かるー!焦凍はオレンジジュースでごめんね?大人になってからこの感覚を味わって!」
「…いや、いい。」

自分のグラスに注がれたオレンジジュースを飲んでそう答えた。そんな俺を見て石さんはにこりと笑って口を開いた。

『焦凍くんは、欲しいものないの?』
「欲しいもの…?なんだ突然。」
『体育祭の準優勝のお祝いに何かプレゼントしてあげようと思ってね?』
「……特にないな。」
『若いのに物欲がないなぁ…。何か思いついたら教えてね。なんでも買ってあげる。』

若いのに…というが、自分だってまだ若いだろうにな、なんて思った。『ふふ、』と笑う彼女の表情にまたしても俺は釘付けにされちまって、姉さんが「石ちゃんはどんなおうち見つけたの?」と言った事でハッとして視線を逸らした。

『相澤先輩の紹介で…』と話を始めた石さんの言葉はそれ以降ほとんど俺の耳に入っては来なかった。…やっぱり相澤先生とは仲が良い。"昔助けてもらった"だけで完結させていい仲ではないように思えて仕方がない。

この人が好きだと思えば思うほど、石さん自身を知りたくなると同時に知りたくないと思うこともある。酷い矛盾だと思う。
俺がそんなことを考えてるなんて考えもつかない姉さんは石さんに勢いよく質問を投げつけた。

「石ちゃんて、先輩のことぶっちゃけどうなの?もう好きじゃないってこの間は言ってたけど本当ー?」
『あはは…やめてよ、そう言う話は女同士の時にね?』
「えー?焦凍も気になるよねぇ!?こんなに美人で強いヒーローの恋愛事情!」
「いや、俺は…」
『冬美ちゃん酔いが回るの早すぎない?焦凍くんも困ってるから…。』
「いいじゃなーい!」
『はぁ…、先輩とは何でもないよ。昔は先輩の事が好きだったけど、久しぶりに再開して、また昔の気持ちを思い出しかけてた所を「恋愛対象外だ」みたいな感じでナイフでブスリとね……。』
「えぇ、焦凍の担任こわ…。乙女心を分かって欲しい…。」
『ふふ、だから何でもないよ。今日も会って話してきたけど、一緒にいてドキドキするっていうより、「この人は私を知ってる」ていう安心感が勝ってたというか……』
「…!」

"相澤先生と会ってきた"…という言葉に自分の中に湧いていたモヤモヤが濃くなった気がした。

姉さんはあまり満足してない顔つきで「そういう感じなのー?」と言いながら立ち上がった。そして「トイレ行ってくるね」と言ってこの場を一時撤退しちまった。

「…」『…』

俺と石さんの間に沈黙が続いた。だけど、この沈黙が嫌じゃなく、心地が良い。その静寂の中に石さんの心地よい声音が流れ込んできた。

『体育祭のあとは職場体験だっけ?ヒーロー科は急がしいよね。』
「…忙しいくらいがいい。ヒーローに一日でも早くなりてぇ。」
『ふふ、野心があるのは良い事。…職場体験、エンデヴァーさんは焦凍くんにしか推薦する気がないみたいよ。』
「…」
『キミの目に映るエンデヴァーさんは嫌なお父さんかもしれないけど、私からしたら凄いヒーローだよ。…仕事ぶりを見る価値は充分にあると思う。…なーんて、こういう事は自分の意志で決めないとね!』

彼女は『まぁ、キミが来る準備はしてあるからね。』とふわりと笑った。
…ほんのり頬を赤く染めて笑うのは酒が入っている所為だろうか。その表情にどきりとして直視できず視線を逸らした。

「…いつ引っ越すんだ?」
『んー、ちゃんと決めてはないけど、色々と手続きがあるだろうし職場体験終わりぐらいに引っ越せたらなぁなんて思ってる。』
「そうか…。」
『うん!…あれ?てか冬美ちゃん遅くない?ちょっと様子見てくる。』
「いや、俺が行ってくる。」

立ち上がった石さんに続けて俺も立ち上がって細い腕を掴んで強く引いた。

『へ!?』
「!?」

酒が入って警戒をしてなかったのか石は足をもつれさせ俺の胸に頭をぶつけた。俺の手はよろめいた体を支えるように、自然と石さんに回されていた。

俺の中にすっぽりと収まった体に向かって「わりぃ、大丈夫か?」と問うが、彼女は何も反応を返してこなかった。もう一度問いかけようとすれば、消え入りそうな声が下から聞こえてきた。

『…どうしてキミは簡単に触れてくるの。』

どういう意味だ?触られたくなかったという事だろうか。そう考えていると再び彼女は声を漏らした。

『私は、キミに近づく事も怖いのに…。』

彼女がそう言う理由が俺にはわからない。

「なんでだ?」
『…焦凍くんを石にしてしまうかもしれない。私の姿を受け入れてくれたキミを怖がらせてしまう。…私は焦凍くんに拒絶されたくないの。』
「…拒絶したりなんか…」
『キミが初めから私の全てを知ってくれてる人だったら良かったのに。そしたら何にも臆する事なく触れられるのに。』
「もう知っただろ。個性の事も、両親のことも。」
『ううん、キミは知らないよ。まだ、この瞳に捕らえられる悍ましさも、自分の体が石に変わっていく恐怖も…この"呪い"を何も。』

そう言って彼女は俺の体を押し返そうとするが、俺は石さんの体に回した自分の腕の力を強めた。

この人は、こんなにも怯えながら人と接している。
初めて、目の前にいる俺の心を救ってくれた"ヒーロー"が自分よりもずっと弱く見えた。
自分の個性を"呪い"だなんて一体どんな顔して言っているんだろうか。…腕の中にいる強くて弱い存在の全てを「知りたい、欲しい」と思っちまった。

俺は少しだけ腕の力を緩め、石さんの体を離し、「準優勝のお祝いってのは何でも良いんだよな?」と聞けば、彼女は首を傾げた。

そんな彼女に「今、ここでもらう。」と言って顔を近づけ、唇を合わせた。
目を薄らと開くと、石さんの閉じられた目から涙が流れた。

初めてのキスはほんのりとアルコールの苦い味がした_

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